トルコで総選挙が実施され、今や王であるかのように振舞っていた レジェプ・タイップ・エルドアン大統領のの与党、AKP(公正発展党)が議席を大幅に減らし、過半数割れの258議席にとどまった。憲法改正発議が可能になる330議席を目標としていた与党にとっては敗北と言っていい。エルドアン大統領が計画していた、大統領権限を強化する憲法改正に、国民がノーを突きつけた、と報じられている。
逆に、今回大幅に議席を伸ばしたのは、クルド系住民を支持基盤とする左派政党であるHDP(人民民主主義党)である。HDPは武闘派で知られたPKK(クルド労働者党)の指導者、アブドゥッラー・オジャランの流れをくむ政党だが、完全に世代交代に成功し、若き共同代表セラハッティン・デミルタシュは、ギリシャのSyrizaを率いるアレクシス・ツィプラス首相と比肩される指導者と目されるようになった。
もうひとりの共同代表、フィゲン・ユクセクダーは長く女性運動の活動家として知られ、自信が結成した「抑圧された人々の社会党」を率いてHDPに合流した。男女の共同代表制は、オジャランの結成した組織の多くで採用されているが、同時に「緑の党」などの"ポスト・イデオロギー"型政党に共通する特徴でもある(ここでの"ポスト・イデオロギー型"というのは、階級闘争や労働組合組織に基盤をおかず、プレカリアート、エスニック・マイノリティやLGBTなどの多様性、アントニオ・ネグリの言葉を使えば「マルティチュード」を糾合する形で票を獲得するタイプの政党、という程度の意味である)。
HDPはクルド系住民に支持基盤を持つとはいえ、女性やLGBTの権利にも力を入れており、その基本政策には最低賃金政策や若者の失業問題、水道と電気の基本料無料パッケージ、教育と医療アクセスの無償化、そして平和運動(アルメニアとの交易停止措置の解消などを含む)が並んでいる。EU加盟については追求するとしているが、(Syriza同様)そのネオリベラルな政策には懐疑的である。信教の自由の追求と、国民のイスラム信仰を監視する政府機関の廃止も約束している。
HDPは、長く自由クルド運動に関わってきた人々の政党であるが、クルド問題については民族アイディンティティの権利を認めることや、クルド人地区の自治権を認めることなどが目標となっている。このあたりは、Syriza 以上に、先のイギリス総選挙で躍進したスコットランド国民党に似ているかもしれない。スコットランド国民党も民族主義を地盤にしており、同時にエスニック・アイディンティティやLGBTに寛容である一方でネオリベラル政策に批判的な左派政党である(政策については"Turkey gets a taste for European-style radicalism ahead of election" を参照した)。
こうした姿勢は、スコットランド民族党がイングランド人の支持も一定程度獲得したのと同様に、トルコの現状に不満を持つ人々、特にオキュパイ・ゲジ(2013年に起こったタクスィム・ゲジ公園再開発などに抗議して発生した若者たちの反政府運動)に参加したような若者たちの支持を、HDPに向かわせたようである(数字的な分析はおいおい出てくるであろう)。
チュニジアに始まった「アラブの春」運動は、アラブ圏のみならずスペイン(インディグナドス運動)、トルコにも波及し、またそういった左派運動が存在しえないと思われていたアメリカにもニューヨークのオキュパイ運動や「ウィスコンシンの春」として波及した。
その中のいくつかの流れは現在、(ポスト・イデオロギー型)政党として国政に参加している。最大の成功例は第1党として政権を確保したギリシャのSyrizaであるが、スペインでもインディグナドス運動から派生したポデモスが政権を伺っている。
さて、もう一つの特徴は、第三世界で右派的、独裁的に振る舞う一方で経済成長を約束してきた「新しいタイプの開発独裁」ともいうべき指導者に、民衆がノーと言い始めた、ということである。エルドアン首相は、イスラム主義を煽り、国民の自由を制限する一方で、高い経済成長を維持することで、右派的な政策を懸念する人々からも消極的な支持を確保してきた。
同様の手法を駆使しているのが、インドのナレンドラ・モディ首相である。モディ率いるBJP(バーラタ人民党)は、ヒンドゥ復古主義を主張する政党で、モディ自身にもグジャラート州知事時代に同州で起こったイスラム教徒に対する暴動・虐殺事件を、積極的に支持したとは言えないまでも黙認したのではないかという嫌疑がかかっており、首相就任まではアメリカが入国を拒否していたという人物である。しかし、その一方でモディは国際経済に対する同州の売り込みの陣頭指揮を取り、同州は高い経済成長率を維持してきた、と理解されている。その手法を国政にと期待されて、昨年の総選挙でのBJPの圧勝を受けて首相に就任した(インドは伝統的に地方政党が強く、国政二大政党が単独で過半数を取ることはないと言われてきたが、先の選挙で初めてBJPが単独過半数を達成した)。
首相としても積極的に経済政策を主導し、その政策は「アベノミクス」を模して「モディノミクス」と呼ばれることもある。一方で、核開発を積極的に進めるなど強いインドを演出し、国内の市民運動に対する規制を強化するなど、強権的な手法も目立つ。
これに対する国民の警戒心は、コミュニティ意識が強いインドにおいてすらも、市民運動をベースにしたAAP(庶民党)である。党首アルヴィンド・ケジリワルは反汚職運動で全国的に有名になった人物である。2014年の選挙ではBJP旋風の前に敗北したが、2015年のデリー特別区議会の選挙では全70議席のうち67議席を確保する圧勝を収め、有権者がBJP政権に必ずしも満足しているわけではないことを明らかにした。
イスラム主義とネオリベラル経済をパッケージにしたエルドアンと、ヒンドゥ主義とネオリベラル経済をパッケージにしたモディは、構造的にはよく似ている。有権者の多くがその宗教原理主義的な強権姿勢に眉を潜めていたとしても「それでも景気がよくなるなら」とその批判を自ら封じ込めてしまっている点もよく似ているだろう。
しかし、そういった中で、政権確保までには至らなくても、間接民主制の実践という意味では欧州諸国よりも歴史が浅い非ヨーロッパ圏であるにもかかわらず、オキュパイ運動や多様な民衆に支持基盤を置く左派政党の勝利があるというのは、非常に重要であろう。
こう考えると、日本でそういった運動が大きな勢力になるに至っていないという事実について、どう考えるべきか、という疑念が突きつけられるであろう。
Syriza(ギリシャ)、ポデモス(スペイン)、スコットランド国民党(英国)、AAP(インド)、HDP(トルコ)。さて、このリストに次に付け加えるべきはどこであろうか。
あるいは、リストが長く伸びたとしても、そこに我が国が加わりそうにないのはなぜだろうか?
(ついでにいうと、エルドアンもモディも、二世政治家でもないし、特別影響力のある家系の出身というわけでもない、という点も考えさせられるものがある)
逆に、今回大幅に議席を伸ばしたのは、クルド系住民を支持基盤とする左派政党であるHDP(人民民主主義党)である。HDPは武闘派で知られたPKK(クルド労働者党)の指導者、アブドゥッラー・オジャランの流れをくむ政党だが、完全に世代交代に成功し、若き共同代表セラハッティン・デミルタシュは、ギリシャのSyrizaを率いるアレクシス・ツィプラス首相と比肩される指導者と目されるようになった。
もうひとりの共同代表、フィゲン・ユクセクダーは長く女性運動の活動家として知られ、自信が結成した「抑圧された人々の社会党」を率いてHDPに合流した。男女の共同代表制は、オジャランの結成した組織の多くで採用されているが、同時に「緑の党」などの"ポスト・イデオロギー"型政党に共通する特徴でもある(ここでの"ポスト・イデオロギー型"というのは、階級闘争や労働組合組織に基盤をおかず、プレカリアート、エスニック・マイノリティやLGBTなどの多様性、アントニオ・ネグリの言葉を使えば「マルティチュード」を糾合する形で票を獲得するタイプの政党、という程度の意味である)。
HDPはクルド系住民に支持基盤を持つとはいえ、女性やLGBTの権利にも力を入れており、その基本政策には最低賃金政策や若者の失業問題、水道と電気の基本料無料パッケージ、教育と医療アクセスの無償化、そして平和運動(アルメニアとの交易停止措置の解消などを含む)が並んでいる。EU加盟については追求するとしているが、(Syriza同様)そのネオリベラルな政策には懐疑的である。信教の自由の追求と、国民のイスラム信仰を監視する政府機関の廃止も約束している。
HDPは、長く自由クルド運動に関わってきた人々の政党であるが、クルド問題については民族アイディンティティの権利を認めることや、クルド人地区の自治権を認めることなどが目標となっている。このあたりは、Syriza 以上に、先のイギリス総選挙で躍進したスコットランド国民党に似ているかもしれない。スコットランド国民党も民族主義を地盤にしており、同時にエスニック・アイディンティティやLGBTに寛容である一方でネオリベラル政策に批判的な左派政党である(政策については"Turkey gets a taste for European-style radicalism ahead of election" を参照した)。
こうした姿勢は、スコットランド民族党がイングランド人の支持も一定程度獲得したのと同様に、トルコの現状に不満を持つ人々、特にオキュパイ・ゲジ(2013年に起こったタクスィム・ゲジ公園再開発などに抗議して発生した若者たちの反政府運動)に参加したような若者たちの支持を、HDPに向かわせたようである(数字的な分析はおいおい出てくるであろう)。
チュニジアに始まった「アラブの春」運動は、アラブ圏のみならずスペイン(インディグナドス運動)、トルコにも波及し、またそういった左派運動が存在しえないと思われていたアメリカにもニューヨークのオキュパイ運動や「ウィスコンシンの春」として波及した。
その中のいくつかの流れは現在、(ポスト・イデオロギー型)政党として国政に参加している。最大の成功例は第1党として政権を確保したギリシャのSyrizaであるが、スペインでもインディグナドス運動から派生したポデモスが政権を伺っている。
さて、もう一つの特徴は、第三世界で右派的、独裁的に振る舞う一方で経済成長を約束してきた「新しいタイプの開発独裁」ともいうべき指導者に、民衆がノーと言い始めた、ということである。エルドアン首相は、イスラム主義を煽り、国民の自由を制限する一方で、高い経済成長を維持することで、右派的な政策を懸念する人々からも消極的な支持を確保してきた。
同様の手法を駆使しているのが、インドのナレンドラ・モディ首相である。モディ率いるBJP(バーラタ人民党)は、ヒンドゥ復古主義を主張する政党で、モディ自身にもグジャラート州知事時代に同州で起こったイスラム教徒に対する暴動・虐殺事件を、積極的に支持したとは言えないまでも黙認したのではないかという嫌疑がかかっており、首相就任まではアメリカが入国を拒否していたという人物である。しかし、その一方でモディは国際経済に対する同州の売り込みの陣頭指揮を取り、同州は高い経済成長率を維持してきた、と理解されている。その手法を国政にと期待されて、昨年の総選挙でのBJPの圧勝を受けて首相に就任した(インドは伝統的に地方政党が強く、国政二大政党が単独で過半数を取ることはないと言われてきたが、先の選挙で初めてBJPが単独過半数を達成した)。
首相としても積極的に経済政策を主導し、その政策は「アベノミクス」を模して「モディノミクス」と呼ばれることもある。一方で、核開発を積極的に進めるなど強いインドを演出し、国内の市民運動に対する規制を強化するなど、強権的な手法も目立つ。
これに対する国民の警戒心は、コミュニティ意識が強いインドにおいてすらも、市民運動をベースにしたAAP(庶民党)である。党首アルヴィンド・ケジリワルは反汚職運動で全国的に有名になった人物である。2014年の選挙ではBJP旋風の前に敗北したが、2015年のデリー特別区議会の選挙では全70議席のうち67議席を確保する圧勝を収め、有権者がBJP政権に必ずしも満足しているわけではないことを明らかにした。
イスラム主義とネオリベラル経済をパッケージにしたエルドアンと、ヒンドゥ主義とネオリベラル経済をパッケージにしたモディは、構造的にはよく似ている。有権者の多くがその宗教原理主義的な強権姿勢に眉を潜めていたとしても「それでも景気がよくなるなら」とその批判を自ら封じ込めてしまっている点もよく似ているだろう。
しかし、そういった中で、政権確保までには至らなくても、間接民主制の実践という意味では欧州諸国よりも歴史が浅い非ヨーロッパ圏であるにもかかわらず、オキュパイ運動や多様な民衆に支持基盤を置く左派政党の勝利があるというのは、非常に重要であろう。
こう考えると、日本でそういった運動が大きな勢力になるに至っていないという事実について、どう考えるべきか、という疑念が突きつけられるであろう。
Syriza(ギリシャ)、ポデモス(スペイン)、スコットランド国民党(英国)、AAP(インド)、HDP(トルコ)。さて、このリストに次に付け加えるべきはどこであろうか。
あるいは、リストが長く伸びたとしても、そこに我が国が加わりそうにないのはなぜだろうか?
(ついでにいうと、エルドアンもモディも、二世政治家でもないし、特別影響力のある家系の出身というわけでもない、という点も考えさせられるものがある)