2019年4月21日日曜日

人文諸学の再興(と、多少はそこで食っていけるはずの人々)のために

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 高学歴ワーキングプアーという言葉はすっかり定着したが、そういった状況にある若手人文系研究者の自殺事件が続いたことにより注目されている。先日、朝日新聞に掲載された記事には、友人であり、一般社団法人カセイケンでご一緒している榎木英介氏のコメントが掲載されていた("「博士漂流」問題、職に対して人募集の仕組みを" ※こちらはデジタル版のみの内容も含んでいる)。榎木氏は日本における研究者のキャリアパス問題で長年活動を続けてきており、近年朝日新聞のような「主要メディア」にも意見を求められるようになったことは、私としても大変ありがたいと思っている。ただ、一方では、朝日新聞でのコメントも基本的に「理工系(特に90年代後半から大量生産されるようになったバイオ系)の研究者」の視点かなと思う面はあり、そこで多少違和感を感じる部分も否定できない。ここで、人文・社会系の研究者にとってのキャリア問題について、少し別の切り口から整理してみたい。

 ここで「人文・社会系」と言った場合は、いわゆる人文学(哲学、歴史、文学等)と、ソフト社会科学と呼ばれる社会学や文化人類学と言った分野を想定している。経済学や心理学など、人文・社会系の中でも社会での応用性が高い分野に関しては、ここで述べるようなことは全く関係ないとは言わないが、多少別の整理が必要であるように思う。


2019年4月12日金曜日

メモ:みんなトロッコ問題を誤解している。

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 トロッコ問題はその含意ないし意義が大いに誤解されている。


 神なき時代の人間の倫理は、大抵の場合、ベンサム的な功利主義とカント的な義務論の二つの原理のどちらかに基づいていて、現実の人間はその二つに、自分に有利かどうかや常識的・文化的な臆見を適当に混ぜ合わせたもので倫理的な判断をしている。
 ところが、ある種の状況を想定すると、功利主義も義務論もバグって適切な答え(と思われるもの)を出してくれない。
 (あるいは、著しく直感に反した回答が出てくる)


その事例として使われるのがトロッコ問題。
 だから、その限界も踏まえた上できちんと二つの哲学原則を運用できるようにならんといけなくて、そのためには哲学史をきちんと勉強する必要があるよね、と言う前振りに使われる。
 一種のパラドクスであるわけだから、トロッコ問題に答えは出ないし、答えが出るかも、と思っているうちは哲学の勉強が足らない、と言うことになる。

放送を見直してみないとはっきりとは言えないけど、サンデル先生もそう言う風に使っていたはず。

2019年4月4日木曜日

野党とは何か。あるいは、民主国家はどのような「政党」を持つべきか。

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 日本財団が発表している「18歳意識調査」第12回 テーマ:国会改革について、という報告書は、我が国の若者の「政治」に対する理解についての、なかなか深刻な問題を表しているように思う。ちゃんと精査したわけではないが、一読しての感想として 1)とにかく、意見の違いが顕在化するのが落ち着かない。2)「成果の客観的評価」が可能だと思っている。3)討議は少人数で短く行うべき。といった感覚を抱いている回答者が多い印象を受ける。

 全体に自己啓発系ビジネス書っぽいという印象を抱く。ただ、そういう意味では昨今メディアやポピュリスト政党が強調する「カイカク」(してるふり)と同根であり、若者が、というより日本社会に蔓延する空気の問題なのだと思う。
 実際、大学の授業でも政策決定プロセスについての話になると「野党が情けないから」「批判ばかりだから」社会問題が解決できないというコメントも出てくる。

 そんなわけで、我々はどのような「野党」を持つべきなのか、という観点から記事を立てておきたい。
 今年は選挙イヤーでもあることであり、公共の議論の一助になれば幸いである(選挙中ということで「選挙って、候補者やスタッフは何してるの?」に続いて二つ目の記事)。