2015年6月9日火曜日

救急車有料化の是非: 「財政健全化計画等に関する建議」とその報動から見る

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 先に毎日新聞の"救急車:「有料化」提案 財務省、軽症者対象に"という記事が話題になっていたが、その報道の元資料である「財政健全化計画等に関する建議」が6月1日付で発表になっていたので、それについて考えて見る(本当は大学のところを確認しようと思ったのだが、気になったので先にこちら)。
 さて、救急車の有料化の目標はなんだろうか? 濫用する一部個人に対する刑罰なのか。資源利用の最適化なのか(しかし、「最適」とはなんだろうか?)。あるいは単に福祉に対する公的支出がかさんでいるので、それを圧縮し、ないしは私的な費用に付け替えたいだけなのか?(例えば「救急車保険」を売り出せれば保険会社は嬉しいであろう)。このあたりを明確にしないと、回答はでないと思われるが、日本の政策論争の常で、そのあたりは曖昧にされたままであるように思う。

 要するに、憲法以外でも政策決定のプロセスに、熟議という観点から非常に大きな瑕疵があるのである。どのような資料と議論が欠けているか、順に見ていくことにしよう。
 例えば、明らかに救急車を濫用することが目的で、年間数十回のコールを繰り返す、というケースがあるとしたら、それを防止する対策は確かに必要かもしれない。その場合は、「年間何回以上の救急車利用は有料。ただし、他に代替交通手段がない地域や、再発を繰り返すような難病であることを証明する、医師による診断書がある場合は適用外」といったルールが考えられるかもしれない。この場合は「あなたの場合は次から有料ですよ」といったコミュニケーションも可能であるため、緊急性の評価を失敗して重症患者に対して出動拒否をしてしまう、といったことも防ぎやすい。この場合は刑罰的側面が強いので、課金も相応のものになるべきであろう(例えばなんらかの交通違反の罰金と同程度、と考えるのがいいのではないか)。
 しかし、そういった事例を防ぐことが日本全体としての費用削減になる程あるか、というのは疑わしい。結局のところ、そういう効果をあげたければ、年に一回も使わないような層も含めた国民全体に対して利用を熟考させるような圧力でなければならないだろう。


 第一に考えるべきは、救急車有料化は基本的にサンデル先生が大好きな「ファストトラック」問題でもあるということである。
 ファストトラックとは、通常空港などに設置されており、一定の条件を満たす人が素早く窓口を通過できる、というものである。条件は、例えば高額運賃を払っている人、手数料を追加で払った人、納税額が高い人、といった感じになる。
 手荷物検査は航空会社が費用を負担していることになるので、高い運賃を払った人に手厚いサービスをするのは理にかなっているだろう。一方、当該国によって実施される出国検査(イミグレーション)はどうだろうか? 一般に、各国の公務員はその処理において、貧富の差や地位で処理に差をつけてはならない、というのは共有された道徳であろう(もちろん、実際にはそうなっていないのは、アメリカで頻発するマイノリティに対する警官の暴力事件などからも明らかであるが…)。しかし、例えば手数料を払う場合はどうだろうか? ここは意見が分かれるところであろう。
 とはいっても、イミグレーションのサービスは、普通は10分、どう長くても1時間は変わらない時間の話である。しかし、医療サービスの「ファストトラック」化はその人の一生に関わるかもしれない大問題である。もちろん、ちょっとした風邪で受診しているといったことであれば、ファストトラックを利用する人が1万円よけいに払って順番抜かししても、それで保険金が安くなったり病院が立派になったら、抜かれる側のメリットもないわけではない。しかし、救急医療の場合、その一瞬が命取り、ということにもなりかねないわけである。このファストトラックは妥当であろうか? あるいは、「ファストトラック化によって職員数を増やすことができ、結果として他の利用客の待ち時間も減らすので有用」という説明もあり得るだろう。
 救急車に、一定の(例えばタクシーと同程度の)料金を課す、といった場合、これは「あまりお金のない軽症者」には利用を控えさせる圧力になると同時に、富裕層にはむしろ道路および病院へのアクセスの、ファストトラックとして捉えられるという可能性が高い。つまり、救急車は道路でもタクシーより優先権を確保されるし、受診も優先的に行われる可能性が高い。料金をタクシーよりかなり高額に設定しないと、富裕層にとってはメリットが大きいであろう。一方、「重症でなかった」と診断された時のリスクは「重症でなかったと診断される可能性」と一回あたりのコストを掛け合わせたものなので、富裕層がたじろぐような料金設定は、一般以下の経済力の利用者の救急車利用を過度に控えさせてしまうのではないか、という恐れが高い。
 ひとつには、「必要性」認定の基準をかなり引き下げ、例えば「38度以上の熱があれば必要」ぐらいに設定すると、利用を控える効果は軽減できるかもしれないが、今度は財政支出の軽減効果は低下する一方で、ファストトラック利用を求める富裕層にとってもコストの期待値は低減されるので、むしろ利用は増加するだろう。
 このバーター関係を解消したければ、軽症だった時の利用料金を、例えば年収に応じて徴収する、といった方法は考えられるだろう(が、現在の政治情勢ではあまり現実的ではないだろう)。

 いずれにしても、イミグレーションのファストトラックとの大きな違いは、人の命に関わる、ということである。イミグレーションのファストトラックの料金設定に失敗しても、例えば料金を高く設定しすぎて利用客が十分に現れなかったとしても、それは「数人の職員に数ヶ月の間無駄な作業をさせた」という程度の問題である、一方で、救急車有料化の失敗は人の命にかかわる問題であり、制度設計は慎重に行われなければならない。
 代替案に、コールトリアージの可能性があげられている。これは、すでに横浜などで実施している[PDF]ようである。あとで触れるように、フランスではむしろこちらがコスト抑制の重要な手段であるようである。
 しかし、コールトリアージには倫理的な問題が付きまとう。災害現場でのいわゆる「トリアージ」では、秤にかけられるのは他の命(が救える可能性)である。しかし、コールトリアージで秤にかけられるのは(突然その日だけあちこちで多数の救急患者が発生したという、「広範囲にわたる一般的トリアージ」が必要な状態になってしまった場合を除けば)、命とコストである。これをトリアージといっていいのかは難しい面がある。
 また、コールトリアージでは判定を担うのは管制員であって医師ではない。プログラムで自動化されているとはいっても、この責任を誰が負うのか、疑問が残る。また、おそらく横浜のケースは「トリアージは法的な意味で治療行為ではない」という理解で実施されていると思われるが、これが妥当な見解なのかもわからない。トリアージをしていない状態ですらも搬送が行われず死亡に至る事件は発生する(山形県の大学生のケースなど)。現在、横浜のケースではコールトリアージの結果として「救急車が出動しない」という選択肢はないが、これが出動しないという選択を行う場合は必ず死亡事故は発生するだろうし、その場合の責任が誰にあるのか、というのは患者のみならず管制員の精神ケアという観点からも議論しておかなければならない問題であろう。
 逆に言えば、出動拒否をともなわないコールトリアージで支出が十分に抑制できていると横浜市が判断、立証しているのであれば、これは悪い選択肢ではないかもしれない。また、現在でも実質的に現場判断などで(無言の圧力のようなものも含めて)コールトリアージが行われているとすれば、逆に基準を明示することのメリットがある、という考え方も可能である。実際、かなり昔ではあるが、次のような報道もあったようである。
救急車で病院に運ばれて医師が重症と診断した患者の35%は、救急隊が病状を中等症や軽症などと過小評価していたことが、東京消防庁の調査で分かった。特に、けが以外の内因性の病気では、過小評価は42%に達した。

 ところで、冒頭の毎日新聞の記事にちょっと気になる記述があった。
 海外では救急車を有料としている国が多く、フランスでは重症者以外の搬送は30分で3万円超の有料制を採用している。財務省は「フランスなどの例を参考に軽症の場合の有料化などを検討すべきだ」と説明している。【宮島寛】

これは、 こちら(たぶんフランス旅行ガイド的なサイト)によると、
 一般論として、もしあなたが緊急医療救助サービスを利用し、それが真に緊急性があったと証明できない場合、あなたを受け持った医師ないし病院が貴方の診療診断書にサインするのを渋ることがあり得ます。その場合、治療費が請求されます。現実問題としては、そういったことは殆ど起こりえず、救急通報をする前に慎重に考慮することが重要だという圧力になっているのです
ということなので、コストが請求されることは基本的にはないということなのではないだろうか?
 それよりも、Wikipedia の記述であるが、フランスの特徴は緊急通報が厳格にトリアージされることにあるらしい。つまり、緊急医療救助サービスへのリクエストの65パーセントしか救急車の出動対象にならない。どちらも信憑性は今ひとつの資料であるが、一方で毎日新聞の記述も今ひとつ信用ができない印象を受ける。

 実際は、先のファストトラック問題を考慮しても、有料化は(ファストトラック利用を排除するための)トリアージとセットでしか機能しないのではないか?
 ともあれ、毎日新聞の記述は「財政健全化計画等に関する建議」44ページの記述をそのままなぞっただけに見えるが、こういうところには批判的な目を向けるのがメディアの役割ではないか。
 この資料の原資料である「救急需要対策に関する検討会報告書」を見ると、ミュンヘンのケースも、6万7千円がそのまま患者に課金されるわけではなく、社会保険で少なくともその一部が負担される、という描写に見える(この資料もまた、ポンチ絵があるだけなので、どう理解するのが正しいのか判断が難しいが。あまりよい資料ではない)。
 ポンチ絵だけで済ましている原資料も無責任なら、それをそのまま引用する財政制度審議会も、さらにそれを引用する毎日新聞もかなり無責任であると思う。

 結論として、救急車有料化がまったく意味のない政策とは言わないが、目的や前提条件を吟味して、重症と判断する度合いや金額を判断する必要があるが、現状ではそれらができそうだとはとても言えない状況であることを憂慮している。

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