2017年4月26日水曜日

辺野古の新基地は普天間基地の代替ではない

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(注: 公開後、タイトルを変更しました)

 ついに辺野古の米軍基地予定地の埋め立てが始まったと報道されているが、四月上旬、辺野古の海を見に行って、テント村の人や地元の市議さんに色々説明していただいた。
 短時間なのできちんと聞けたかどうかは分からないが、いくつか備忘録的にメモ。


1)
 テント村で説明してくれた人の「辺野古は普天間の代替案ではない」という表現が印象的だった。
 もともと、辺野古のキャンプ・シュワブはヴェトナム戦争中に機能強化が計画されており、これはヴェトナム戦争の泥沼化による戦費の拡大により断念された、という経緯がある。


 新辺野古基地は普天間に比べて滑走路が短く、今普天間が果たしている全ての機能を代替することはできない。
 一方で、現在、新辺野古基地はヘリ用の設備のほか、強襲揚陸艦が接岸できる270メートルの岸壁が計画されている。
 これはヴェトナム戦争時に計画され、米国の予算上の問題から放棄された基地計画の復活である。
 これを「普天間を使えなくする代わりに」日本政府が全て経費を負担して建設するということになるので、アメリカ合衆国にとっては非常に美味しい話、ということになる。


 また、普天間基地は「その機能が戦略上必須だから、辺野古に移転する」という話は成立しない。
 なぜなら両者に期待されている機能は根本的に異なるものだからである。
 滑走路自体は普天間のそれよりもだいぶ短いことから、現在空路で入れていた物資を海路に振り返るため岸壁を長くしたい、と米軍は説明している。
 しかし、輸送船だけであれば270メートルの岸壁は必要ではなく、強襲揚陸艦のためありきの設計である。
 また、キャンプ・シュワブには大規模な弾薬庫があるが、港も空港もない現在はここに置かれる弾薬は別の場所から沖縄に運び込まれ、陸路を輸送されている。
 港を新辺野古基地に建設することは、ここに本国からの物資を直に運び込むことができるようになる、ということであり、例えば現在は困難であると考えられている核配備を、再び米軍が行うのではないか、と社会運動側は懸念している。


 こう考えれば、新辺野古基地は、場合によっては核の配備まで含めた総合的な拠点になるはずで、普天間が使えなくなることにより必要になる代替設備という以上のものなのであり、これを日本政府の予算で建設することは「焼け太り」以外の何物でもないのではないか、ということである。
 また、こうした機能を持った基地がアジア・中東地域での戦争遂行に使われるであろうことを考えるのであれば、地元の環境・生業への影響だけでなく、日本政府による「アメリカの戦争」への加担を許すのか、という倫理的な問題でもある、ということになる。


 ちなみにテント村は「海上ヘリ基地建設反対・平和と名護市政民主化を求める協議会」(略称『ヘリ基地反対協議会』)が主体となっているが、この名称も当初「ヘリ基地が辺野古に来る」という前提から始まっているが、オスプレイ配備、港湾の設置やそれによる弾薬庫機能の拡充、強襲揚陸艦基地としての機能強化と続き、すでに適切な名称ではない(つまり、過小評価した名称になってしまっている)という点が悩まれるところだという。


2)
 また、キャンプ・シュワブは「ジュゴンのエサ場」としてもアピールされる通り、自然豊かな大浦湾の南端にある。
 北端部分には、沖縄を代表するリゾート施設である「カヌチャ・リゾート」がある。
 しかし、実は(地元の市議さんから聞いた話だと)カヌチャのビーチは毎年砂を入れているという。
 大浦湾の北側は南風の影響で、砂を入れてもすぐに流れてしまうのだという。

 一方、キャンプ・シュワブのある南側は天然のビーチに恵まれている。
 「一番いい土地は米軍が持って行ってしまう」と地元の人が嘆くわけである。


 今回、沖縄滞在中に多くの外国人をみた。多くは台湾や東南アジアからの観光客と思われるが、例えばロシア語も聞かれた。
 極東ロシアからであれば、沖縄は距離的にも近く、有力なリゾート地となりうるのかもしれない。
 もちろん、リゾート開発の環境負荷などの面も配慮されなければいけないが、軍事施設よりリゾートの方が環境負荷が高い、というものでもあるまい。
 沖縄には別の選択肢が示されるべきだろうし、それは全く荒唐無稽な話ではない。