2018年2月4日日曜日

囚人のディレンマと核抑止(核の傘)概念とは何か、あるいは「限定利用」が何故危険か

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 核の傘、あるいは「核抑止」(Nuclear Deterrence)という概念は、フォン・ノイマンらが提唱したゲーム理論に基づいてる。
 あるいは、少なくとも当初は基づいていた。
 フォン・ノイマンの議論は、多くの物理学者(しばしば、ナチスの迫害を逃れて新大陸に渡った人々であった)が、自分たちが恐ろしい破壊兵器の開発に携わる動機になった(か、少なくともそれを正当化したり、納得させたりする材料にはなった)。
これを理解するには、なぜ戦争が起こるかについて、まず「囚人のディレンマ」モデルで考える必要がある。


 囚人のジレンマとは簡単に説明すれば次のようなものである。
 ケチな泥棒で捕まった二人組の犯罪者がいる。彼らにはその窃盗で2年の刑が言い渡されており、これから刑務所に入るところである。
 ところが、警察は彼らがより重大な強盗殺人事件の犯人ではないかと疑っており、司法取引を持ちかけた。
 強盗殺人について、二人組のもう一方が主犯であると自白すれば情状酌量の余地があるとして、仮放免を与えよう、というのである。
 しかし、その場合は相棒が8年の刑を受けてしまう。
 また、双方が相手の果たした役割について同時に自白してしまえば、仮放免はなくなり、双方に責任ありとして5年程度の実刑が見込まれる。



 この場合、二人の犯罪者にとって一番合理的なのはどちらも自白しないことで、二人合わせて四年の刑を受けることである。
 しかし、二人はそれぞれ個別に収監されており、示し合わせて協調行動を取ることができない。
 犯罪者Aの視点から考えてみると、仮に相棒Bが自白せず、自分も自白しなかった場合は、Aは2年の刑期であり、自白した場合は仮放免である。
 また、仮に相棒Bが自白してしまった場合、自分が自白しなければ8年の刑期を引き受けなければならず、自白すればこれが5年になる。


 その結果、犯罪者Aにとってしてみれば、相棒Bが自白しようがしまいが、自白するのが最も合理的、ということになる。
 しかし、二人の犯罪者からなるコミュニティ全体からみれば、これは総計10年の刑期ということで、最も不合理な決断、ということになる。
 このように、個々のアクターは合理的に振る舞っているのに、全体として不合理になってしまう、ということがあるのであり、囚人のディレンマはなぜそういうことが起こるかを説明したモデルである。
 ちなみに、囚人のディレンマはコミュニティを構成するアクターが二人のケースであるが、これを拡張して二人以上多人数のケースに一般化したものは「共有地のディレンマ」と呼ばれる(これについてここで説明する余裕はない)。
 また、フォン・ノイマンが作った、こういった議論の枠組みを「ゲーム理論」と呼ぶ。


 さて、二国ないし二勢力による戦争はこういった囚人のディレンマを引き起こしがちである。
 次の図では、対立する二国が取りうる戦略を示している。
 通常は、「利得」で示して、数が大きい方がいいことがあるという図で描かれることが多いが、ここでは先の「囚人のディレンマ」と合わせるために、大きい方がダメージが大きい図として見て行こう。


 ここで、対立する二国があり、相手型に歩み寄ることは何らかの不利益をもたらす、と考えられているとしよう。
 ここで、相手型に一定の打撃を与えるような紛争を起こすことで、相手の譲歩を獲得したり、一定の資源や領土を奪うことが、自国の利益に叶う、という理解があるとする。
 戦争は通常、そうした前提の元に起こるものである。


 ところが、双方がそう考えて、不毛な総力戦に突入することは、双方が多少のダメージを甘受して協調戦略を取ることよりも、さらに打撃は大きい。
 こういった認識は、20世紀に入って、兵器の性能が飛躍的に増大し、民間人犠牲者がうなぎのぼりに増えたことなどもあって、一般的なものとなった。
 これは、典型的な「囚人のディレンマ」状況である、と見ることができる。


 囚人のディレンマを回避する方法は明らかである。
 つまり、(裏切り、裏切り)の組(図の右下)は破滅的で、絶対に選んではいけない、というコンセンサスを、アクター全員が共有すればいいわけである。
 「核戦争は破滅的であり、また一発の核を打つことで対立する勢力は直ちに報復にうつるであろう。その結果は人類の滅亡かそれに限りなく近い状態でしかありえない」
 この認識は冷戦期に神話的なものとして反復され続けた(小説、映画、アニメなどで何度も見たことがあるだろう)。
 「核は恐ろしい兵器であり、絶対に使ってはいけない」という共通認識が、超大国による独占的な軍拡と「核抑止」というバランスを可能にしてきたのである。





 しかし、近年「限定的な核兵器利用」(Limited Use)という概念がしばしば観測気球的に口にされるようになってきており、今回発表された米国の Nuclear Posture Review もその方向性を一歩進めるものになっている。
 また、これはある程度、ロシア側も限定利用の解禁に動いている、という前提に立っている。
 このことは、囚人のディレンマの構造に当てはめれば極めて危険である、ということである。
 つまり、核兵器をめぐる実質的に独占的なアクターである米露は、現在核利用について「破滅的ではなく、効果的な”裏切り”戦略がありうる」と考えるようになっている、ということである。
 これは第一に、多くの市民が考えるであろう「いかなる核の利用も、その部分的な効果ですら犯罪的である」という認識と、フォン・ノイマン的な「核の利用は、人類を破滅に結びつけるがゆえに犯罪的である」という認識に乖離が起きている、ということでもある。
 しかし、「囚人のディレンマ」モデルが示唆する(より破滅的な)問題は、「核の限定利用」はおそらく、通常兵器と同様にエスカレートするということである。


 トランプが考える「限定利用」とプーチンが考えるそれが一致するとは限らないわけであり、ゲーム理論的に考えれば、対立するアクターは「限定利用」が許されるなら、「相手よりちょっとだけレベルの高い範囲の限定利用」を目指そうとする可能性が高いわけである。
 そして、相互が「相手よりちょっとだけ高いレベルの限定利用」を(合理的に)求めることが、容易に限定利用の枠を超えて、(不合理な)破滅にエスカレートする、というのが「囚人のディレンマ」の示唆するところである。

 ただし、次のような条件下で「破滅的なエスカレートを招かない限定利用」があり得ないわけではない。
 つまり、主要なアクターが「限定利用」の範囲がどの程度であるかに同意しており、かつその同意から共通の利益を引き出せる場合である。
 これは、「一発でも全面禁止派と最終戦争予防派の間の乖離」という問題は顕在化させるが、現実的に最終戦争が起こる可能性はあまり高くないとは言える。
 例えば、ISILのような戦後秩序への反逆者でありかつ核兵器を保有しないであろう勢力に対して、安保理常任理事国の総意の元に小規模核を利用する、という場合である。
 これは、一般的な市民運動からすれば極めて憂慮する自体であるし、市民を巻き込むこともほぼ疑いのないという点では国際法違反であるが、一方でこれを防止するパワーポリティクスはほぼ想像ができないという点において、核兵器を常用したい勢力が選択する可能性があると思っていた。
 もちろん、例えばISILのような勢力が、10年後、100年後に何らかの形で存続しており、核武装を果たしていない、ということを断言することはできないという点でも、この選択は世界にとってリスクが高い、という批判はできるが、これも反対理由としては弱いかもしれない。
 

 しかし、米国と並ぶ核保有勢力であるロシアも含めて「限定利用」が相互にありうる、という認識を公的に示すことは、こうした(国際秩序の外部にいる武装勢力相手の”限定利用”という)議論に比べても極めて危険性が高いわけである。

 もちろん、フォン・ノイマンの議論によらず、「限定利用であれば一定の段階で核抑止は機能し、報復合戦にはならない」という議論が提起されるのであれば、賛否は別として検討は必要かもしれない。
 しかし、現在のところそういった議論を(トランプ政権の内外ともに)誰かが提示しているようには見えないし、理論的にも想像がつかないのである。

2017年11月4日土曜日

We-Fiファンド(イヴァンカ基金)への日本政府の出資は是か非か!?

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1.
 イヴァンカ・トランプ米大統領補佐官の来日に伴って世界銀行の「女性起業家支援イニシアティヴ」(通称 We-Fiファンド)に対して、日本が5千万ドル(約57億円)の支出を表明したことが議論を呼んでいる。
 例えば共同通信は以下のようなニュースを配信している

あいさつでは、トランプ米大統領の長女イバンカ大統領補佐官が設立に関わった、女性起業家を支援する基金への5千万ドル(約57億円)拠出を表明した。


こういった報道の仕方が、あたかもイヴァンカ・トランプが私的に設立したファンドに日本の公的資金を入れる、というふうに取られたからである。
 実際は、このファンドは先に述べた We-Fiファンドのことであり、もちろん運営は世銀が(その環境や倫理基準に従って)行い、イヴァンカが自由にできる資金というわけではない。



とはいえ、一方でこの資金には設立の段階から様々な問題点が指摘されており、海外の報道では議論になっていた。
 こういったことが問題として認識されず、騒ぎになって初めてその存在が認識される、というのも問題である。
 わたしが子どもの頃は「海外のニュースの報道がない」といえばアメリカ合衆国のことであったと思うが、情勢はすっかり逆転している印象がある。


ここでは、世銀・IMF体制そのものや、この背景である国連の持続可能な開発目標(SDGs)の方向性の是非は基本的に問わない、ということで議論を進める(もちろん、それらに問題がない、ということではない)。


そもそもの問題は、イヴァンカ・トランプがドナルド・トランプ大統領の娘であり、ファッション・ブランドのトップとして著名である一方で、何の政治的実績もないまま大統領補佐官に就任しているというところにある。
 つまり、トランプ政権は自国中心主義的、排外主義的であると同時に極端な縁故主義を特徴としており、政権中枢は政治経験があまりない財界人脈で占められている、ということであり、イヴァンカ・トランプ補佐官はそれを象徴するような人事であると言える。
 一方で、問題をややこしくしているのは、この間イヴァンカが政権内部でほぼ唯一と言っていい、国際協調主義者として振舞っている、ということである。
 SDGsのような国連のプロジェクトや気候変動問題に関しては、イヴァンカだけが熱心に取り組んでおり、大統領にその問題で進言することもあると伝えられている。


世界銀行に関しても、トランプ大統領は出資の削減を匂わせている。
 これに対して、世銀のジム・ヨン・キム総裁が打った手段がイヴァンカを広告塔に使った We-Fiファンドである。
 イヴァンカに活躍の場を与える見返りに、米国の世銀へのコミットメントを繋ぎとめよう、ということである。
 これは、おそらく資金的な問題ではない。
 世銀は理事会の議決権が出資額に応じて割り振られるため、中国やサウジアラビアなどがかねてから増資を望んでいたが、それらの国々の影響力増大を警戒した最大の出資国であり拒否権を持つ米国がそれを受け入れなかった、ということである。
 おそらく、米国が世銀から関心を失えば、中国がその地位を引き継ごうとするであろう。
 キム総裁はオバマ政権によって選出された韓国系米国人で、政治・経済の領域の人間が選ばれることが多い世銀総裁としては例外的に、長らく第三世界の感染症問題に取り組んできたリベラル(米国用法)な医師である。
 彼にしてみれば、トランプか習近平か、というのは中々辛い選択であったろうことが想像できるが、兎にも角にもトランプのつなぎとめを選択した、ということである。


しかし、政権中枢にあるイヴァンカが同時に独立性の求められる世銀のプロジェクトに関わる、ということに関しては、利益相反がないか、売名行為ではないか、といった批判が米国内外から噴出していた。
 こういった経緯を持っているWe-Fiファンドを単純に賞賛し、参加していいか、ということに関しては、本来議論が必要であろう(野党はそこも国会で議論することが必要だと思う)。


結局のところ、キム総裁やG20について兎角指導的立場を演じる羽目になっているメルケル首相らが抱え込んでいるジレンマは、イヴァンカ補佐官というトランプ政権の縁故主義の象徴を無視し、無力化すべきなのか、そうすることで「唯一の国際協調主義者」であるイヴァンカが力を失うことがトランプ政権の暴走をさらに加速させることになるのか、読めないということに尽きるであろう。


We-Fiファンドの最大の出資国はサウジアラビアになるとみられており、アラブの王族達がイヴァンカの訪問を諸手を上げて歓迎している、という構図も困惑を禁じ得ない。
 イヴァンカの夫のジャレド・クシュナーはユダヤ系実業家で、これも政治的実績なしに上級顧問に登用された「縁故主義」の例であると同時に、トランプ政権のイスラエル・コネクションを代表する人物である。
 この妻であるイヴァンカがアラブの王族達と談笑し、極めて女性差別的な社会制度を維持してきた彼らが「女性の社会進出」に賛成して見せる様は、何の茶番劇だろうと疑わざるを得ない。
 金が動くなら何でもいいのか、ある種のガス抜きが意図されているのか、極右同士の手打ちで奇妙な「女性の権利向上」がそれでも進むのか、少なくとも丁寧なモニタリングが必要である。

2.
 さて、これが国際的にみたWe-Fiファンドの状況であるが、先に述べた通り、安部政権がイヴァンカ来日を機にここに5千万ドルの出資を表明したことから自体が日本でも紛糾した。
 最初の論点は、安倍がイヴァンカの私的なファンドに出資したのではないかというものであり、これはすでに述べたように誤解である。
 また、イヴァンカの来日に際してお土産として5千万ドルを決めた、というのも誤解である。




 ただし、これらの誤解は必ずしもメディアの責任だけではなく、国際援助に関してはしばしばこういう「すでに決まっていた援助案件を、首脳の来日(あるいは相手国訪問)に際して発表し、二国間関係が良好であることをアピールする」ということが行われてきた。
 考えてみれば、数百億円のお金をいきなりあげるといわれれば、さすがにどんな国でも困惑せざるを得ず、援助案件は事前に事務方が詰めている訳である。
 特に、今回の案件はBuzzfeed の報道によれば先のG20ですでに決まっていた案件である。
 しかし、発表は例えば次のように行われるわけである。
 まず、安倍首相のスピーチを見てみよう。

自らもビジネスを立ち上げた実業家として,また,トランプ大統領が信頼する補佐官と して,イヴァンカさんは,本年のG20ハンブルグ・サミットで,「女性起業家資金イニシ アティブ」の立ち上げを主導されました。 日本は,このイニシアティブを強く支持します。そして,最大拠出国の一つとして,5 千万ドルの支援を行うことを決定しました。


次に、外務省の発表である。


安倍総理大臣から,イバンカ大統領補佐官が主導し本年のG20ハンブルグ・サミットで立ち上げられた「女性起業家資金イニシアティブ」(We-Fi)(英文)を日本として強く支持し,5千万ドルの支援を行うことを決定したことや,女性起業家が経済に与える好影響についての発言がありました。


これらは確かに嘘は書いていないが、「いつ決まった」かは曖昧にしてあるのが特徴である。


そして、みんなもう忘れているようだが、確かにバブル期までは、「来ていただいた首脳にお土産を持たせ、首相は面目を施し、日本が一等国であることの証明もされた」みたいな形で、こういった援助額がぶち上げられることを好意的に受け止める風潮はあったのである。
 それが、最近は長引く不況感、極右的な視点の台頭、それに援助をしなくても「日本が先進国なのは当たり前」といった慢心などが複合していると思われるが、開発援助に対する視点は年々厳しくなっている。
 一方で、政府とメディアは従来ながらの発表の仕方を維持している、ということである。
 開発援助の額を示されて、日本人のどれくらいが従来通り「立派な日本」に満足して、どれくらいが「日本人の生活も苦しいのに」と不満に感じるのかはよくわからないが、一つには政府がそういったマーケティングに失敗している、とは言えるだろう。


もちろん、GNIの0.7パーセントというのが先進国に課せられた開発援助の目標額で、現在まで日本は米国と並んでドベ争いを繰り広げている。
 質の向上は必要だが、同時に開発援助の総額は増やしていかなければ、地球は貧困と環境の問題で崩壊してしまう、ということはいくら強調しても強調したりない。
 その上で、開発援助が適切なものかどうか、というモニタリングは、政府と独立のジャーナリストやアドボカシー系NGOによって行われるというのが国際的に共有された枠組みであり、そこがほぼ完全に欠落した日本社会で、ファンドへの出資がいかなる回路で検証・正当化されるか、ということの議論も必要である。
 反発の仕方が適切でない面はあったかもしれないが、反発を呼ぶのは必然である、とも言えるわけである。


ここで重要なのは、この反発を、日本社会が国際問題を共有することから逃げる形で引きこもるような方向に導くのでも、また政府を賞賛して終わらせるのでもなく、国際社会で応分の責任を果たせるように、強い市民社会を作っていく機会にすることであろう。

2017年9月14日木曜日

科研費特設審査領域「高度科学技術社会の新局面」

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今年度の科研費の公募を見ると、特設審査領域として「高度科学技術社会の新局面」という枠組みが提示されている。


 説明によれば以下のようなことらしい。

2017年6月27日火曜日

「左翼によるグローバリゼーション批判は消え去ってはいない」(ATTAC フランスのドミニク・プリオンへのインタビュー)

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 「その反緊縮とあの反緊縮は一緒ですか!?」という記事に多少関連して、1990年代後半から盛り上がった左派の反グローバリーゼション、反ネオリベラリズム運動について、それが右派に簒奪されたように見えている現状について、ATTAC フランスで長らく活動を続けている経済学者のドミニク・プリオンへのインタビューを訳出してみた。
 原文は”»Left-wing critiques of globalization have not disappeared« An interview with Dominique Plihon (Attac France) | The Great Regression”。




◎ATTACは反グローバリゼーション運動最盛期の1998年に設立されました。グローバリゼーションは今日、重要な論点として帰ってきたが、それは右派の論点としてでです。大統領選挙期間中、トランプはNAFTAの正統性に疑問を表明し、マリーヌ・ル・ペンは「野蛮なグローバリゼーション」に注意するよう呼びかけていました。この「右派からの反グローバリゼーション言説」をどう考えるべきでしょうか?


ドミニク・プリオン: この展開には二つの主要な原因があります。最初に、ネオリベラルなグローバリゼーションによってもたらされた社会的及び経済的危機が、右派に利した、ということです。次に、所謂「進歩的な政府」がネオリベラルな政策を実施し、失敗したということです。フランソワ・オランドが社会主義者の理念を裏切り、それがマリーヌ・ル・ペンの躍進を助けた、というのが良い例でしょう。


◎社会的、経済的危機という点についてもう少し聞かせてください。
 理論的には、進歩的左派勢力はこの展開から利益を得られたはずです。なぜ、右派がグローバリゼーションに対する人々の怒りを独占的に管理することになったのでしょう?


プリオン: それにはいくつかの理由があります。一つは右派が人々に、危機の原因は公共支出の過剰と税制、政府の政策の失敗といったことにあると人々を信じさせたからです。もう一つの右派支配の理由は、古臭い「TINA(オルタナティヴは存在しない)」という経文(マントラ)にあります。


◎ドイツの新聞 Süddeutsche Zeitung は、「グローバリゼーションは終わったか」という問いを扱う特集を始めました。あなたはどう考えますか?


プリオン: グローバリゼーションが終わったと考えるのは誤りでしょう。私は、私たちが1サイクルの終わり、次のサイクルの始まりにいる、と表現するのを好みます。いくつかの政府(アメリカ合衆国や中国)は彼らの政策を変えつつあります。中国では、輸入に主導された成長は疑問視され始めています。米国でも「自由貿易」というイデオロギーが同様の議論にさらされています。さらに、私たちは、グローバリゼーションの主要なアクターである多国籍企業も彼らの戦略(例えば、彼らのサプライ・チェーンを小さくする、と言った)を変更しようとしているのを見ることができます。と言っても、それは彼らの「グローバルなアクター」という役割が放棄されるということではありません。

 私の視点は、フランスの歴史家フェルナン・ブローデルのものと同様、グローバリゼーションは資本主義の最初から存在した、というものです。グローバリゼーションは新しい形態を取りつつ、資本主義がある限り、今後もあり続けるでしょう。

◎先にあげた記事で、SZ紙の編集者 Johan Schloemann は「左翼のグローバリゼーション批判に何が起こったというのか? 彼らの全てが右派に移籍したとでもいうのか?」と問うています。


プリオン: グローバリゼーションに対する左翼からの批判は消えてしまってはいません。アルテルモンディアリスト運動の知識人や活動家は多くの国で依然として活発です。2016年にはモントリオールで世界社会フォーラムがあったことも、左翼の運動がまだ生きており、機能していることを証明するでしょう。これらの運動が見えても聞こえても来ない、という人がいるとすれば、それは支配的な経済的権力にコントロールされた企業メディアの力とか、あるいは右翼の反グローバリゼーション・イデオロギーの勃興、と言った諸条件によるものでしょう。しかし、もしアルテルモンディアリストの運動がいつも見えているという訳ではないとしても、それらは社会運動、自由貿易協定や租税回避に反対する動員の組織化と言ったことを下支えする重要な役割を果たしているのです。

◎いくつかのドイツのメディアで(フランスもおそらく同様だと思いますが)、ジャン・リュック・メランションは彼のEUとグローバリゼーション一般に対する批判的なスタンスのせいで「ル・ペンと同じくらい危険」と評されています。メランションに対するあなたの立ち位置はどういうものですか?


プリオン: はい、ジャン・リュック・メランションは既存の経済的・政治的秩序を変えたいと思っており、そのために支配的なブロックからは危険だと受け止められています。(メランションの政党である)France Insoumise (不屈のフランス)の目標は、政治組織を再構築し、社会的・経済的変容を組織することで民主制を回復する、ということです。これを、ル・ペンの反民主的で排外主義的な国民戦線と同一視することは、大きな間違いです。メランションの選挙運動は、彼の企てが多くの若者や中産階級の人々の熱意と繋がった、という点で大成功でした。彼が大統領選の決選投票に進出できなかったとしても、彼の選挙運動は左派に新しい根源的な政治的パワーを創り上げたるために非常に有効でした。


◎知的で進歩的なグローバリゼーション批判とは、今日いかなるものであるでしょうか?

プリオン: ネオリベラルなグローバル化を批判する一つの方法は、多国籍企業の利益のために労働者を支配すること、資本と商品の完全な流動性、国家間のグローバルな競争と言ったことを強いるグローバリゼーションそのものを、我々がひっくり返すべきだ、と言うことです。アルテルモンディアリストは対照的に、理念としてのグローバリゼーションに反対するのではなくて、競争ではなく人々と国々の連帯に基づく、労働者を支配するのでなく生産の民主的な組織化に基づく、NAFTA, TTIP, CETAといった危険な自由貿易協定ではなく、社会的・環境的目標を尊重して厳しく規制された金融システムと貿易協定に基づく、オルタナティヴな形態のグローバリゼーションのために戦うのです。


◎グローバリゼーション批判の第一波の最盛期において、多くの活動家と学者は、世界がフラットになり経済がグローバル・レベルで行われるようになり、国民国家が経済の成果に与える影響は失われていく、と論じていました。したがって、私たちに必要なことは、国家間の、より超国家的な協調であると考えられ、「グローバル・ガバナンス」がバズワードでした。この観点について、良い動きがあったかどうか、どうお考えでしょうか?

プリオン: それは現状に対する間違った捉え方だと思います。なぜなら、国家的、地域的空間はほとんどの経済的アクターに対して今日でも極めて重要な役割を果たしているからです。そして、ほとんどの人々に対しても、同様です。この事実を明確にしておくことは非常に重要です。なぜなら、もし国家的、地域的空間が重要だと言うことに同意するなら、それはあなたが、国家的、地域的空間を基礎にして、ポリシーというものを持っており、法規制というものを持っており、民主制というものを持っている、ということを示しているからです。21世紀初頭という現時点において、世界がフラットである、もしくはフラットになれると考えることは、ユートピア的であるか、少なくともミスリーディングであると言えるでしょう。

 もし今日の世界を見渡せば、また未来予測においても、ここ数年あるいは数十年という長さでは、地域レベルでは大国や国家グループが重要な役割を果たし続けるでしょう。例えば(それが危機に陥っているとはいえ)EUでは、ドイツだけではなくフランスやスペインといった、いくつかの国はより重要な役割すら果たしえます。もしアジアを見れば、中国と日本が地域で支配的な役割を果たしています。そして、時々は彼らの間に政治的な緊張が生じるとはいえ、彼らはEUがそうしているのと同様、貿易や地域の通貨政策を作り上げています。そのため、私たちがフラットな世界に住んでいるという考え方は、間違っているのです。

◎タックス・ヘヴンはグローバリゼーションを政治的にコントロールすることが失敗に終わっていることを示す、最も重要な事例であると考えられています。この状況に失望していますか?

プリオン: 今日、グローバリゼーションの政治的コントロールはまだ機能していない、というのは否定し難い事実です。しかし、もし租税回避の例を取れば、それは過剰に楽観的かもしれませんが、しかし、租税回避について考えてみれば、若干の進歩は見られるわけです。また、重要な抵抗運動が世界の各地で起こっているのを私たちは目撃しており、しかもそのいくつかは成功しているわけです。例えば、ヨーロッパでは私たちは、租税回避の問題に取り組み、いくつかの勝ち星を納めました。私たちがすでに最終的な勝利をものにした、とは考えていません。しかし、いくつかの勝ち星は得たのであり、将来もそれは可能でしょう。なぜか? 人々の意見は徐々に変化してきています。私たちの国、地域の人々は、租税回避という点から何が起こっているか、知っています。多くの負の影響があるわけで、人々はそれを知っているわけです。それは公的債務をつくりだしており、多くのお金が政府の歳入の流れに入るのを防いでもいるわけです。人々は、それが健康や教育やその他の問題に公的な資金を当てる最大の障害がそれだということを知っているわけです。それは彼らを怒らせています。誰がこの租税回避から利益を得ているでしょうか? 富裕層と多国籍企業です。一方で、中間層や労働者は税金の支払いから逃れることはできません。公的な怒りは多くの国々で膨らんでおり、これは将来、私たちがより効果的に租税回避問題と戦うことを助けるでしょう。


 したがって、私たちが正しい方向に努力するなら、時間はかかるでしょうが、私たちが勝利するでしょう。もしCETAやTTIPのような自由貿易の問題についてみてみると、状況は異なっているでしょう。私たちは、今のところいかなる勝利にもたどり着いていません。人々の多数は自由貿易協定に強く反対しているにもかかわらず、エリートと経済的な権力は同時にこれを前に進めようとしています。にもかかわらず、私たちが過去に見たように、それらの協定はとても危険なものであるという事実から、将来、公共的な意見と社会運動が勝利を獲得すると考えています。

◎NAFTAへの憂慮に関して、奇妙な展開があったと言えるのではないでしょうか? それに反対し、メキシコの農家にとって良くなく(それは潜在的に移民の引き金を引き得るのだ)、また米国の鉱業労働者にとっても良くない(それは潜在的に排外主義的な怒りの引き金を引き得るのだ)と論じていたのは普遍主義的な左派でした。今、トランプが、メキシコや正体不明の権力がNAFTAを米国に押し付けたのだとでもいうように振舞っています。この視点の変化をどう説明できるでしょうか?

プリオン: NAFTAはそれぞれの政府の支援を受けた米国とカナダの多国籍企業によって勧められました。三ヶ国の経済エリートも関わっています。最初から私たちは、NAFTA が三ヶ国の労働者の多くを相互に対立させるだろうと知っていました。なので、現在、保護主義的、排外主義的な政治勢力がNAFTAがつくりだした社会的災害から利益を得ているのは驚くべきことではありません。


◎ATTAC はフランスで今、何をしていますか?


プリオン: 私たちが今取り組んでいるアクションの一つは、市民的不服従の呼びかけを進めることです。私たちは例えば、銀行やマクドナルドのような税金を払っていない多国籍企業に入り込みます。そこで、デモンストレーションをしたり、メディアの興味を引くように窓にペインティングしたりし、そうすることによってより多くの公衆の注目を、租税回避の問題に集めようとしています。世論はこれらのアクションを支持しており、私たちをそのことで批判したりはしません。政府や多国籍企業といった政治勢力は、今や租税回避に抗議する世論の動員について、考慮に入れざるを得なくなっています。


◎これまでの間、ATTAC は合算課税を支持してきました。そういった税方式のメリットはなんですか?


プリオン: 合算課税は、多国籍企業に、彼らの実際の活動があった場所で税を支払わせることによって、租税回避を減らす効率的な方法です。

2017年6月22日木曜日

その反緊縮とあの反緊縮は一緒ですか!?

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 最近「日本の左派は反緊縮を唱えないからダメだ」という議論をよく聞く(例えば「なぜ日本の左派で反緊縮が主流になっていないのか? - Togetterまとめ」)。曰く、「欧米では反緊縮は左派の政策」であるらしい。これは果たして事実であろうか?
 率直にいうと、わが国で「反緊縮」を唱える人々のいう「反緊縮」(以下、反緊縮(日)とでも呼称しよう)と、「欧米では」と言われる時の欧米左派のいう「反緊縮」(同様に反緊縮(欧)と呼称しよう)は、もちろんかぶる部分はあるが、本質的には別物である。

2017年6月2日金曜日

「トランプ政権下アメリカの科学・技術と科学者: 全米科学振興協会(AAAS)年次総会での議論を中心に」『科学』2017年5月号掲載

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 ドナルド・トランプ大統領がアメリカのパリ協定離脱を表明しました。

 それに合わせて、というわけでもないのですが、ちょうど掲載誌発売からひと月経ちましたので、岩波『科学』2017年5月号に掲載されました「トランプ政権下アメリカの科学・技術と科学者: 全米科学振興協会(AAAS)年次総会での議論を中心に(PDF)」を公開します(岩波書店より頒布許諾済み)。
 (※他にも政治と科学に関する重要な論文が掲載されておりましたので、もし興味を持っていただいた方は、雑誌の方もご購入いただければ幸いです)



 link: 春日 匠 - 研究者 - researchmap

2017年5月29日月曜日

国連事務総長と安倍首相の会談に関する「誤報」について

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 産経新聞が、イタリアにおけるG7サミットに関して"国連事務総長が慰安婦の日韓合意に「賛意」「歓迎」 テロ等準備罪法案批判「国連の総意ではない」”という記事を配信している。
 要するに、韓国との「慰安婦問題」合意や共謀罪に対して国連において人権上の懸念が議論されていることに対して、それらの疑念を呈している機関が例外的な対応をしているだけだと主張したいらしい。


 それに対して、国連事務総長のサイトに「記者へのノート: 事務総長と日本の安部首相とのミーティングに関する質問への応答として」という記事が上がっている。
 この日本での報道が事務総長の意図を(読解力不足ゆえか、意図的かはともかく)捻じ曲げているということに懸念を表明しているものと言える。
 たいして長くもないので、以下に全文を翻訳しておく(国際政治上の定訳とかに詳しいわけではないので、間違いがあればご指摘いただきたい)。

記者へのノート: 事務総長と日本の安倍首相とのミーティングに関する質問への応答として

事務総長と日本の安倍首相とのミーティングに関する質問への応答として、報道官は以下のように述べた。


 シチリアでの会見において、事務総長と安部首相は所謂「慰安婦」の問題について議論した。事務総長はこの問題が日本と大韓民国の間の協定(an agreement)で解決される問題であるということに合意した。事務総長はいかなる特定の協定の内容についても彼自身の判断を下したものではなく、問題の本質と解決の内容を決定するのは二国間に任されているという原則を述べたものである。


 特別調査者に関して事務総長は首相に、特別調査者は独立した専門家であり、人権理事会に直接報告する、と述べた。


  こんなニュースは海外のメディアは追わないだろうし、産経新聞としては言ったもん勝ちだと判断したのかもしれない。
 典型的な「ポスト真実」手法というべきであろう。
 もちろん、こう言った形で日本のメディアしか見ていない人々をグローバルな文脈から切り離し、「わが国が正しい」という情報だけを与えるというのは、いかなる意味でも好ましくない。