2017年1月8日日曜日

ウゴ・チャベス その革命と失敗

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 先の「"脱成長"議論のためのメモ」で「ベネズエラ経済の失敗」という言い方をしたので、そのあたりについて自分の見解を整理しておく必要があるかな、とおもいまして、記事を書いておきます(いつものことであるが、さくっと書くつもりが、長くなった…)。


1. 南米主要国の政治潮流

現在、南米主要国の政治は三つの潮流に分かれている。
 第一のグループは、南部にあるチリ、アルゼンチン、ウルグアイにある、中道左派が主導する政権が存在する地域である。
 かつて「アメリカ合衆国の裏庭」と呼ばれ、親米右派ががっちりと支配していたこの地域でも、21世紀に入って次々と左派政権が誕生した。
 そのうち、第一グループの国々は、比較的所得や識字率が高く、また文化的均質性が高い(これは、この地域の先住民は多くが虐殺されて消滅した、ということでもある)。
 このうちアルゼンチンとチリは選挙による中道右派と左派の政権交代が見られるようになり、ウルグアイだけはバスケス→ムヒカ→バスケス、という左派のタンデムが続いているが、国内情勢は安定しており、いずれはここも政権交代を行うようになるだろう。


一方、北部の国々は相対的にGDPが低い。
 その中で、コロンビア、ペルー、パラグアイといった国々は、現在でも親米的な中道右派政権が支配を続けている。
 また対照的にベネズエラ、エクアドル、ボリビアは極左政権が誕生し、現在も支配を続けている。
 パラグアイも2008年、カトリック司祭で「解放の神学」派のルゴ氏が還俗し、大統領選挙を制したが、この政権は2012年に議会による弾劾を受け崩壊、2013年からは右派のコロラド党が政権に復帰した。

ボリビアは先住民の多い南米最貧国だが、先住民運動から出発し、水道の民営化反対運動などで脚光を浴びたエボ・モラレス大統領が、初の先住民系大統領として2005年の選挙を制した。
 エクアドルは左派の経済学者であるラファエル・コレアが2006年に大統領になっている。
 そしてベネズエラであるが、これの国々に先駆けて1999年にウゴ・チャベスが当選している。


そして、南米最大の国家であり、また唯一のポルトガル語国家でもあるブラジルに関しては、2002年に労働者党のルラ大統領が誕生している。
 ルラ政権は、思想的には上記の極左系に属するが、しばしばチャベスらのグループと南部の穏健左派グループの中間的な位置を占め、アメリカや西側諸国との外交チャンネルも維持するなど、中間的な立ち位置にとどまってきた。
 ルラ政権も憲法規定通り二期で退陣し、後継候補としてジルマ・ルセフ官房長官を指名した。
 ルセフも順調に当選し、同国初の女性大統領となったが、昨年(2016年)弾劾を受けて政権を連立を組むブラジル民主運動党党首で、副大統領であったミシェル・テメルに譲った。


全体としてみれば南米はかつてのようにアメリカが支配圏を誇示できる状態ではないが、一方で2010年ごろを境に、中道左派から極左系の政権が勢力を誇った状態からは徐々に揺り戻している。
 この状態がなぜ起こったか、ということが本論の焦点である。


2. 青年将校ウゴ・チャベスの反乱

ウゴ・ラファエル・チャベス・フリアス1954年、はベネズエラの地方都市で教師をしていた両親のもとに生まれた。ヨーロッパ系、黒人、先住民の血を少しづつ引いており、そのことを誇りにしているとしばしば語っていた。
 成績優秀だったチャベス少年は、士官学校に進み、そこで様々な思想にであった。
 チャベスが学んだ1970年前後は、南米各地で左派政権が誕生し、そしてアメリカ合衆国の介入により崩壊していった時期であり、そうしたことに若いチャベスは義憤を隠そうとせず、早いうちから士官学校内部でも危険視されていたようである。
 しかし、優秀だった彼は士官学校を卒業、エリートと言える空挺部隊に配属され、最終的には大尉にまで昇進する。


 1989年に首都カラカスで貧困層による暴動が勃発し、ペレス政権による鎮圧作戦によって多数の死傷者が出ると、軍内部に政治的ネットワークを作っていたチャベスら若い将校たちの怒りは頂点に達し、実力行使が決断される。
 そして、1992年、チャベスを含めた三人の大尉を中心とするクーデターが勃発する。
 このクーデターは、ペレス大統領が(ネオリベラリズムの祭典とみなされていた)ダヴォス会議のために国を離れたすきに実行された。
 クーデターはすぐに鎮圧され、チャベスはテレビ演説ののちに投降し、投獄される。
 ここで、彼は方針を転換し、合法的な政治運動に邁進するようになる。
 クーデター登校時の演説が彼を国民的なスターにしていたこともあり、1999年の選挙でウゴ・チャベスは大統領に当選する。
 当選後すぐにチャベスは憲法制定議会の選挙を実施、大規模な改革に乗り出す。
 チャベスの改革は、医療制度(キューバから医療支援を受けて貧困層への無償医療を提供)、農地改革、生活必需品の価格統制、公営住宅の供給などに及んだ。
 それらを可能にするため、ベネズエラ国営石油公社への統制を強めた。


もともと、ベネズエラは産油国であり、国家としてはボリビアやエクアドルよりかなり豊かである。
 しかし、公社は実質的にアメリカ合衆国の支配下にあり、アメリカはベネズエラをOPEC産油制限のさいの「隠しポケット」として扱ってきた(従って、同国はOPEC加盟国だが、同時に産油制限協定破りの常習国でもあった)。
 ここからの収益は一部の支配層を潤すのみで、貧富の格差は極めて深刻な状態にあったことが、チャベスの革命が大衆に支持された理由であろう。


これらのことを見ていくと、チャベスの根は我々が昨今諸外国で見るようなさは運動というよりは、例えば日本の二・二六事件のような、「青年将校の反乱」が政権にまで結びついたものだ、ということができる。


一方、隣国ブラジルのルラ政権は、極めて教科書的な「左派的大衆反乱の成功例」である。
 1945年に生まれ、スラムに育ったルラは12歳の頃から靴磨きなどで生計を立てる生活を送ってきた。
 その後、プレス工としての職をえ、鉄鋼労働者組合活動のリーダーとして頭角を現していく。
 1980年には、労働者党の発足メンバーに名を連ね、1989年には同党の公認候補として大統領選に挑んだ。
 そして、数度の落選を経て、2002年についに大統領に当選する。


ルラを生んだ労働者党は、南米の既存左派が権威主義的、エリート主義的であった(そのためーもしアメリカ合衆国の介入で倒されなければー容易にアメリカによって買収された)という反省のもと、「参加型」であることを重視し、各地での草の根の対話を活動の基本にしてきた。
 この点は欧州の左派などに極めて強い影響を与え、現在のシリザ(ギリシャ)やポデモス(スペイン)のような政治運動の源流とみなされる。
 特に、南部のポルト・アレグレ市では早くから政権を確保したが、市の予算について、誰でも参加出来る直接会議の場所で優先順位を決定し、議会はそれを尊重しなければいけないという「参加型予算」制度を発足させた。
 この壮大な実験は21世紀型の社会運動として話題を呼び、全世界から労働組合や環境活動家が集まって議論する「世界社会フォーラム」の会場としてポルト・アレグレが選ばれた。
 世界社会フォーラムは2001年から2003年までの3回、また2005年にも同市で開かれた(写真は2005年の世界社会フォーラムに併催されたイベントで演説するチャベス)。
 この参加型の手法は、労働者党を脱中心型の運動として組織し、様々な社会的圧力をはねのけて組織を維持するのに役立っている。

Hugo Chavez


チャベスも、自身の社会運動を組織する中でこういった参加型手法の導入と、それによる南米型クライエンタリズムからの脱却の必要性を述べている。
 彼は自分の支持層である貧困層への無償教育の普及を急ぎ、また「ボリバル・サークル」と呼ばれる地域の互助会を組織することを奨励した。
 しかし、そういった草の根の分厚い支持基盤ができるには時間がかかる(ルラと労働者党は発足からだけを数えても20年以上を、そういった草の根運動に費やしたわけである)。
 こうしたことはチャベス自身も自覚していたようで、インタビューなどで自分と民衆の間で立ち回ろうとして党派的なグループを作ろうとする人々を、わざわざ「チャビスタ」と名付け、その排除が必要だと述べている。
 しかし、それは(チャベスが本気だったと仮定して)可能だろうか?


3. チャベスの革命とその敗北






 2002年4月に、CIAはベネズエラ軍部と共謀し、チャベス政権を追放する大規模なクーデター計画を実施する。
 かつてチリのアジェンデのような左派指導者に行われたことと、まったく同じことが行われたわけである(この経緯については、2006年に放送されたNHKスペシャル「脱アメリカ宣言 ベネズエラ  7年目のチャベス革命」で、チェ・ゲバラの暗殺にも関わったことで有名なCIAのエージェント、フェリス・ロドリゲスが赤裸々に語っていて興味深い)。
 一時、チャベスは大統領府から拉致され、大統領位を明け渡すように脅迫された。
 ベネズエラ商工会議所連合会のペドロ・カルモナの暫定大統領就任もアナウンスされた。
 しかし、チャベスを支持する民衆が大統領府を取り囲み、大統領警護隊を中心として軍の大半がチャベス支持を明確にし、反乱部隊の鎮圧に取り掛かり、クーデターは2日間で収束した。


このことは、チャベス政権に対する軍と民衆の支持が厚いこと、またアメリカ合衆国の影響力はかつてほどではないことを内外に示した。
 その後もボリビアなどで左派政権に対するクーデター計画は実施されるが、いずれも成功には至っていない。


一方で、このころからチャベス政権の強権化が目立つようになる。
 クーデターの最中、大資本によるベネズエラ民放4社は、大統領派の民兵が民衆を射殺する映像を繰り返し流し、チャベス政権の強権ぶりを内外に宣伝したが、この映像はのちに大統領派とクーデター派の交戦の様子と、射殺される市民というまったく別の映像を巧みに組み合わせた偽の映像であることが明らかになった。
 このことからチャベスはこれらの報道機関に対する不信感を強め、報道統制的な法律を導入することで内外から批判されるようになる。
 また、それまで同盟関係にあったキューバに加えて、アメリカ合衆国に敵対的な国々(ロシア、中国、イラン)との国交関係を強化し始める。


国内メディアに対して苛立ちを募らせたチャベスは、2005年にはアル・ジャジーラをモデルにしたニュース専門のテレビ局 TeleSUR を発足させる。
  TeleSUR には、エクアドルやキューバのような盟友国家に加えて、ウルグアイも出資している。


チャベスは、少なくとも建前のレベルでは国内の社会関係資本を充実させることを目指しており、貧困層のリテラシーが向上することが自分の支持基盤の強化につながるはずだと信じていた。
 そのため、貧困層に対しては衣食住だけではなく、教育の機会の提供を続けた。
 これらの資金は、豊富な石油資源からの収益に依存していたが、それだけでは長続きしないことも意識していた。


そのため、アメリカ合衆国が進める「グローバルな自由貿易」が弱肉強食であり、第三世界諸国は著しく不利な状況に置かれていると主張し、その代替案を広げていくことが重要だ、と考えていた。
 これをチャベスはしばしば、「ボリバル主義代替構想」"Alternativa Bolivariana" と呼んでいる。
 これは、当初アメリカ合衆国による経済封鎖に苦労していたキューバに対してベネズエラが石油を供給し、そのかわりにキューバから医師を派遣してもらったという取引をモデルに、経済原理ではなく、必要性に応じた国際貿易を、という思想である。
 このために、チャベスは(アメリカ合衆国が主導し、最終的には頓挫した南北アメリカ自由貿易協定 FTAA を痛烈に批判すると同時に)、米州ボリバル同盟(ALBA)を結成した。
 キューバ、エクアドルなどが加盟したこのグループではまた、ドルに代わる貿易決済のための仮想通貨であるスクレの導入を目指している。
 また、世界銀行に代わる開発銀行としての「南の銀行」(Banco del Sur)やアルバ銀行(Banco del ALBA)も構想された。
 これらは、自身も経済学者であるエクアドルのコレア大統領との緊密な連携の元、推進されており、たとえばスクレの決済は2010年から実験的に両国の間で始められた(図はエクアドルの大統領の下に置かれた"新しい金融構造デザイン委員会"の議長を務める経済学者ペドロ・ペレスの発表資料 -2011年8月 フライブルクにて-から)。


こういった、国際経済に連帯経済的な発想を埋め込む、という壮大な試みは、チャベスの死によって消滅したわけではないが、彼の死とベネズエラ経済の混乱によって、大幅な遅滞を余儀なくされている、とは言えよう。
 ベネズエラほどの混乱は見られないにせよ、当初同様に理想主義的だったエクアドルとボリビアの政権も、その支持基盤であった社会運動との亀裂が随所に発生するなど、順風満帆とは到底言いがたい状況にある。


これは、社会運動の方向性に対する一つの対立を想起させる。
 チャベスに近いフランスのジャーナリストであるイニャシオ・ラモネが述べる通り、「社会運動に関与する左派は積極的に政権を取りに行くべきだ」という考え方と「現状の世界経済のシステムでは政権を取ってもオプションは限られているので、政権外部の批判勢力にとどまるべきだ」という考え方がある。
 ベネズエラ、エクアドル、ボリビアの反米政権は、当然前者の考え方を体現しているし、そう考える世界の左派にとっては希望の星であった。
 後者の代表例はメキシコのチアパス・サパティスタ運動の指導者、マルコスである。
 2006年のメキシコ大統領選は同国史上類のない接戦となったが、マルコスは左派の候補者ロペス=オブラドールが勝利することが左派の伸張につながらないと主張し、選挙のボイコットを訴えた。
 そのために、僅差で右派のカルデロンが勝利した時は、サパティスタが戦犯であるという批判が集中した。


しかし、チャベスやエクアドルのコレア政権が国家運営と人道的要求の中で苦悩し、時として人道的要求を抑圧するといったことが起こっていることを見れば、こういった立場にも一定の理があるかもしれない。
 もちろん、チャベスのような立場の人からすれば、それでもやるだけの前進はある、ということになろう。


第三世界の左派が政権を取るべきだと、政治権力獲得を批判する側が判断できる時というのはいつだろうかと考えれば、一つには先進国(の政権)が第三世界の左派政権をフェアにあつかうようになってから、ということになろう。
 例えば、エクアドルのコレア大統領は熱帯雨林が広がり先住民が居住するヤスニ地区の油田開発を中止する代わりに、それによって抑制される二酸化炭素排出などを評価し、「開発ではなく、開発中止に」国際社会が資金を提供するように呼びかけるヤスニITTイニシアティヴを開始した。
 日本でも無印良品のような企業が理念に共鳴してファンドの立ち上げを行ったが、最終的な支援額はエクアドル政府の設定した金額には届かず、コレア大統領は計画の放棄を宣言した。
 もちろん、実際にはコレアの設定した金額が過大であり、もともとヤスニ計画は先住民やその支援者を納得させるために名目的に設定されたに過ぎず、失敗することは織りこみずみだった、という批判もある。
 しかし、ゆたかとは言えない財政に苦しむ多くの第三世界政府にとって、外部的な援助なしに国内の人道問題を解決していくことが難しく、左派政権は常にジレンマにさらされ続けることになる、というのも事実であろう。


5. チャベスの晩年とエクアドル経済の崩壊




ベネズエラ経済の崩壊の原因は明らかにチャベスの死と原油価格の長期的な低迷である。
 後者に関して言えば、ベネズエラの原油は質の悪いタール・サンドであり、中東の高品質な原油が安く手に入るうちは需要が少ない。
 チャベスは結局のところ、原油に変わる経済の基盤を構築することができなかったわけである(そのために十年ちょっとでは短すぎた、という情状酌量の余地はあるかもしれない)。


また、2011年に再選した直後にチャベスにガンが発覚し、三期目はほとんど人前に出なくなる。
 この直後から同国のインフレ率は急上昇を始める。
 結局、チャベスは2013年に死去し、マドゥロ副大統領が暫定大統領に就任する。マドゥロは直後に行われた大統領選挙を制するが、マドゥロ政権でインフレ率はさらに上がり続けることになる。

Venezuela historic inflation vs. oil revenue.png


By ZiaLater - Own work, CC0, Link


 マドゥロは元バス運転手であり、労働組合で頭角を現した人物である。
 軍人を後継指名しなかったのはチャベスの良識であろうが、文民のマドゥロでは軍や石油公社の利権構造に対する抑えがきかなくなった、という見方もあるかもしれない。
 チャベス政権下でも、また実際のところマドゥロ政権になってからも、ベネズエラのドル建てGDPそのものは成長を続けているので、国内のインフレや物資の不足は「富がどこかに消えている」という状態である。
 チャベス以前の、一部のものが罪を収奪する構造が復活してきているわけである。
 ブラジルの労働者党政権は崩壊したが、労働者党や関係する社会運動(例えば土地なき農民運動)の築いた草の根のネットワークは機能しており、ブラジルは今後も一定の速度で政権交代を含めた民主制、流動生を維持していくであろう。
 しかし、マドゥロ政権が崩壊した後(そのこと自体はもはや時期の問題だし、それ自体は好ましいことだと思う)ベネズエラがそれでもここ十数年で獲得したデモクラシーを、まったく手放すことになりはしないか、というのは危惧されるところである。

2017年1月4日水曜日

「脱成長」議論のためのメモ

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 日本ではあまりアカデミックに脱成長を研究している論者がいない一方で、反脱成長論のほうが声が大きい印象がある。
 ただ、この双方は大概の場合、論点がかみ合っていない。
 要するに「成長」支持派はGDPが持続的に増大していくことが大事だと言っていて、それは資本主義というものが「成長産業に資本を投下して、投下した資本が増えて戻ってくる」ことを期待する投資家が投資先を探す、というモデルで作られているから、そこが機能しないと資本主義社会そのものが法界するじゃないか、という危惧を抱いているのであろう。
 (そもそも我が国で「資本家」がリアル・エステートを担保に取らなくても「成長産業を探して投資する」なんていう資本家としての役割を放棄しているからの低成長なんじゃないのか、というツッコミはあり得ると思うが、ここではグローバルな資本主義社会の問題が論じられているということで、置いておく)
 一方、脱成長派は主に「環境の限界」を懸念している。
 人類経済の成長は、環境からの収奪によって成立してきており、先進国ではこれ以上の収奪は生活レベルを上げない上に、地球環境という我々の生活を支える土台そのものを突き崩しているのではないか、ということである。
 なので、脱成長派としては「環境負荷が増大しない形でGDPが上昇したとしても、それは<脱成長>という理念と不整合は起こさない。ただし、そういったことはあまり起こりそうにない(/不可能である)」と考えている、ということになる。
 例えば、指標としのてGDPは不十分だということで、GDPから環境影響(外部経済)を引いた指標を作り、その指標の上昇にインセンティヴが働くようなグローバル経済を構築する、といった「改善案」は考えられる。
 ただ、こういった考え方は「脱成長」原理主義者がいれば、それは改良主義に過ぎないと批判されるだろうし、「成長」原理主義者からもあまりいい反応は得られそうにない気もする。
 それに、そもそもそういった構造を構想することは大変難しい(マルクスやケインズ級の「大経済学者」の登場が待たれるところである)。
 とりあえずは国際的な環境課税の制度をつくってしのぐ、というのは当面の目標になるだろうが、おそらくそれだけでは十分とは言い難いだろう。
 成長主義者は「GDPの成長と環境保護がニュートラルないし相乗効果を得られる経済領域はいっぱいある」と主張するかもしれない。
 特に相乗効果が得られるところが「グリーン・エコノミー」と呼ばれるが、はたしてグリーン・エコノミーが世界経済を支えられるほど大きくなるか、というのも疑問である。
 ニュートラルな経済になりうる領域の例として、情報、サービス、イノベーション産業などが考えられる。
 昨年、『認知資本主義』という本の出版に関わらせていただいたが、これはまさに「認知資本主義」の領域の話である。

 しかし、これらの産業は富の偏在を加速させるのではないかという疑念を払拭できない。
 かつて、アンディ・グローヴなども述べていた通り、典型的なテック企業は収益あたりの雇用者数は伝統的な工業より少なく、また技術が進むごとにその傾向は加速する。
 もちろん、Apple のような企業がFoxconnに代表されるアジアの企業に委託している分を含めれば、グローバルには少なくない仕事が生じているわけだが、この部分は伝統的な「環境影響を無視できない伝統的な工業」である。
 また、かつてフォードやトヨタで働く工場労働者は「熟練工」として扱われたが、技術の発達によってこれらの人間が行う作業は非熟練労働としての側面を強め、賃金はそれにともなって低下している。
 この先、さらに技術がいらなくなるのか、そもそも人そのものがいらなくなるのか、いずれにしてもイノベーション部分を担う「高級人材」と、それ以外の人材の給与格差が(なんらかの介入がなければ)拡大するという予測されよう。
 (また実際は、ちょっとした「名声」の差で、認知的生産を担う人材の間の格差も容易に増大する)
こう考えると、我々は、成長、環境、再分配(/労働分配率)というトリレンマを抱えているように思われる。
 成長を環境負荷の少ない経済領域に特化して行うことは可能に思われるが、その場合は労働者一般の所得は犠牲にされるであろう。
 成長を伝統的な工業の振興で行うことは、少なくとも一国レベルではある程度追求できるかもしれない(このあたりはトランプ政権が挑戦することになるだろう)が、その場合は環境に大きな負荷がかかる(また、グローバル経済にも大きな負荷がかかるかもしれない)。
 だとすれば、最後の環境と再分配を重視するという選択肢は可能だろうか?
 おそらく「脱成長」はここを重視している、ということになる。
 これは、三つの選択肢の中では、おそらく最も困難な道であるが、例えば地域通貨や連帯経済といった手法やキャッチフレーズにはこの目的がビルトインされている。
 ただ、「連帯」経済といったときに明らかなように、この分野はある種の社会的信頼(社会関係資本と言い換えてもいい)が不可欠である。
 一方、現在のグローバル経済はこの「連帯」を徹底的に排除するような、相互不信の極大化によって維持されている。
 この転換が容易ではないことは明らかであり、もしかしたら不可能かもしれない。
 (ブラジル労働者党政権の崩壊やべネズエラ経済の失敗を見れば、南米の左派政権はこの部分に挑んだが、総じてみれば退潮期に入っているように見える。一方、ポデモス、シリザ、コービン労働党や大統領選におけるサンダース旋風は、この流れを先進国が引き取って進めるときである、という可能性を示唆しているようにも見える)
 アイディアとしては、衣食住や日常的な楽しみ(イヴァン・イリイチのいう「コンヴィヴィアル」な領域)は定常経済で維持し(グローバルにはわざと互換しにくくした地域通貨と、エクアドルとベネズエラが提唱していたような貿易を管理する新国際通貨などで担い)、認知資本主義領域はグローバル通貨(Bitcoin的なものになるかもしれない)で行い「贅沢をしたい人は後者を稼げる」みたいなモデルは構築可能かもしれない。
 まぁ、いずれにしてもいろいろな可能性があるので、「脱成長」研究というのは今後注力が必要であり、政策的意義も環境課税などの領域に認められるべきであろう、と思う一方で、「脱成長路線でいけば問題はないので、労働運動や財政出動が必要なくなる」という段階ではないのも明らかである…というあたりから議論を始められないものだろうか?
 

2017年1月2日月曜日

お餅が旨い

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毎年、新潟の弥彦もちというのをもらうんだけど、これが、味も舌触りも滑らかで、きちんと腰があって、お雑煮などに入れても煮崩れせず、まあ、パックの切り餅ではちょっとあり得ないぐらい美味しいのである。
で、毎年、せっかくなら自分でも少しは購入しようとウェブサイトを見るのだが、米の時期しか生産してないのか、正月には大体売り切れ、と言うことで、まだ購入できた試しがない。ってことで、毎年、正月早々、自分の忘れっぽさを思い出すわけだ。

…今年こそは年内にサイトを見よう。

2017年1月1日日曜日

明けましておめでとうございます

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Safari to the Lake Nakuru National Park

2016年12月28日水曜日

「証拠を用いた説得に失敗したときに、相手を何が説得できるか?」 by Scientific American

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 アメリカの著名な科学雑誌であるサイエンティフィック・アメリカン誌に「証拠(ファクト)を用いた説得に失敗したときに、相手を何が説得できるか?」と題する記事が掲載されている。
 いかに人々が「ファクト・ベースの」説得では説得されないか(例えば、イラクのフセイン政権は大量破壊兵器を実は保持していなかったという「ファクト」はブッシュ政権を支持した人々を納得させないか)という調査が示されている。
 ただ、「証拠(ファクト)」が失敗したあとの方法論については、筆者の「経験によれば」という記事になっており、若干残念感が否めない。

ただ、その「経験」自体はある程度同意できる者なので、その結論だけここに訳出しておく。
 議論のたたき台としても適当なのではないだろうか。

1. 情報交換で感情的にならないようにしよう
2. 攻撃にならずに、討議になるようにしよう(人身攻撃でなく、ヒトラー視するのでもなく)
3. 注意深く相手の主張を聞き、正確にその主張を言語化してみよう
4. 敬意を持って
5. 誰かがなぜそのような意見を持っているのかについて、あなたがどう考えているか認識しよう
6. 事実認識を変えることが世界観を変えることではない、ということが伝えられるように試みよう

これらの戦略が人々のマインドを変えることに常に成功するというわけではない。
 しかし、この国がポリティカル・ファクト・チェックの絞り上げに疲れている現在、不必要な分断を軽減するのには役立つかもしれない。

2016年12月22日木曜日

「日本にノーベル賞が出なくなる」のは「国立大学に予算がないから」ではなく…: AERA「 頭脳の棺桶・国立大学の荒廃 東大も京大も阪大もスラム化する」ご紹介

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 昨今、国立大学の苦境が伝えられているが、議論は予算についてのものに終止しているように見える。
 しかし、抜本的な問題は、以前「博士はなぜ余るか? 日本の科学技術政策の10年に関する覚え書き」という記事でも述べたように、政策の方針が間違っていることである(リンク先の記事、MovableType を消してしまって文字データだけ残っている状態なので、読みにくくて申し訳ありません)。


 ノーベル賞受賞者たちが「今後、日本でノーベル賞が出なくなるかもしれない」と憂慮しているのを聞くと、ある人は「大学の構造を改革しないと」といい、ある人は「大学にもっとお金をつけなければ」という。
 もちろん、前者に関しては研究者自身から多くの反論が出ている。
 「改革のための費用」(と称するが、実際は組織をなんとか維持してくための費用)を国から交付してもらうために、できもしない「改革プラン」や「中期目標」を捻出することに時間を撮られ過ぎで、肝心の教育も研究も二の次になっている、というのが現在の国立大学の状況だからである。


 一方で、後者については、それはお金はあったらあったほうがいいに決まっているので、研究者たちも表立っては反論しないが、実際はそこは最も重要な点とは言い難い。
 というのも、現在ノーベル賞受賞に至ったような研究がなされた時代は、日本の国立大学がもっとも貧乏だった時代に行われたものであるから、である。
 「昔はよかった」と表現されると、多くの人は(場合によっては言ってる本人すら)錯覚してしまうが、戦後一貫して日本の国立大学は劣悪な環境に苦しんでおり、1990年前後ぐらいにそれはある意味で頂点に達する。

1991年05月28日発売のAeraに掲載された「頭脳の棺桶・国立大学の荒廃 東大も京大も阪大もスラム化する」 という記事は、この状況を明らかにし、日本の科学技術行政に一石を投じることになった(手元に白黒のコピーしかないのでそちらを紹介するが、元記事はフルカラーである)。

2016年12月21日水曜日

資本主義の本質は「リスクをどう裁定するか」の問題であり、奨学金はその手段である (奨学金問題雑感 その2)

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 昨日の記事「教育の受益者は生徒ではなく社会全体であり、給付奨学金は社会的利益のためにある」に続いて、主に経済的側面の問題について。これは二次的な問題であると入ったが、無視して良いわけでもないので…。


NHKが「“奨学金破産”追い詰められる若者と家族」という報道特集をウェブに掲載している(対応する番組があったのかもしれないが、見ていない)。
しかし、タイトルに反して、本質的には「自己破産」が問題ではなく、自己破産できないかもしれないことが問題になるべきであろう(記事は、実際は後半でその問題に触れている)。


「借りたものは返すのが当然」は儒教的な道徳としてはありかもしれないが、「資本主義の倫理」としては合理的ではない。
 これは、奨学金以外でも、あらゆる経済活動について言えることである。