2020年5月27日水曜日

種子はコモンであるべきである: 種苗法改定反対運動を支持する

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 現在、種苗法が議論になっているが、問題の本質は、その背景にあるUPOVと呼ばれる国際条約である。UPOV、正式には「植物の新品種の保護に関する国際条約」は1961年に締結され、たびたび改定されてきた国際条約である。目的は、種子の「育成者権」を知的所有権の一つとして認めることである。しかし、このことには国際的には長い長い議論がある。


 そのためには、まずコモン(ないし複数形でコモンズ)と言う概念を考える必要がある。コモンは、例えば「共有地の悲劇」などの語彙で有名だが、必ずしも「土地」と言うわけではないので、ここではカタカナで「コモン」としておく。元来、人類は生業に必須だが、一人ひとりで独占したり、管理したりすることが適当ではないものを「コモン」としてきた。例えば日本のような農耕文化では、水源や山林は入会地などと呼ばれ「コモン」として管理されてきた。放牧文化では、家畜を放すための土地もコモンであることも多い。また、ヨーロッパ人に土地を売ってくれと言われた先住民たちが、「土地を売る」と言う意味が理解できなかったと言う逸話が世界のあちこちで語られることがあるが、特に狩猟採集を生業の基盤とする文化では、「所有」と言う概念の方が特殊で、むしろ自然のほぼ全てが「コモン」であった。


2020年4月28日火曜日

『ふらっとライフ: それぞれの「日常」からみえる社会 』出版

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 ふらっと教育パートナーズ (編)『ふらっとライフ: それぞれの「日常」からみえる社会 』(2020) 北樹出版 が発行されています。

 元々は高専の人権教育の教科書として考えられていますので、高校生や大学の教養過程レベルの読み物として適切だと思います。

 私は、「第10章 命の源、水を守る人々: インド、ケララ州の社会運動の現場を巡る」を寄稿しました。同章では、南インドのケララ州の住民運動として、自分たちで水道をつくってしまったオラヴァナ村の話と、地域水源を奪ったコカコーラ工場に反対したプラチマダの人々の話を取り上げています。


2020年4月11日土曜日

COVID-19対応に憲法改正は必要ない

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 火事場泥棒とでもいうべきか、新型コロナウィルスによるパンデミックへの対応で、市民の社会・経済活動を抑制する、より強い強制力を発揮するために憲法改正が「極めて重要な課題」であるという発言が、安倍首相自身の口からなされた。報道によれば、日本維新の会の遠藤敬国対委員長に対する回答の中でのものである。Huffington Post が以下のように報じている


遠藤議員の「緊急事態に陥った際、国が国民の生活を規制するに当たって、ある程度の強制力を持つことを担保するにも、憲法改正による緊急事態条項の創設が不可欠だとも考えている」という発言に対し、安倍首相は「憲法改正の具体的な内容等について、私が総理大臣としてこの場でお答えすることは差し控えたい」とした上で、こう続けた。
「あえて申し上げれば、自民党が示した改憲4項目の中にも緊急事態対応が含まれており、大地震等の緊急時において国民の安全を守るため、国家や国民がどのような役割を果たし、国難を乗り越えて行くべきか、そのことを憲法にどのように位置付けるかについては、極めて重く大切な課題であると認識をしております」


 また、パンデミックへの不安の中で、有権者一般や著名人の中からもそう言った発言が出てきてもいるようである。
 これは、日本のパンデミック対応の基本法である「新型インフルエンザ等対策特別措置法」が、欧米の類似の対策と違い、市民に対する直接の影響力を持たず、要請に止まると言ったところによるものがある。例えば、欧米では外出禁止令が実効的な刑罰を伴った措置として施行されており、これを破れば警官に逮捕されるし、罰金や懲役などが貸されることもある。一方、日本でこう言った強制力のない法律での対応を余儀なくされる。


2020年3月2日月曜日

議会で対案を出すのは野党の仕事ではない

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 議会において対案を出すのは野党の仕事ではないし、真に重要な問題の場合、野党は対案を出せません。なぜなら、民主制というのは意見が違う、ということを前提としているからです。「意見が違う」というのは、良しとする社会の方向性が違う、ということです。そして、どの政党の「良しとする社会」を目指すか、というのは基本的に選挙のマニフェストを有権者が比較することで争われることです。議会というのは、当然選挙が終わった後に開かれるものですから、そこではすでに「対案の検討」は終わっている、ということになります。