2006年7月12日水曜日

スウェーデン緑の党Per Gahrtonさんと語る会(7月9日)報告

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  緑のテーブル(現「緑の党グリーンズジャパン」)のイベントで、スウェーデン緑の党の創設者の一人である社会学者ガットン氏の講演に参加したときの記録を、古いブログから転載しておきます。このブログの日付は以前のものです(2015年11月9日)。
 「緑のテーブル」などの主催によるスウェーデン緑の党である「環境党・緑」創設者ペール・ガットン氏との交流会に出席。当初は通約をやらされそうだったのだが、そこは(大阪外大のスウェーデン文学研究者が協力してくれたことなど)諸般の事情により免れることが出来た。ただ、手元にメモはつくってしまったので、せっかくだから概要を報告。
 以下、簡単なまとめ。
▼緑の党の結成
 ガットン氏は若い頃は20年にわたり自由党のメンバーであり、個人の自由を重視するという立場であって、決して計画経済の支持者ではなかった。1979年に自由党から議員になるが、1980年に原発問題が勃発、原発導入に積極的だった自由党に疑問を感じて程なく議員辞職、環境政党の設立に動き出した。
 スウェーデンでは原発が国民投票にかけられたが、単純なイエス・ノーを問うものではなく、3つの選択肢が用意された複雑なものであった。ひとつは保守政党が準備した、12の原発をつくるが2010年までにそれらは全廃するという「一時的原発案」、もうひとつは左翼政党が支持した「国家の厳格なコントロールの元で原発政策を進める」というもの。そして「完全なノー」。これは前者二つが「なにか現実的な案である」と見せようと言う政府の策略であったが、それが功を奏して、第一案が多数の支持を得た。ちなみに現在、2機の原発は停止させられたが、保守政党はこの国民投票が「現在の情勢を反映していない」として残り10機の原発停止に反対している(最大与党である社会民主党は廃止を約束している)。
 下野したガットン氏は20ページほどの宣言文を作成、数百人の支持者に送るとともに、新聞紙上などで環境政党の発足を呼びかけた。『未来の政党が必要だ』という著作も出版された。これに呼応した人々によりスウェーデンの主要都市や各地の郡で集会が開かれた。一部の環境運動家からは、政党化すれば運動は絶対的に腐敗するとして、政党化そのものへの反対も聴かれた。欧州のいくつかの国では環境運動体がそのまま緑の党を形成すると言うことも見られたが、こうした反対意見も考え、スウェーデンではそういった手法は採らず、個々人が自分の意志で参加するということにこだわった。
 広く市民の意見を募り、集会で選出されたワーキンググループで一年かけて党の基本政策がつくられた。環境だけを扱うワン・イッシュー政党にするか、幅広い問題について政策を提示するかについては議論になったが、人々が投票先を決めるとき、環境のことだけを考えるわけではないとして、広く政策を提示する方針が採択された。ただし、現在でも緑の党は一般に「環境と平和」を扱う党であると見られており、世論調査でもそこのところの政策を支持するという回答は多くても、例えば経済政策で支持する政党に緑をあげる有権者は多くない。
 しかし、その方針に反するように、「環境党」という名称が採用された。これは人々の認知をえるのにもっとも有効な名前だと考えられたからである。後に他のヨーロッパと同様に、緑の党という名前が採用された。ノーベル賞物理学者で反核運動家のハンネス・アルフヴェンなど、著名な知識人が支持を表明した。しかし、最初の二度の選挙では敗北。野心を持って近づいてきた人々など、多くの人が離れていったが、結果的にはそれなりに志のある人間を選別する機会になった点で、敗北も意味があった。

▼緑の党の政策と活動
 三回目の選挙で議席を得、その後は着実に支持者を増やしてきており、現在は他のヨーロッパ諸国同様、国会で一割弱の議席を有する。野党で、批判勢力であるべきだという議論もあるが、ガットン氏は積極的に政策協定などを結び、国政に影響を及ぼすべきだと考えている。現在、与党に対しては閣外協力の位置にあるが、そのさいにいくつかの政策協定を結んだ。
 第一に、労働による収入ではなく、消費に対する課税を進めるべきだという考え方から、所得税を削減、その分をエネルギー税や消費税に切り替える方針をとっている(ただし、有機農法など環境に優しい生産法を採用している食料などには消費税の軽減措置がある)。これは(特に人口密度が低く、環境条件の厳しい北部などで)あまり国民に人気がない。
 また、ストックホルムなどの大都市への車の乗り入れへの課税も進めており、これは社会民主党が「導入しない」という公約を掲げたものだったので議論は紛糾したが、「実験的に」行われている。当初、有権者の反応は厳しいものだったが、渋滞も解消されて、公共交通機関などもスムーズに動くなどの結果を目の当たりにして、現在はこの政策の支持が不支持を若干上回った状態である。現在、中道右派政党もこの法律に反対しているが、考えてみれば教育や福祉などの「自己負担」を求める彼らが、都市の道路だけはフリーライダーを認めているというのはおかしなことだろう。
 最後に、「フリー・イヤー」制度がある。これは、これまで出産、病気、教育の場合において認められていた一年の長期休暇を、いかなる理由であれ認める、というものである。条件としては、同等の能力を持った失業者が雇用されることである。この場合、それまで労働者に払われていた給与が失業者に払われ、それまで失業保険として払われていた金額(正規給与の8割)が休暇中の労働者に払われる。従って、国家負担は変わらない。これは「働きたいものは職を得る権利があるという考えは支持するが、労働者を際限なく増やす方向で右肩あがりの成長が必須の社会を支持するわけではない」という緑の党の基本的な立場を制度化したものでもある。緑の党以外の諸政党はすべて、労働者に怠け癖をつける政策だとして批判しているが、実際に利用された例を見てみれば、その一年を利用して勉強できたとか本を書けたとか、労働者はその制度を極めて有効に利用していることが解る。また、失業者にとってもジョブ・マーケットに戻ることが出来たという感想が多く、他党の批判は根拠がないと思われる。
 
▼緑の党の組織
 政党組織はほぼ必ず腐敗するという認識は極めて重要である。そのため、我々は腐敗を防ぐ多くのシステムを採用している。民主的であることのためには、政策内容と形式(content and form)の両方が重要なのである。例えば、男女二人の共同代表制などがある。しかし、マスメディアは代表一人を決めたがるもので、結成後ながらくは男性ひとりのほうを代表と見なすという傾向は抜けなかったが、20年以上しぶとく共同代表の概念を主張してきた甲斐あって、最近はやっとメディアのあいだでも「緑の党は男女一人ずつの共同代表制」という原則が理解されるようになってきた。
 また、党大会でも、発言は男女交互でなければならず、どちらかの性が余ってしまったら、別の性の発言者が現れなければ発言できないということになる。もちろん、多くの場合あぶれるのは男性である。しかも、男性の場合、「自分が発言した」という事実をつくるために、他の人と同じことをしゃべる場合もあるので、そういう行為を牽制する意味もある。他にも発言の回数を平等化するために、発言の前に「今日何回目の発言です」と宣言する制度も考えられていたが、これはあまりにも評判が悪いために撤回された。
 議員を務められる回数も、スウェーデン国会で三期(発足当時、スウェーデン議会の任期は3年だったため9年、現在は4年にのびたため最長12年ということになる)、欧州議会(任期5年)で二期までである。ガットン氏も94年の欧州議会発足から二期、議員を務めて2004年に引退した。経験によってできることも増えてくるが、当初のモチベーションも失われるのも事実なので、「何年がいい」という答えはないが、一定の期間で引退する制度は決めておく方がいい。
 スウェーデンより二年早く結成されたドイツ緑の党では、ドイツ議会が4年任期であるにもかかわらず6年の定年制を定めていたため、議員は二期目の半ばで辞職していた。これはあまりに効率が悪いので、ドイツ緑の党では現在、定年制度はうやむやになっているようである、無理をするのもよくないと言うことか。
 
▼緑の党と他党の違い
 緑は一般に中道左派とみなされているが、実際は伝統的な左右の対立軸の直線上に乗らないことが望ましい。与党社会民主党の主流派は労組などの支持を受けており、福祉国家(大きな政府)を求める一方で、経済成長には積極的である。緑は成長の限界という概念を支持している点が大きく異なる。また、スウェーデンは労働者の雇用を手厚く保護している点については緑にも異存はないが、大企業に対する規制と中小企業に対する規制は異なるべきであると考える。教育についても社民党は公的な教育以外の手段を認めたがらないが、緑は、最低限の保証は国家がするべきであると考える一方で、モンテソーリなどの実験的教育を民間が担い、親がそれを選択する権利は保障されるべきだと考えている。この意味で、多くの政策において、緑は社民のやや右よりに位置する中道左派だと見なされることになる。
 多くの場合、ラテン圏(フランスやスペイン)の緑はよりラディカルな左派であるが、北欧などでは、こうした中道的なポジションを採ることが多い。フィンランドなどでは、緑の党は保守派の政党と連立を形成している。
 労組に指示された社民党主流派を「灰色」の社民と称するが、それらの人々はスウェーデンの伝統産業である製鉄や製紙などの労働者からなり、従ってエネルギー課税などには反対である。一方、多数派ではないが一定数の社民党議員は環境問題に理解を示しており、その人々とは政策的にほとんど差は見られない。現在、首相の私的顧問の一人も著名な環境活動家であり、その人物の政策などは緑とまったく齟齬がない。その影響もあって、首相はスウェーデン社民党の伝統的なキャッチフレーズである「人々の家」を改変して、「緑の人々の家」をキャッチフレーズとして使い始めている。
 すべての緑の党にとっての最大のディレンマは、環境問題について理解が広まったり、問題が解決するたびに逆に緑の党の必要性は薄まると言うことである。例えば、オゾン排出の問題が解決されたことは人々にとって緑の党を選ぶ理由がひとつ少なくなったことを意味するし、おそらく原発などもそうなるであろう。

▼春日の感想
 もちろん勉強することは重要で、日本に環境政党を定着させることを考えるとすれば、各国の事例に学ぶことや、各国とのネットワークの構築は欠かせないだろう。しかしながら、本当はスピヴァク流に言えば「学び捨てる unlearning」ことこそが重要なのである。
 例えば、Free Yaerは確かに、労働の権利と持続的な社会という両方の理念を満たす社会をつくるための、興味深い実験であるし、そうした手法を生み出せるスウェーデンには敬意を表するべきであろう。それには、運動にあたって、きちんとした哲学を練っておくことと、経済や法律に対するプロフェッショナルな知識を動員できることの両方が欠かせないのである。
 しかし、根本的に「労働」の価値に対する懐疑と敵意が残っている欧州諸国ですらもFree Yaerの導入への抵抗が大きいのであれば、ほっておけば死ぬまで働いてしまう日本人の社会でそれを行うことはなおさら困難であろう。例えば、Free Yaerの導入が日本において(少なくとも一朝一夕には)政策目標になるわけではない。
 現在の日本で必要なのは、彼らの手法や理念を学ぶことではなく、そうした美しい「結論部分」は一度忘れ去り(unlearn)、そこにいたるまでの四半世紀にわたる苦闘から学ぶべきであろう。つまり、ヨーロッパ人がたどり着いた結論を利用するのではなく、タウンミーティングなどで地道に綱領と政策についての議論を重ねてきたプロセスを学ぶべきであろう。(結論としては同じようなところにたどり着くとしても、議論をしたという経験そのものが運動の基盤を形成するはずであろう)
 これは政治的な右翼、左翼を問わず、西洋の文物を取り入れることで繁栄を維持してきた日本人がもっとも苦手とすることかもしれない。また(哲学面は兎も角)、特に政治・経済の「プロフェッショナル」が社会運動に入ってこないという問題が、これまでの議論を非現実的にしてきた面は否めないであろう。もちろん、NPOやシンクタンクなどのセクターが貧弱であることの問題はある。また同時に日本ではプロフェッショナルという言葉が「ある技術で食える人」というふうに解釈されているという文化的問題もあるかもしれない。Profess(公言する)という語源を考えれば「プロフェッショナル」という言葉は本来、「その技術で社会に役立つことを宣言した人(社会はその対価として権威と食い扶持を付与する)」という(契約論に基づいた)言葉であって、たまたまニーズに合致する技能があったから推移律的に食える、ということでは十分ではなく、長期的ないし社会的なヴィジョンに基づいて自分が食えるための条件を設定、それを満たすという反省的・投影的な自意識が必要なのである。
 環境運動を成功させている人の講演はもちろん興味深いし、日本の活動家を元気づけるということはあろうかと思う。しかし、そこから何を「学び捨てる」か議論されなければ、なかなかその先がないということも強調される必要があるだろう。
いただいたコメントもあわせて転載します。
hiromi :
先日はお疲れ様でした。
ところで、アップされた文章のうち以下には間違いがあります。
スウェーデンでは原発が国民投票にかけられたが、単純なイエス・ノーを問うものではなく、3つの選択肢が用意された複雑なものであった。ひとつは保守政党が準備した、12の原発をつくるが2010年までにそれらは全廃するという「一時的原発案」、もうひとつは左翼政党が支持した「国家の厳格なコントロールの元で原発政策を進める」というもの。そして「完全なノー」。これは前者二つが「なにか現実的な案である」と見せようと言う政府の策略であったが、それが功を奏して、第一案が多数の支持を得た。ちなみに現在、2機の原発は停止させられたが、保守政党はこの国民投票が「現在の情勢を反映していない」として残り10機の原発停止に反対している(最大与党である社会民主党は廃止を約束している)。
ええと、一つは、ライン1では2010年までの廃止は言っていない。
で、一番多いのはライン2だったという事実。1は、18.9%、2は39,1%、3は38.7%。
詳しくはぜひ「北欧のデモクラシー」新評論飯田哲也著を見てね。この、京大工学部で原子核を研究していた理系の人がスウェーデンの原発やエネルギーをめぐる政治を書いた本は、とても興味深いので、後学の為にもぜひ参照ください。
この件についてはその本のp75に詳しい。ここでのペルさんの話は、イエスとノーの間にその妥協的な案を入れたのは、妥協好き?なスウェーデン人の国民性に合った、それで負けてしまった、ということだったと思う。実際1と2はほとんど同じで実はほとんどイエスなんだよね。彼は触れなかったが、重要なのはそのあとこの結果を受けて80年に2010年までにすべての原子炉を廃止する議会決議。
でも2005年にやっと一基莫大なお金をかけて廃止されたけど、世論は、20年前に比べてさめてて、別に原発いいんじゃない?みたいな感じだったよ。2010年全基廃止は絶対無理だね。実際スウェーデン原発大国だし(だから80年の議会決議はすごく世界にインパクトがあった)。やっぱりここでも、こういう議論のプロセスの民主主義って言うことだよね、興味深いのは。
2005年のベーセベック廃止(の決定に至る)顛末については以下が詳しく、まあNEDOが書いているのですが、裏話的にはいろいろ興味深い。
http://www.nedo.go.jp/kankobutsu/foreigninfo/html002/002-4.pdf
July 18, 2006 4:30 AM
かすが :
hiromiさん
 当日はお世話になりました&コメントありがとうございました。
 やっぱちゃんと聞けてないですね。
 通訳しなくてよかった(笑
July 18, 2006 10:23 PM