2020年7月12日日曜日

「オール大阪でワクチン開発」の研究倫理上の問題点について(未定稿)

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某所に提出したメモなので、わかりにくいかもしれませんが、リンク集的な利用価値があるかもしれませんので公開しておきます。
 メモがわりの未定稿の公開ということで、情報を足したりするかもしれません(消すことは、基本しないつもりですが…)。


【これまでの経緯】

(1)4月の経緯
  4月14日、大阪府・市、大阪大学、公立大学法人大阪、地方独立行政法人大阪府立病院機構 及び地方独立行政法人大阪市民病院機構の6者がワクチン開発に関する協定を結ぶ。
 

 アンジェスと市立大学病院も別途、同日(14日)付で協定を結んでいる。
 

 これを大阪維新の会の維新Journalが「オール大阪でワクチン開発」「年内には10万単位で投与」などと宣伝。
  



 この段階では「9月には医療関係者に向けた実用化」(大阪日日新聞)と報じられている。
 

 



(2)6月の経緯
 6月17日の記者会見で吉村知事は
 

 知事が記者会見で使ったフリップにも「まずは、大阪市立大学医学部附属病院の医療従事者(20から30例)を対象に実施」とあるため、知事の独断ないし誤解ではなく、事務方もそう認識していた可能性が高いと思われる。
 

 これには、ネットで「医療従事者」を治験の対象にすることへの危惧の声が上がったほか、市立大から倫理委員会の承認前に発表がされたとして「批判や不安の声」があがったとされている。(毎日新聞)
 



 しかし、吉村知事は6月24日の会見で"「ネット上では『(医療従事者に最初に投与するのは)おかしいんじゃないか』という意見があるのは知っている」とした上で、「それだったら、僕を最初に治験者にしてもらっていい。必要であれば、僕が最初にやりますよ。」"と述べたという(日刊スポーツ)。
 

 なお、府議会議員が府職員に確認したところによれば、府はアンジェスや大阪大学などと6者で包括提携を結んでいるが、治験に関してはアンジェスが市大病院と独自に結んだ別の協定に基づくものであり、府として内容に関知するものではない、というような回答だったという。吉村のセリフはなんなんだ、という…。




(3)実際の治験
 実際は、アンジェスは被験者を業者を通じて募集している。毎日新聞に対して、日程などに関する知事の発言については"府が公表した治験日程には「驚いている。目標にはしたい」とした"という(毎日新聞)。
 

 また、医療関係者の治験参加について、市立大学では(同記事によれば)、
 "「(病院職員に治験を)周知はするが、あくまで自由意思に基づく参加とする」としている。"とした。(同)




【問題点】
(1)第一に、大阪府・市は一体としてこのプロジェクトを進めていると表明しているが、そうである以上、市立大及び付属病院にとっては府・市はその予算の大半を支出する実質的な「オーナー」である。
 その市大病院と雇用関係にあるものに対して、知事の優越的地位は明らかであるから、これを治験に参加させるようなことは、例えヴォランティアだとしても避けなければならない。

 人体実験に関しては、ナチス・ドイツの忌まわしい記憶から、厳格な倫理原則を守って行うべきだと考えられている。それを条文化したものに世界医師会によるヘルシンキ宣言がある(1964年に作られ、これまで何度も改定されている)。
 日本でも、これを医師や製薬会社に強制する法律こそないものの、こう言った国際合意に基づいた治験を求める「医薬品の臨床試験の実施の基準に関する省令」などが存在している(この規則を GCP / Good Clinical Practice などと呼ばれることもある)。

 この基準に基づけば、雇用関係にある人が被験者になるといった構造は容認されない。実際、社員を被験者に使ったことにより深刻な事故を招いた例として、我が国でもキセナラミン事件(1963)などがある。

 特に、新型コロナ・ワクチンについては、知事が政治的に宣伝しているということもあり、単なる科学論争の域をこえ、治験に参加するしないが、政治的意見の表明にも読み替えられる恐れもある。
 また、こうして得られた実験結果が、(多発する研究不正の問題を受け)倫理基準が高度化している現在、「中立的な実験結果」として評価されうるかも疑問である。

 第二に、この観点から言えばそもそも知事が特定の医薬品を、治験前から名前を上げて宣伝すること自体が好ましくはない。
 中立的であるはずの治験参加者が、報道に影響を受けて「良い結果を出さなければならない」「良い結果を出すことで知事の応援になる」(あるいはその逆)という感覚を抱かされることになる可能性があるからである。



(2)また、アンジェスの株価はこの間、期待を反映して上げている。
 こういったやり方が、市場という観点からも健全かということは検証しなければならないだろう。
 個別の件がそうかどうかの検証は極めて難しいが、行政がその影響力を利用して株価を上げ下げすることによって、例えば政治家が裏金を作ったり、支持者に対して公表の前に「あの株が上がりますよ」と囁いたり、といったことは容易に行えるわけであり、その点からも行政と一般企業の関係は、節度と距離を持ったものであることが望ましいわけである。
 熾烈なワクチン開発競争が世界中で続いている中で、特定のヴェンチャー企業のそれだけを取り上げることは、この意味でも適切ではない。



(3)アンジェスのワクチンを「オール大阪」として押し出す根拠としては、これがDNAワクチンであるため、比較的早く開発ができる、ということが挙げられている。
 しかし、DNAワクチンが大規模に利用された実績はこれまでなく、開発者の森下教授は安全性も高いと主張する(記事参照)が、これは必ずしも実証されているとは言い難い。
 
 もちろん、DNAワクチンが効果をあげるかどうかもまだわからない。
 こういった状況で、一つのワクチンばかり取り上げることそれ自体が、科学的でも公平でもない。

 これらのことを考えれば、大阪府・市、維新の会、アンジェスが一体となった宣伝の仕方はGCPという観点から見ても大いに問題があると言わざるを得ない。
 もちろん、これらの基準が法令ではなく省令や指針にとどまっているのは、研究活動は大学や民間企業の自主性に基づくものであるべきで、政府が過度に介入すべきでないという前提があることは理解できる。
 しかし、一方でGCPや研究倫理を国が推進していると言ってみても、実際に研究現場がそれらの基準に抵触していたとしても行政として実態把握の努力すら行われないというのであれば、一般消費者は医薬の安全性を信頼することができるだろうか?

 治験の公平性、客観性を担保するための仕組みや、それに誰が責任を取るのか、といった観点からさらなる議論が必要である。

 加えて言えば、米国FDAはCOVID-19など個別の疾患のワクチン開発に関してガイダンスを公表している。
 乱立する「新型コロナ・ワクチン」開発プロジェクトであるが、一定の整理が必要でもあろう。
 安全性の確保に関しては共通見解を表明した上で、企業間の競争については中立的な立ち位置を崩さない、というのが行政の態度としてあるべきなのではないだろうか?