2020年3月2日月曜日

議会で対案を出すのは野党の仕事ではない

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 議会において対案を出すのは野党の仕事ではないし、真に重要な問題の場合、野党は対案を出せません。なぜなら、民主制というのは意見が違う、ということを前提としているからです。「意見が違う」というのは、良しとする社会の方向性が違う、ということです。そして、どの政党の「良しとする社会」を目指すか、というのは基本的に選挙のマニフェストを有権者が比較することで争われることです。議会というのは、当然選挙が終わった後に開かれるものですから、そこではすでに「対案の検討」は終わっている、ということになります。




 もちろん「良しとする社会は共通合意があって、解決策だけがわからない」という場合は対案が必要ということになりますが、第一に、実はそういうケースはそんなに多くはありません。また第二に、そういう問題は普通は「専門家」に任せることが得策です。技術的な問題に関しては素人の集まりである与党が議論して解決策が出てこない問題に、同じような人の集まりである野党が加わったところで、事態の進展は望めないでしょう。


 わかりやすく言うと、意見が違うというのは「目標が違う」ということです。例えば、東京にある某大学を考えてみましょう。このゼミは十数人の四年生が所属している、ちょっとした大所帯だったとしましょう。専門が一緒、という以外はいろんな趣味の学生が所属していますが、せっかく一年間一緒に苦労してきたので、一緒に卒業旅行に行ってみよう、という話になりました。


 一番の優等生の田中さんは卒論もさっさと出してしまって、すでにかなりの日数を就職先のベンチャー企業で働いています。彼女はちょっと小金も貯まったので、本当はバリ島に行ってみようと思っていたのですが、いろいろな学生がいるところで海外はちょっとお金もかかり、ハードルも高いと思ったので、今回は自分の意見は出さずに議長に徹しようと思いました。「北の方。できれば北海道に行きたい」と言い出したのは、スポーツ万能の北見君で、彼はどうもスキーをみんなとやりたいようです。一方、歴史オタクの中町君は京都を押しました。もちろん歴史好きの彼らしい選択ですが、大学院進学を決めていることもあり、あまりお金を使いたくないというのも本音のようです。議長の田中さんは、二人に来週までに簡単な旅行プランを出すように依頼しました。プランを見比べて、投票にかけるつもりのようです。


 この北海道に行きたい北見くんと、京都に行きたい中町くんが、「政党」ということで、彼らは旅行プランを作って、それぞれの目的地がいかに楽しいかをプレゼンします。これが「マニフェスト」ということです。


 次の週、北見くんは卒論もギリギリに提出したので、あまり余裕がなく、彼のやりたいスキーを前面に出した旅行プランを持ってきました。一方、中町くんは前々から自分一人でも行こうと思っていたので、史跡だけではなく、美味しい和食のお店など、様々要素をな盛込んだ魅力的な旅行プランが提出されました。予算が安いこともあって、みんなが気軽に参加できそうな京都案が、ゼミ生の過半数の支持を集めました。これで、卒業旅行の目的地は京都に決定されました。これが「総選挙」ということです。


 京都を中心にプランを練ることは確定しましたが、詳細はゼミのみんなで詰めていくことにします。これが国会です。この時チェックしなければいけないのは「京都プランが現実的かどうか」ということと、「北海道を諦めたグループに妥協できるところはないか」ということです。北見くんはやや残念そうに京都のガイドブックを眺めていましたが、嵐山ではカヌーでの川下りができるという記述を発見しました。史跡が見たい中町くんを説得できるかは分かりませんが、半日ぐらいは川下りに使ってもらえないか、提案しようと考え始めたようです。一方、別の学生鈴木さんは中町案に山の上のお寺が含まれているのが気になりはじめました。いけないことはないのですが、乗り換えプランがなかなかタイトです。まして、グループには車椅子の山田くんがいます。スケジュールには少し余裕を見た方がいいのではないでしょうか? しかし、諦めきれない中町くんは「なんだったら山田くんにはその間ホテルで休んでおいてもらって」と言い出します。これには、鈴木さんだけではなく、元から京都案を押していた何人かの学生も否定的です。せっかくみんなで行くんだから、一緒に楽しめるコースにしよう、ということです。


 ここで重要なのは「国会」では「京都に行く」という基本方針はすでに決まっているということです。また、なぜ京都に行くべきか、京都に行くと幸せになれるか、という「価値」を把握しているのは中町くんです。「山のお寺にいけないんだったら、お前らが対案を考えろよ!」と中町くんが言い出したら、ちょっとゼミの雰囲気は危険な感じになってきます。一番スッキリしているのは中町くんがプランを取り下げ、再度投票を行うことかもしれません。解散総選挙です。中町くんがプランを取り下げましたが、中町くんと仲良しの大山くんは、自分が修正した新京都プランを出してきました。北見くんはスキーと札幌の名所を組み合わせた新プランを出してくるでしょう。もしかしたら、業を煮やした田中さんが、ついに海外プランを出してくるかもしれません。こういった議論は無駄ではないかもしれませんが、日程が限られていることも考えなければなりません。しかし、これらの「対案」が正統性を保つためには、もう一度みんなで投票することは必要でしょう。ゼミならばすぐに行うことも可能かもしれませんが、国政では「もう一度選挙」は時間もお金もかかりますし、なかなかに大変です。


 したがって、現実的なのは、中町くんが自分のやりたいこと全てを盛り込むのを諦めて、よりコンパクトなプランで京都旅行を実施することでしょう。こうして、原案を叩いて、より多くの人が受け入れやすくするためのプロセスを「批判」と言います。日本では批判は、非難や悪口と区別されずに使われることが多いですが、哲学的には全く別のプロセスのことです。グループAがA案を、BがB案を推しているだけでは議論は進みません。まずA案を採用すると仮定した上で、A案の問題点を洗い出し、より優れたA'案を作ることが「批判」ということで、国会で求められているのはA案に対してB案を作ることではなく、A’案を作ることなわけです。


 ところで、北見くんと中町くんのプランを見ていた鈴木さんは「北見くんは雪のあるようなところに行きたくて、中町くんは歴史的な街並みとかが見たいんだよね? じゃあ、今回は金沢でどう?」と言い出すかもしれません。こういった妥協案を探るタイプの議論を、政治では「中道」と言います。もちろん、北見くんにとっても中町くんにとっても、金沢では全く自分たちの目的に適わないかもしれません。そういった時に、妥協を拒否して元の目的を追求するタイプの政治スタイルを「急進主義」といいます。例えば、日本の左派であれば、日本社会党は中道派、共産党は妥協を拒む急進派、という分類を、ざっくりとすることができます。自由民主党の場合は、中道的なグループと急進的なグループが厳密に別れずに同居している、と見なされてきました。吉田茂や田中角栄の流れを汲む「保守本流」と呼ばれる人々が中道的、岸信介や福田赳夫の流れを汲む「保守傍流」が急進的、という分類はできます。この分類に従えば、現在の安倍首相は血縁的にも岸信介の孫であり、人脈や思想的にも「保守傍流」あるいは保守急進派ということになります。


 京都旅行に話を戻してみると、このA'案を作ることができるのは、あくまで中町くんです。というのは、北見くんは、中町くんがなぜ京都に拘っているのか、本当はわかっていないからです。もしかしたら「山の上のお寺」は中町くんにとって最も重要な目的地かもしれません。であれば、中町くんの最優先順位は「山の上のお寺」で、そのほかの人にとって重要なのは車椅子の山田くんも含めてみんなに無理のないコースを組むこと、ということになります。であれば、他に2〜3箇所の観光先を諦めてでも、山の上のお寺はコースに組み込むべきでしょう。一方で、「山の上のお寺」を諦めても、なるべく多くの史跡を組み込むことが、中町くんにとっては重要なのかもしれません。そのどちらが重要なのかは、妥協している立場の北見くんたちには評価できないからです。


 なので、選挙で敗れた北見くんたちの仕事は、中町案を「批判」することです。批判のポイントは二つです。第一は、急進的な中町案を、少しでも自分たちも楽しめるものに近づけること。第二は、中町案の無茶な点(スケジュールや予算的に難しい)や道徳的に問題がある点(誰かをホテルに待たせるのは好ましくない)をチェックする、ということです。後者は国政で言えば「人権や憲法上問題がある法案になっていないか」ということをチェックする、ということになるでしょう。


 もちろん、言葉なんて定義の問題ですから、この批判プロセスから出てくるものを「対案と呼ぶのだ」というのは自由です。ただ、その場合は、マニフェストを競わせて選択されるものをなんと呼ぶのか、ということを考えた方が良いでしょう。私は、政党Aが掲げるマニフェストに対して、政党Bが掲げるマニフェストが「対案」である、と考えるのが自然だと思います。

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