2013年12月15日日曜日

イースター島で何がおこったか? 新しいシナリオ(NPR)

このエントリーをはてなブックマークに追加
What Happened On Easter Island — A New (Even Scarier) Scenario
by ROBERT KRULWICH


面白かったので、紹介します(逐語訳ではありませんのでご注意)。

Easter Island, Rano Raraku, moais
 巨大なモアイ像で有名なイースター島はわずか63マイル四方の島で、次に人間が住んでいる土地にいたるまで数千キロ離れている孤島である。
 これまでの通説ではジャレド・ダイヤモンドが説明している通り、1200年頃にポリネシア人が住み着いた頃は島は鬱蒼とした森に覆われていたが、人間は焼き畑農業でこれらを破壊してしまった。
 ヨーロッパ人たちが島を見つけたときには、島の住民は破壊された環境で惨めな生活を送っており、島の船は流木をなんとか継ぎ合わせたようなものだった、という。
 これをダイヤモンドは「エコサイド」(環境虐殺)と呼び、限られた環境で資源を過剰浪費した社会のモデルケースと考えた。

2013年12月12日木曜日

改正研究開発力強化法は不安定雇用の若手に利益に…ならんわな

このエントリーをはてなブックマークに追加

 文部省の中の人が「改正研究開発力強化法」で雇用契約法上の常勤雇用義務がかかる年限が研究者に関して例外的に延長されたことに関して、専業非常勤を含む若手にも利益があったと認識しているという話を某所から聞いた。

2013年12月1日日曜日

法務省平成25年度啓発活動重点目標とやらが酷い件

このエントリーをはてなブックマークに追加
  法務省平成25年度啓発活動重点目標
 …まぁ、政府による「人権」概念の誤用が酷いのはいつものことなのですが、一応批判しとく。

 まず、被災者を含めてすべての人の人権が守られるべきなのは当然だが、その「人権」がまがい物ではまったく意味がなくなる。まがい物の「人権」に苦しむ人々を包括的に救う力はないであろう。
 法務省の「考えよう 相手の気持ち 育てよう 思いやりの心」というキャッチフレーズは、控えめに言っても「人権を守る」とはなんの関係もなく、具体の局面では同調圧力として機能することで、人権を守ることとは対極の機能を果たすであろう(そして、様々な問題で旧態依然たる権威主義、秘密主義を残す法務省がしたいのはそういうことだ、ということなのだろう)。
 

2013年10月5日土曜日

声の不在という問題について 2: スピヴァクとヴァンダナ・シヴァのあいだ

このエントリーをはてなブックマークに追加

World Social Forum 2006 (Karachi, Pakistan)
 前回「声の不在という問題について: パキスタン南西部バルチスタン州地震に思う」の続き。
 一度書き始めるともう少し言葉を継ぎたくなり、まぁ、いずれ切りが無くなるのですが、すこし(たぶん、その道の専門家向けの)補足をしておくべきかな、ということで…。
 たぶん「カルスタ的な『現地の代弁』とNGOによる『現地の代弁』」は違うのではないか、という論点について検討する必要があるように思う。
 たぶんカルスタ的視点は限りなく個別性、特異性が高い事例を扱うのに対して、NGOというのは多少なりと(全てのとは言わないまでも一定の規模の)市民の代弁をするという側面があるからである。
 つまり、スピヴァクが有名な「サバルタン」に関して実例として示したブヴァネシュワリ・バドリのケースは、あくまで一回的なものであり、行為主体としてのブヴァネシュワリ自信が慣例と異なる自分を(言葉ではなく身体を使って)歴史に書き記すことを試みることによって第三世界の女性性を規定する「ステレオタイプ」に逆らおうとした事例として書かれている。
 一方で、現代の社会運動が取り上げるのは「資本主義の進化」という巨大で一回性のイベントに対して、世界中の無数の「声なき声」からある程度共通に取り出せる問題についてのものである。

2013年10月2日水曜日

声の不在という問題について: パキスタン南西部バルチスタン州地震に思う

このエントリーをはてなブックマークに追加

 
 パキスタン南西部バルチスタン州(バロチスタン州)で今月24日に起きたマグニチュード7.7の地震は、遠隔地でもあり救助が難航していると伝えられている。
 バローチの人々はペルシャ語系の言葉をしゃべる少数民族で、パキスタンからの自治や分離独立を求める運動も盛んな地域である。
 CNNの報道では、政府の救援ヘリに対してそういった分離独立勢力からのものと思われるロケット弾による攻撃などもあり、そういった状況がさらに実態把握や救助を困難にしているらしい。

2013年8月4日日曜日

NGOの役割について、欧州委員会の官僚の意見

このエントリーをはてなブックマークに追加

  ちょっとしたメモ代わりエントリー。
 2006年に韓国でPCST(科学技術に関する公衆コミュニケーション)という学術会議が開かれました。
 それの関連イベントと言うことで、日本で行われたシンポジウムの議事録から欧州委員会研究総局広報担当官の方のコメントをご紹介(残念ながら講演録は存在してるものの、ネット上にないので…)。

2013年8月1日木曜日

麻生副総理の憲法改正めぐる発言 解題

このエントリーをはてなブックマークに追加
 以下は朝日新聞による、おそらく最も詳しい書き起こし(「麻生副総理の憲法改正めぐる発言の詳細」)である(世代論の所を削ってある)。
 これを、ネガティヴな事象に言及していると思われるところは赤く、ポジティヴな事象に言及していると思われるとことは緑に塗ってみると、以下のようになる。

2013年7月20日土曜日

「緑の党」と「みどりの風」の違い、みたいなことについて

このエントリーをはてなブックマークに追加

 Facebook に書いたものですが、あちらはクローズドで使っていまして、需要がありそうですのでブログにも転載しておきます。
 なお、基本、部外者が勝手に言っていると考えてください。



2013年7月5日金曜日

アメリカ緑の党 ジョージ・マーティン氏の応援メッセージ

このエントリーをはてなブックマークに追加

 三月にチュニスで行われた世界社会フォーラムで、アメリカ緑の党(The Green Party of the United States)のジョージ・マーティン氏に偶々再開したので、参議院選応援メッセージをいただいてきました。
 できれば各国(独豪等)取りそろえた形で、日本の緑の党の公式コンテンツにしてもらうのがいいかと思っていたのですが、そういう準備もできなそうだったので(といって眠らせてしまうのはもったいないので)個人として公開します。

2013年6月3日月曜日

「次のボパールは原子力エネルギー省の過失になるだろう」とインドのグリーンピースは述べた

このエントリーをはてなブックマークに追加
 日本のグリーンピースが「じつは原子炉メーカーが嫌がるインドへの原発輸出」というブログ記事を公表しています。
 その中で
 実は、インドには原発事故の際、原子炉メーカーにも責任を問える法律が存在する。これは、インドで1984年に起きた史上最悪の産業事故であるボパール化学工場有毒ガス漏出事故の経験から、「汚染者負担の原則」を原子力にも取り入れたものだ。
 (中略)
 ようするに、原子炉メーカーは、事故の責任を問われない国に原発を輸出するのはおいしいビジネスだと考えるが、リスクを問われる可能性がある国では及び腰になるのだ。彼ら自身も、原発は安全だと思っていない証拠だ。
と、説明されている。
 これは勿論事実ではあるが、一方でそういった法律をめぐる攻防は激しく行われており、インドのグリーンピースもその中で重要な役割を担っている。
 この件について、インドのグリーンピースが "Next Bhopal would be DAE’s fault"(次のボパールは原子力エネルギー省の過失になるだろう)という記事を発表しており、興味深いので訳出してみた。

 次のボパールは原子力エネルギー省の過失になるだろう

 原子力エネルギー省は、原子力責任法の規則を議会の常任委員会の勧告に従って改正すべきである、と活動家は要求している。

 プレスリリース 2012年12月3日
 ニューデリー/ムンバイ/チェンナイ  2012年12月3日
 ボパールの悲劇から28年目の記念日に発効された意見書の中で、グリーンピースは原子力エネルギー省がボパールの災禍のさいの誤った対処をふたたび繰り返すことになる過ちを犯している、と警告している。この環境監視団体は、原子力エネルギー省が、原子力責任法の規則を従位立法に関する常任委員会の勧告に従って改正することを要求している。

 グリーンピース原子力エネルギー担当のカルナ・ライナによれば「ボパール・ガス事故に責任のある企業はその責任を逃れることに成功している。何故なら、彼らに責任を課す強力な法律が欠けていたからです。原子力責任法のサプライヤー責任条項を薄めることは、ボパールを繰り返すことに帰結するでしょう」と述べた。原子力エネルギー省によって起草され、政府によって公告されたルールは、原子力責任法のサプライヤー責任条項を薄めてしまうと批判された。

 従位立法に関する常任委員会によって前回の下院に提出された報告書は「委任立法によるルールは、法の実質的な規定と整合的であるべきであり、法の下で想定されていない限定や過剰を含むものであってはならない」と述べている。この報告書は、原子力エネルギー省を、その法の規制をまとめるに際しての「やる気の無さ」を厳しく批判している。元インド法律長官であるソリ・ソラブジーもそれに先立ち彼の見解を述べており、これらのルールが「法の権限を越えている」と述べている。

 「卓越したな法律の専門家や議会委員会の見解にも係わらず、原子力エネルギー省やその他の原子力エスタブリッシュメントはルールの見直しに消極的です。議会民主主義においては、行政は議会の常任委員会が示した懸念を握りつぶすしてはならないのです」とライナ氏は述べている。

 去年8月、マンモーハン・シン博士(訳者注:インド首相)はサプライヤー責任を放棄する権限を各国に与えている国際条約を、国内法が上書きできるのか、という重大な問題を提起した。インド法律長官G.E.ヴァハナヴァティ氏はシン博士の疑問に答えなかったが、最高裁は国内法に合致しない一切の国際条約は無効であるという見解を示している。

 グリーンピースは原子力エネルギー省が下院の従位立法に関する常任委員会が示した勧告を実施し、ルールを修正することを要求する。

   従位立法ないし委任立法とは、「立法府から委任された立法権を行使すること」(Wikipedia) であり、外国企業に配慮したインド政府が、原子力責任法を骨抜きにすることを試み(もちろん背後にはこれら外国企業のロビイングなどもあるのだろう)、それに対して立法府の委員会が「立法の趣旨に反する委任立法を行うことは正統性を欠く」と警告を発しているわけである。
 少なくともある一面では、日本より三権分立がよく機能していると言えそうである。
 もちろん、こういった形で三権分立が機能するためには、メディアや(グリーンピースのような)市民社会組織等、政治機構外の圧力が欠かせない。
 そういう意味では、インドはしばしば「NGO大国」と称されるように、これらの組織が(少なくとも第三世界としては)よく機能している。

  「国内法に合致しない一切の国際条約は無効である」に関しては、日本の常識としては国際条約は国内法に優先する(憲法に次ぐ優先順位を与えられる)ということであると思うので、このあたりがインドではどうなのか、ということであるが…。
 ただ、一つには、国際条約というのは1980年代ごろまでは、世界人権宣言に代表される「普遍的価値」を規定したもの、その規定を体現するためのコンセンサス、あるいは戦争当事者国間の平和協定といったものが主流であったのに対して、近年は自由貿易協定のような形のものが急速に増えてきている。
 その場合は、以前のタイプより「経済的利害の調整」や「経済行為の透明性等の確保」といった、よりある種の「私益」のための国際条約という側面が強くなってくるわけで、国際条約と言えば公益性が高かった時代と同様の議論でいいのか、という見直しは必要な時期なのかもしれない。

 なお、ここで言及されている「ボパール」はマディヤ・プラデシュ州の都市ボパールで、1984年に米ユニオン・カーバイドのインド子会社の殺虫剤工場から猛毒のイソシアン酸メチル・ガスが流出した事故のことである。
 この事故では(犠牲者の多くが比較的貧しい地区の住人であったこともあり)統計的に不明な点も多いが、少なめに見積もっても三千人が命を落としたとされ、史上最大の産業事故であると考えられている。
 この事故の責任追及は、インド国内の政権交代などにも翻弄されるが、当時の最高責任者であったウォーレン・アンダーソンの引き渡しをアメリカに拒否されるなど、インド側からは大きく不満の残るものとなった。
 ボパールの件でインド側の怒りをかき立てた原因の一つに、ボパールの工場では、ユニオン・カーバイド社が米国内に持っていた同じ種類の工場に比べて、明らかに低い安全管理基準で運営されていたことである(しかも、ユ社の社内に設置された操業安全管理チームはこのことを指摘し、改善する勧告を事故の二年前に出していたことも判明している)。
 こういったことはもちろん現在でも十分に起こりうるし、そういうことが起こるのではないかとインド側が先進国企業に対して不信感を持つのは、極めて当然のことであろう。

2013年5月29日水曜日

何故日本に緑の党が必要か? あるいは参加型民主制の必要性について

このエントリーをはてなブックマークに追加
 緑の党については「国際的に見て緑の党が、政党であるだけでなく、私自身も深く関わっているオルタグローバル運動(通常は政党政治とは距離をとることが多い)の一つでもある」という両義性を持っていることなどから、関心とシンパシーを持って眺めてきた。また過去、スウェーデン緑の党の創立メンバーであるペール・ガットン氏や、現在フランス緑の党の代表であるパスカル・デュラン氏などの話を聞く機会も得られたので、この機会に論点をまとめておきたい。なお、私自身は日本の緑の党の党員ではないが、身内が深く関わっていると言うことで、あまり中立的な立場ではないということを加味してお読みいただきたいが、一方でこの文章で日本の有権者一般に「緑の党に投票しよう」ということを呼びかける、という意図があるわけではない。


  なぜ日本に緑の党が必要なのだろうか? 脱原発のためだろうか? TPPに反対するためだろうか? そういったことは、緑の党が目指すべきことであろうが、緑の党が現代社会で必要とされる最大の理由ではない。環境政党の方向性について、「日本独自の」を強調するグループもあるが、世界各国に緑の党が広がり、また「グローバル・グリーンズ」という形で政策や基本理念の協調を図ってきたことには、この政治運動が世界各地で人類が共通して直面する課題への対応という側面が重要であり、そこから大きく外れた「独自性」を求めるべきではないだろう。そういう意味で、グローバル・グリーンズの諸理念に(多少のローカライズはありとしても)忠実な、世界の緑の党ネットワークと協調して動ける政党が、日本でも機能することを期待したい。
 緑の党は、国際的な「政党離れ」という流れの中で誕生してきた。政党離れには、幾つかの原因が想定される。一つには、労働者階級の生活が先進国で安定してきて、政府に対する直接的な要求を展開しなくてもよくなってきたということがあるだろう。これは、デモやストが少なくなってきたこととも同根であろう。また、これまでは財の再配分をめぐる対立(金持ちの自由か、万人の社会的権利か)に、ほかのすべての政策が追随してきたが、現代社会においては政策的論点は多様化している。この多様化を最も強く体現するポイントが、環境政策である。環境政策が、金持ちを優遇するか、貧乏人を優遇するかという軸では整理できないのは明らかであるし、例えば裕福な企業経営者にも気候問題に熱心な人はいるし、逆もしかりである。また、もう一つ重要な理由に、政治のプロ化が上げられる。これは、『孤独なボウリング』のパトナム等が指摘するように、ローカルなレベルでの政治力学でも「高学歴化」が指摘されているし、中央政界でも、高学歴、もと官僚、あるいは二世議員といった人々が増えており、「普通の人」が目指す職業ではなくなりつつあるということである。日本でも、地盤、看板、カバンといわれるように、選挙への参入障壁は極めて高い。
 さて、そうした状況の中で「参加型民主制」ということがいわれ始めた。この言葉自体は、1960年代のアメリカ合衆国で、マイノリティの政治運動が活発化する一方、その運動の方向性の決定権が一部の「マイノリティ・エリート」に独占される状況を批判して、マイノリティの一般学生の間から提起された言葉である。したがって、参加型民主制といった場合、まず目標となるのは政治参加、あるいは「ふつうの人々が政治的意見を表明する権利」の強化を目指す運動であって、屡々混同されるが、定義上は「直接民主制」とは異なるものである。
 さて、政治のプロ化と、論点の多様性の欠如が問題であり、それを克服しなければいけない第一の要請が環境問題の深刻化に起因しているとすれば、「緑の党」がこうした問題を先取りして制度化したのはきわめて自然なことである。
 各国の緑の党は、例えば議員のローテーション制度(当選は二期まで)や、党員総会の権限の強化などなど、一般の政党に比べて議員が固定化することを避ける制度を重視している。もちろん、日本の政党助成法に定義される「政党」のように、「議員が一定数以上集まったら政党」という定義が本来奇妙なのであり、本質的には「志を同じくする人々が一定数集まり、お金と知恵を少しずつ出し合うことで政党ができ、それが一定の規模に達すると選挙に候補者をたてる」ということが本来の姿だと考えれば、実はこれは自然なことである。日本のように国会議員の数合わせで政党が組織され、また新規参入に極めてたかい参入障壁が課されるということが、この正当の本来の姿を極度に歪め、より多くの人々が支持できる政策を練ることではなく、離合集散を繰り返す政局が政治の中心になる日本の政治のあり方を大きく規定してしまっているであろう。もちろん、例外的に日本共産党は古い政党のあり方を保っている。しかし、一方で環境政党誕生のもう一つの要件である「ソーシャル/リベラル」という軸に回収されない多様性という観点では、共産党は条件を満たす政党ではない(勿論、ソーシャルな要請を厳密に反映する政党の重要性は依然として小さくはないので、このこと事態は共産党の必要性を減じえない)。また、日本を含めた各国で、共産党はどちらかといえばプロ化した官僚的な組織であり、フラットな参加型の組織とは言い難いと考えられている。このことも、ある集団的(共産党的に言えば階級的)利害を前提に高い政策提言能力を維持しようと考えれば、決して間違いではない。しかし、環境問題は、利害集団が想定できるわけでもなく、政策の質の高低を評価できる軸が定まっているわけでもない。例えば、「生物多様性」という言葉をとってみても、その定義は複数共存しており、対策も色々な立場の意見を折衷しながら、ということになる。こうしたことを考えれば、緑の党にとって「参加型民主制」は、単なる倫理的目標ではなく、政策立案プロセスに必須の要請であることがわかる。だからこそ、緑の党は、各国で、議員の固定化、プロ化を廃し、議員団の結論に総会の結論を優先させるプロセスをとっているのである。勿論、国によってこうした仕組みの厳格さには差がある。例えばドイツ緑の党では、法律上の議員任期に関わらず6年までと決められていたが、これは逆に厳格過ぎて様々な不都合を生んだために現在はあまり厳密には守られなくなった、という指摘もある。また、比例代表制の場合はだれを名簿に載せるかの決定権が一義的に党に属するため議員団に対する等の優越が保ちやすいが、小選挙区制をとるフランスなどでは、緑の党のような小党が議員を通すためには候補者のカリスマ性に依存するか、社会党などとの選挙協定に依存するかしなければならないため、党の優越は困難なものとなる。
 ただ、いずれにしても最も重要なのは環境問題全般への哲学であるとしても、それをどの程度実現できるかには、そのための参加型の組織構造が必要である、というのがこれまで緑の党の国際ネットワークが培ってきた文化的前提である。また、こうした前提を共有していれば、例えば拝外主義的な主張は共有され得ないことも自明であろう。しかし、たとえば、原発やTPPなどで表面的には同じ意見を持つようにしてもこの「参加型」のプロセスが合意されず、プロ化した議員団と素人である一般有権者のあいだにフラットな意志決定システムが導入できなければ、それは例え数人
「反原発」の議員を割り増しできたとしても、長期的には環境派の敗北に終わり、グローバルな意志決定システムの発展にも乗り遅れることになるであろう。

2013年5月14日火曜日

文民統制について、あるいは「軍服を着る最高司令官」という問題

このエントリーをはてなブックマークに追加

 毎日新聞の「ネット世代向けイベント:各党がアピール 首相は戦車に」といった報道によれば、安倍首相は動画配信サービス「ニコニコ動画」のイベントニコニコ超会議で迷彩服を着て戦車に乗って見せたようである。毎日は

 一方、安倍首相は、陸海空自と在日米陸軍のブースを訪れ、陸上幕僚監部の広報室長から「戦車がありますが、乗られますか」と水を向けられると「乗ろうか」と応じ、展示中の陸自の最新型戦車「10式戦車」に乗った。迷彩服の上着とヘルメットを着けて戦車の砲手席に立ち、カメラや携帯電話を構えるコスプレ姿の客らに笑顔で手を挙げて応えた。

 首相は自衛隊最高指揮官だが、戦車に乗るのは異例。【鈴木泰広、中島和哉】
  と報じている。

 これは、単に「異例」だけではなく、文民統制という観点から大いに問題があることを論じなければいけない問題であるはずだが、大きく問題視する論調は見かけない。
 しかし、これは、政治家などから戦争責任や人権などに関する問題発言が頻出する昨今の傾向の一つであることは明らかだし、その最も象徴的な部分と言えるかもしれない。

 ニコニコ超会議での戦車搭乗は、報道からは「水を向けられると『乗ろうか』と応じ」とあるように、多分に偶発的であったと見られるが、(もちろんそれは「文民統制」の緊張感という観点からはさらに問題が大きい)次に安倍首相は航空自衛隊松島基地でブルーインパルスの隊員用ジャンパーを着て見せたと報じられている。この時は、

 津波で滑走路が泥に埋まる被害が出た航空自衛隊松島基地(東松島市)では、3月末に避難先から帰還した曲技飛行チーム「ブルーインパルス」の飛行を視察。首相は胸に「ABE」と刺繍(ししゅう)された隊員用のジャンパー姿で練習機のコックピットに乗り込み、親指を立てるパフォーマンスも見せた。

 …と、最初からジャンパーを用意していたようであり、ニコニコ超会議の件に批判がなかったことから、行動がエスカレートしたのではないか、という印象をぬぐいがたい。

 しかし、困ったことに「文民統制」の緊張感が崩れている傾向は日本だけの話ではない、というか、アメリカ合衆国において先行していて、それを我が国の何者かが宣伝戦略的に模倣しているのではないか、という疑いがある点である。

  たかだかお遊びではないか、という意見もあることと思うので、元々、アメリカ合衆国においていかに文民統制が重要視されていたか、ある資料を紹介したい。
  archive.org にある米国会図書館資料で読むことが出来る1918年の"Why the U. S. president must not wear uniform"(なぜアメリカ大統領は軍服を着てはいけないのか)と題された資料である。
 これは、1918年に『ブルーノのボヘミア』誌が、Bernhardt Wall 氏の「軍服を着たウィルソン大統領」を描いたエッチングを表紙に使用と計画。ウォール氏が同じエッチングを大統領に送ったところ、大統領が軍服を着ているのは「文民統制に反する」という返事をもらったため、『ブルーノのボヘミア』誌もこのエッチング作品を表紙にすることを差し控え、代わりに大統領からの手紙を表紙にしたという経緯を説明したものである(この作品はウェブで見ることが出来る)。
 最初に雑誌からの経緯説明があり、そのあとに大統領の手紙が掲載されているので、簡単に訳してみたい。


 なぜ9月号の『ブルーノのボヘミア』誌が、私たちが元々当該号の表紙として出版しようとしていた、ウォール氏によるウィルソン大統領のエッチングを、表紙のデザインとして採用しなかったのでしょうか? このエッチングはウィルソン大統領が合衆国の軍服を着ているものでした。ウォール氏は、1912年にアトランティック・シティで行われた米西戦争退役軍人を前にした、当時ニュージャージー州知事であったウィルソン氏の講演から着想を得たものでした。この講演のなかで、大統領は、彼は軍人であったことも、いかなる軍人としての訓練を受けたこともないが、それでも正しさのための運動における戦士なのである、と述べた。この精神と共に、そしてこの世界史の偉大な一期間において、大統領は我々市民と軍の最高司令官になるのであり、ウォール氏は軍事的な衣装の彼を描くことが不適切であるとは考えていませんでした。ウィルソン大統領の手紙は、私たちの雑誌の、再度印刷しなおされた9月号の表紙になっており、私たちがポートレイトを出版するのを差し控えた理由の十分な説明になっています。この手紙に書かれているより卓越した、あるいはさらなる言葉は、私たちの軍隊の現在の最高司令官からは語られ得ないでしょう。

 以上が雑誌からのメッセージであり、以下がウィルソン大統領の手紙である(強調は春日による)。

1918年7月8日

我が親愛なるウォール氏へ

 私は熱心かつ誠実に、親切にも私にそのひとつをご送付いただいたエッチングを作成するに至らせた貴殿の情熱に感謝するものであります。しかし、貴方から6月17日にお送りいただいた手紙が少し前から目の前に置かれていますが、その返事として次のように述べなければいけない義務を感じています。すなわち、私に軍服を着せることには、我々の制度の極めて根源的な原則、すなわち軍事力は市民に従属しなければいけないという原則に対する違反であるという感覚があるということです。私たちの憲法の制定者たちは、もちろん大統領が時には兵士であると言うことを認識しており、、大統領を合衆国の陸海軍の最高司令官にするという彼らの考えの中では、国の軍隊は、それによって政策が決定されるような職権の道具であるべきだ、ということです。これが、我々の組織がどんな意味においても軍事的ではないし、軍事的にはなりえない、と我々が偽りなく言える理由です。
 私は、これが単なる私個人の躊躇に過ぎないとは考えません。私はこれが物事の根源であると信じており、したがって私が、私について大いに敬意を表している貴方のエッチングの動機と意図について十分に感謝していないなどという印象を作り出すこと無しに、この問題について率直に表現するべきであることは確かに思われます。

 敬具
  この手紙のポイントは、ウィルソン大統領がたとえまったくのフィクションで芸術作品であっても(そして自分の政治的主張に好意的な作品であっても)、軍服を着た大統領というイメージに対して批判的であり、かつ大統領側が特に差し止めを求めていないにもかかわらず、雑誌側も大統領の問題提起を大切なものと受け止め、表紙を問題になった画像から「それを問題にした大統領の手紙」に差し替えている点である。

 そして、この「文民統制」という緊張感に関する伝統は、その後も20世紀を通じてアメリカ合衆国の重要な文化として維持されるが、(先に「アメリカでも原則が崩れている」と述べたように)近年ジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領によって破られている。
 ブッシュ大統領は2003年に5月1日に空母アブラハム・リンカーン上でイラク戦争において「主要な作戦計画」は終わったと述べたが、そのさいに艦上対潜哨戒機S-3(ヴァイキング)から(空軍州兵の戦闘機パイロットであったという過去をアピールするために)戦闘機用のスーツを着て降り立った。
 これを、例えばYahoo のコラムでリック・トーマス氏は「ブッシュの最も象徴的な違反行為」と名指している。
 というのも、彼によれば、軍服を着た最後の大統領が初代大統領ジョージ・ワシントンであり、その後ながらく現職の大統領が軍服を着ることはタブーであったからである。

from Wikipedia
(ワシントンは1791年のウィスキー反乱において陣頭指揮を執ったため軍服を着用したが、戦場以外の場所で軍服を着ることは慎重に避けていたようである。)

 しかし、こういった(二世紀以上にわたる)緊張感が崩れると、なかなか回復できないようで、一般にはリベラルと思われているオバマ大統領も、この点でブッシュに倣うことになる。
 オバマ大統領は2010年3月28日にアフガニスタン(バグラム空軍基地)を訪れたさいに、空軍が提供した革のフライトジャケットを着用した。
 
 この件でペンシルバニア工科大学の歴史学の教授で、空軍の元中佐(2005年退役)でもある ウィリアム・アストア氏は Huffington Post に掲載された「大統領用の軍服? とんでもない!」と題するコラムで非難している。

  こうした「たがが緩んだ」とみえる状況は、しかし政治家だけに問題があるのではなく、メディアや広く国民一般がアフガン・イラク両戦争の期間中に、ナショナリズムの熱に浮かされて批判能力を失ったことにあるだろう。
 その一方で、主要な(少なくともネット上の主要な)メディアに、こうした行為への批判を見いだすことはさほど難しくないというのが、アメリカの「言論」がまだ多少は機能している、ということであろう。
 さて、我が国ではどうだろうか?

2013年4月10日水曜日

日本を含めた先進国が第三世界に負う「気候債務」の計算法についての検討

このエントリーをはてなブックマークに追加


 「環境債務」という概念がある。現在、多くの第三世界諸国は「先進国」に対して経済的な債務を負っている。しかし、先進国の繁栄は気候変動(地球温暖化)や化石資源の浪費など、様々な環境負荷を前提にしたものであり、例えば中国とインドの全人口がアメリカ並みに資源を浪費した生活を行うとしたら、地球が数個必要な状態になってしまう。そのため、環境面では第三世界諸国の人々に割り当てられるはずであった資源を先進国側が過剰利用しているという側面があり、これを逆に「先進国側が第三世界側に返さなければいけない『債務』」として把握する議論である。これは、リオ・サミット以後に、ラテンアメリカなどの社会運動から提起された概念であるとされるが、現在、各国の社会運動で議論されている。
 さて、それが具体的にどの程度の数字になるのか、チュニジアで行われた2013年度の世界社会フォーラムのワークショップで、ドイツの物理学者ヘルムート・セリンガー博士の提案を例に考えて見たい。
 もちろん、ここで示されている数字は、科学的と言うよりは極めて政治的なものであり、国際交渉によって(何年度を基準にとるか、世界全体でどの程度の排出量に抑えるかや、排出のコストをどう算定するかなどは)大きく変わってくるものである。従って、ここでは数字そのものと言うよりも議論の骨格に注目していただきたい。
 以下の図表などは個人的にいただいた発表資料に基づいているが、発表の大枠は
  Helmut Selinger 2010 ’The Costs of Carbon Dioxide Emissions: A Just Basis for the UN-Global Climate Summit in Canc’ transform!
 に沿ったものであったので、そちらもご参照いただきたい。

 2007年のバリ会議(気候変動枠組条約第 13 回締約国会議及び京都議定書第 3 回締約国会合)で、国際社会は温室効果ガスの影響による平均気温の上昇を二度程度に抑えると言うことで合意した。
 その目標を達成するためには、WBGU(グローバルな変動に関するドイツ助言委員会/1992年にドイツ政府によって設立された独立の研究・提言組織)によれば、1990年から2050年までの間に、温室効果ガスの排出量を二酸化炭素換算で1,100ギガトン(ギガトン=10億トン)に押さえる必要がある。このような形で放出量の国際的な「上限」を定めて、各国に割り振る方法を「国際予算」アプローチと呼ぶことにする。
 次に、これを人口あたりで割り振ることにすると、この60年のうちに一人あたり年間2.7トンの二酸化炭素を排出する権利がある、ということになる。
 また、人類は1990年から2009年までのあいだにおよそ500ギガトンの二酸化炭素を排出した。従って、残りの(2010年から2050年までの)排出可能量は600ギガトンということになる。
 これらの数字から、人類ひとりひとりが平等に排出権を持っている、と仮定した場合の、今後の排出可能量は以下の図表のようになる。
 

 


 中国は、世界人口の22%を占めるため、総排出量(1,100ギガトン)の22%、239ギガトンの「排出権」を持つものとする。また、1990年からこれまでのところ、75ギガトンを排出しているため、239ギガトンから75ギガトンを引いて、164ギガトンが中国に割り振られた「予算」ということになる。この予算を2008年の排出実績(6.2ギガトン)で割ると、中国が予算を使い尽くすまでにはだいたい26年ということになる。
 同様に、インドはこれまで175ギガトンの割り当てに対して、19ギガトンを利用しており、排出実績から計算すると103年の余裕がある。
 一方、アメリカは世界人口の4.7%を占め、52ギガトンの割り当てを持っているが、2010年までに108ギガトンを排出しており、-56ギガトンの大赤字、という計算になる。
 さて、アメリカはすでに排出超過であるため、毎年の排出(2008年実績で6.1ギガトン)のコストを払わなければいけない。このコストについては、様々な計算がありうるが、第三世界において「回避と適応」(avoidance and
adaptation)(※たぶん、よくmitigation and adaptation と言われるものと同じ概念で、ドイツ語から英語になおしているために mitigation が avoidance になったのではないか?)を行うためのコストとされる、1トンあたり40ドルをベースに考えると、アメリカは年間2440億ドルを支払わなければならない計算になる。
 日本の場合、割り当ては26ギガトンであり、そのうち23ギガトンを既に利用しており、残りの「予算」は3ギガトンである。2008年の排出実績は1.3ギガトンなので、2年程度でこれを使い切ってしまう(2013年現在、すでに使い切った)計算になる。

 ここまでがセリンガー氏の提案である。
 先に述べたとおり、数字には「議論の余地」がある。これらの数字は科学的に一意に決まるものでもないが、例えば人口動態などはもう少し厳密に反映する余地があるかもしれない(一般に先進国の人口は横ばいか微減であるのに対し、第三世界人口は増加しているので、2050年までの人口予測に基づいて計算式を修正することは、おそらく第三世界側に有利に働く)。例えば、1990年を基準年にとるのはリオ・サミットがひとつのきっかけになっているからだが、これは産業革命から1990年までの(殆どが先進国側の)過剰な排出が無視されるということでもある。一方、「回避と適応」コストは技術革新などを加味して多少割り引く(先進国側に有利)余地があるかも知れない。
 こういった議論が成立する政治的な余地が大きいかというと、極めて難しいかもしれない。特に、先進国がこの計算式どうりの金額を(多少係数は変えたとしても)第三世界に支払うという政治状況にはないであろう。ただ、(「気候債務」という名称が示唆する)たとえば ODA や世銀等の公的債務の返済と相殺する、といった提案は可能であろう。

2013年3月23日土曜日

世界社会フォーラムに参加するため、チュニスにやってきました

このエントリーをはてなブックマークに追加
世界社会フォーラムに参加するため、北アフリカはチュニジアの首都チュニスにやってきました。
 「アラブの春」と呼ばれた一連のアラブ諸国の民主化運動の起点にもなったチュニジアですが、その後も野党党首が暗殺されるなど、情勢は流動的です。
 この国で世界社会フォーラムが開かれる意義や、そこに参加する動機については「チュニジアで開催される世界社会フォーラムの重要性」という記事を書いたとおりです。

さて、午後についてチュニスの街をあるいて見た感じでは、特に緊張感といったものは感じられず、人々は(元々チュニジアは第三世界の中では治安の良い国といわれていますが、革命後も特に治安が悪化したというようには感じられず)変わらぬ日常を送っているように見えます。
 とはいえ、社会フォーラムの日程にかぶってチュニス空港がストで閉鎖されるという情報なども流れており、政治的・経済的には様々な問題が存在していることもあきらかで、そのあたりも社会フォーラムなどで議論があればレポートしたいと思います。

 世界社会フォーラムについては #世界社会フォーラム 2013(#チュニス)速報ブログのほうにアップする予定です。

2013年1月26日土曜日

チュニジアで開催される世界社会フォーラムの重要性: マグレブ・マシュリ ク、そして全世界の世俗主義的な民衆運動との連帯のために

このエントリーをはてなブックマークに追加
アルジェリア人質事件は日本人を含む多くの犠牲者を出し、悲劇的な結末を迎えた。こういった悲劇を繰り返さないためにも、国際社会は連帯して平和構築にむかっていかなければならない。しかし、日本でも既に自衛隊の海外派遣等の議論が活発化するなど、むしろ対立が激化する徴候が見られる。こうした「軍事的手段による対応」ではない、こういった問題への対応策を提示する必要があるだろう。
 その観点から、本年三月にチュニジアで行われる世界社会フォーラムの重要性は高まっており、我々はこれに注目(できれば積極的な参加も)する必要があるだろう。

World Social Forum 2006 (Karachi, Pakistan)
カラチでの世界社会フォーラム
世界社会フォーラムは、現在概ね隔年で開かれている、世界最大規模の社会運動の集会である。元々、2001年にブラジルのポルト・アレグレで開始され、その後ベレン(ブラジル)、ムンバイ(インド)、ナイロビ(ケニア)、ダカール(セネガル)等で開催されてきた。2006年にはバマコ(マリ)でも開催されている。ダヴォス(スイス)で行われる世界経済フォーラムが年間数百万の高額の会費を払える富裕層と、招待された一部の政治家・学者等だけが参加できるのに対抗して「誰もが集まれる空間」を目指すとされ、環境、貧困、債務、貿易の自由化といった様々な問題が議論される。そして、今年は「アラブの春」の成果の共有を掲げて、チュニジアの首都チュニスで3月26日から30日の日程で開催されることになっている。(詳細は http://www.fsm2013.org/en 参照)

 アルジェリアの人質事件には、アルカイダのネットワークに属するイスラム原理主義グループが関与していると言われている。また、これに限らずアジア、中東から今回のアフリカまで、第三世界の広い地域でイスラム系過激派のグループは活動を過激化させている。その背景には、当該地域の民衆が(もちろん積極的に参加するのは少数派でも)そういった活動に好意的になっている、という事情は無視できない。そして民衆を追い立てているのは我々先進国である、という事実にも目を向ける必要があるだろう。例えば、アルカイダ掃討作戦としてアフガニスタン、パキスタン、イエメンなどで展開されている、米軍を中心とした作戦活動では、子どもを含む多くの民間人の犠牲者が報告されており、たとえ先進国の人間が含まれていなくてもこうしたことが悲劇であり、人道への大きな脅威である、ということの真摯な反省は必要である。
 また、現在イスラム原理主義が強い地域でも、元々それが一般的であったというわけではない。パーレビ国王を追放した79年のイラン革命は「イスラム革命」とも呼ばれるが、当初は宗教指導者であるホメイニ師と共に、バニサドル大統領ら世俗主義的なグループも存在していた。彼らが孤立し、亡命を余儀なくされる過程を、当時フランス社会党の理論家であったリオネル・ジョスパン(後、首相)は「簒奪された革命」と呼んでいる。PLOも当初は世俗主義的な組織として出発している。これらの活動が国際的な支援を十分に得られず(PLOの勢力が世俗主義者であるアラファトからイスラム主義の影響の強いハマスにうつっていったことに代表されるように)徐々に民衆の期待や支持が世俗主義から宗教勢力にうつっていったのである。

 これは、今まさに繰り返されていることでもあるだろう。「アラブの春」と呼ばれる民主化運動は、エジプトやチュニジアの社会に大きな変革をもたらすと期待されていた。これらの運動を担ったのは、インターネットで連絡を取り合った、世俗的な若者たちであった。アメリカに留学していたしたエジプト人の学生は、エジプトのタリハール広場での集会に参加した後アメリカに戻り、米ウィスコンシン州の共和党知事リコールのための集会にも参加し「一週間で二革命」と宣言したという。しかし、こうした世俗主義グループは組織的基盤も財力も持たなかったため、その後エジプト、チュニジアで相次いで行われた選挙では、議会において大きな勢力を獲得することは出来ず、穏健派も含めたものではあるが、イスラム主義のグループが多くの議席を獲得した。
 マグレブ諸国について見れば、民主化の先鞭をつけたチュニジアと、王政が機能しているモロッコは、社会状況は異なるが、比較的(組合運動を)中心とした世俗主義左派グループも機能している。一方で、軍事独裁が長く続いたアルジェリアとリビアについては、こういった「社会運動」の基盤は極めて弱体化していると見られている。このため、比較的アクセスのしやすいチュニジア・モロッコの社会運動との情報交換から、この地域に対する連帯を表明し、意見を交換し、信頼関係を構築していくことから、アルジェリアとリビアの問題にもコミットメントを広げていく、という方針が好ましいであろう。
 逆に、世界の、人権と連帯を重んじる民衆運動がチュニジアの世俗主義的な社会運動を支援できなければ、それらは宗教原理主義の波の中にかき消えるという、イランやパレスティナの歴史の再現になる可能性が高いと言えるだろう。


World Social Forum 2007 Closing @ Uhuru Park (Nairobi, Kenya)
ナイロビでの世界社会フォーラム
「テロ/恐怖」の最大の目的は、「我々」と「奴ら」を区分し、分断することにある。暴力と悲劇の前では「彼らにも理があるのだから」という論理は弱腰で優柔不断なものに感じられる。しかし、だからこそ我々は「この暴力」と「あの暴力」を、我々にとっての共通の脅威である、と考えることから始めなければ行けない。つまり、先進国の市民に突然襲いかかる銃や爆弾の恐怖と、パキスタンやイエメンの片田舎の村に突然飛来する無人戦闘機の恐怖は、我々を二つの対立する陣営のどちらかにいやおうなく振り分けるための恐怖なのだ、と考える必要があると言うことである。
 そして、次におそらく、この恐怖を利用することに反対する人々が「奴ら」の中にもいることを発見することができる。また、「奴ら」の中のこういった人々と協力することによって、相互に「我々」の中にも「奴ら」の中にも、恐怖を利用することに反対する人々を徐々に増やすための活動が育っていくことだろう。これが、人類が歴史的に確立した「寛容」と「連帯」の論理であるはずだ。そして、今年幸いにしてチュニジアで行われる世界社会フォーラムは、こうした連帯を構築する、重要な一歩になることが期待されている。




2013年1月6日日曜日

エクアドルの思い出 「新自由主義者」パラシオ前大統領こそが偉かった (?)という話

このエントリーをはてなブックマークに追加
「南米エクアドルで4日、2月17日に行われる大統領選の公式選挙期間が始まりました」(赤旗)ということで、2008年にエクアドルに行ったときのことをすこし(写真は首都キト)。
Old City(World Heritage), Quito, Ecuador (2008)


 かつて「アメリカ合衆国の裏庭」とも言われた南米諸国は、現在、全体として見ればアメリカからの自律路線を歩んでいる。明確に親米路線を続けているのはコロンビアぐらいであるといえよう。その中でも、「オルタグローバリゼーション」を掲げ中核となる指導者が三人いる。豊富な石油マネーと軍および同国で圧倒的多数を占める貧困層という盤石な支持基盤を持ち、国際社会に議論を巻き起こし続けるウゴ・チャベス大統領、先住民出身の市民運動家であったボリビアのエボ・モラレス大統領、そして今回選挙を迎えたエクアドルのラファエル・コレア大統領である。これに、ルラ、ルセフと二代続く労働者党政権のブラジルを中心に、アルゼンチン、ウルグアイなどが「穏健な反米」政策をしく(特にブラジルは南米内部でも温度差のある諸国の仲介役という面がある)。
 コレアはイリノイ大学で博士号を取得した経済学者で、ルシオ・グティエレス政権時代に、副大統領アルフレド・パラシオの経済顧問を勤める。グティエレスの失脚によりパラシオが大統領になると、蔵相に就任するが(一般的に言われるところによれば米国やIMF/世銀の圧力によって)辞任に追い込まれる。その後、2006年の大統領選でエクアドル大統領に就任している。
 チャベスが一種、資金と権力を使って刺激的な議論をぶちあげる役を担っているのに対し、経済政策に通じたコレアはポスト・チャベスにむけた体制作りを進めてきた。それは例えばジュビリー運動を継承し、「第三世界の不当な債務を帳消しにする」という目的のための債務監査プロジェクトであったり、環境のための国際援助であるヤスニ・イニシアティヴであったり、ドルにかわる国債基軸通貨としてのスクレの創出であったりする。

 私は、2008年にコレアの設置した債務監査委員会が答申を発表するというので開かれた研究会に参加する機会を得た。その時非常に印象的だったのは「外国の人はパラシオまでの大統領は親米的であって、コレアというヒーローが誕生したことによってエクアドルが自律の道を歩み始めた、という理解をするが、それは誤りである」というあるエクアドル人社会学者の発言である。
 彼によれば、パラシオ大統領がコレア蔵相を解任したとき、パラシオは親米、親新自由主義的な政策を選択したとされる。これはもちろん誤りではないが、一方でこれは大統領にとってもエクアドル自身にとってもアメリカに対する面従腹背の時期だ、と位置づけられたのだ、という話であった。実際、パラシオ大統領は親米的な政策を選択する間も、自身に反対するような市民運動に有形無形の支援を与え続けたのであり、その(市民運動の組織形成や彼らによる政策研究という)蓄積があったからこそコレア大統領が就任してすぐに様々な政策を打ち出せた、ということであるという。まぁ、これが本当ならパラシオはコレア以上に優れたリーダーだった、ということかもしれない。

International Study and Strategy Meeting On Illegitimate Debt (Quito2008) とはいっても、私の滞在中にも市民運動出身のサルガド蔵相(写真)がコレア大統領と対立して電撃解任されたり(ディナーで蔵相としてのスピーチを聞いて、慌ただしく退席したのでなにかあったのかと思っていたら翌朝のニュースでは解任されてた…)、その大統領もボリビアでクーデター未遂が発覚したとのことで緊急の南米諸国首脳会議に出席するために出国し、週末に予定されていた債務監査委員会が答申を大統領に伝える式典が延期されたりと、わずか一週間でも多事多難なのであったが(小国とは言え、安定した先進国の元首にとっての一年分ぐらいの問題が一週間ぐらいに凝縮されて起こる感じなんじゃないかとも思った)。


International Study and Strategy Meeting On Illegitimate Debt (Quito2008)
キト市と日本人が「エクアドル富士」とか勝手に呼んでいるコトパクシ山

International Study and Strategy Meeting On Illegitimate Debt (Quito2008)
滞在していたキリスト教系の施設周辺。アンデスの多くの都市同様、キトも盆地の中心部が旧市街で、このあたりはあまり所得の高くない層が住むエリアと言うことになる。

2013年1月1日火曜日

あけましておめでとうございます

このエントリーをはてなブックマークに追加

ことしもよろしくおねがいします。