2015年7月20日月曜日

短期的な軍備増強より、恒久的和のための無数のステップを着実に

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恒久平和ないし永遠平和についての議論で、我々はカントに多くを負っている。
 カントは「恒久平和は、空虚な理念ではなく、漸進的に解決されて目標に絶えず接近していく課題である」と考えていた。
 カントの議論から二百年以上を経て、我々はこの問題に関して、たいした進歩があるように見えないかもしれない。
 しかしながら、議論は着実に重ねられており、それなりの進歩も重ねられている。
 例えば第二次世界大戦の処理はそれまでの帝国主義戦争の処理の「失敗」を反映したものだし、世界人権宣言はそこで求められたものの多くを反映している。
 また、近年では1998年の国際刑事裁判所の設置があげられるであろう。

近隣諸国の脅威に対応した軍拡は、いわば対処療法のようなものである。
 軍拡には、相手も軍拡を持って応じるのであり、両国の軍拡はとどまるところを知らないであろう。
 こういった、ポジティヴ・フィードバックのシステムを、文化人類学者グレゴリー・ベイトソンは「中毒」と呼んだ。
 軍拡は、文明の生む典型的な中毒症状である。

それに対して、先に挙げたような「恒久平和のための」漸進的な諸改革は、それ一つ一つが一気に戦争をなくせる即効性があるわけではないが、徐々に構造を改善していくことで、戦争を起こりにくくしていくものである。
 可能であるなら、我々は軍拡競争に乗るよりも、こういった「体質改善」の人類的な努力に積極的に関与することで、世界を平和に近づけていきたいものである。
しかし、国際刑事裁判所のようなものは基本的に、国家に対して「べからず」を設定するものであった。
 その意味では、日本では(おそらく一般論としては世界各国で)ほとんど注目されていないが、先週先週エチオピアの首都アディス・アベバで行われていた第三回開発資金国際会議での議論は、恒久平和のためのプロセスに、極めてイノベーティヴなプロセスを追加することになるかもしれない試みであった。
議論の焦点は、現在策定プロセスに入っている国連持続的開発目標(SDGs。今年、終了を迎える国連ミレニアム開発目標 MDGs の後継プロジェクト)を資金面でどう補償するか、という問題である。
 ここでの議論について、いくつかの記事を alterglobe.net で紹介している。
第3回開発資金国際会議終了、市民社会組織の多くは成果を批判
 ・「開発のための金融に関する国際会議」と国連持続的開発目標
【オピニオン】露骨な「貧困削減」の民営化は人権をリスクに晒す
この会議で、開発途上国からなるG77グループは、国連税委員会を、より実行力のある、国際課税の諸問題を担う新しい国連組織として強化することを求めた。
 この、ホスト国エチオピアと南アフリカ共和国が実務を担った提案は、OECD諸国の反発で否決されたと伝えられている(市民社会組織のEurodadは、この戦犯として日米英を名指しで批判している)。
SDGsを実施する上で必要なのは、所得と資源の大幅な南北移転である。
 現実的には、様々な汚職や脱税などで、一兆ドル程度が南の諸国から北の諸国に移転されていると考えられている。
 これは、SDGsの目標の一つである「すべての国からの極端な貧困の根絶」のために必要とされる年間660億ドルを、タックス・ヘイヴンの撲滅などで捻出できる可能性を示している。
先進国(OECD加盟諸国)はGDPの0.7パーセントを開発援助に費やすことを義務付けられている。
 これは一種の税金のようなものだが、現状では罰則も強制力もないため、この条件を満たしている国は北欧を中心に小国5カ国にとどまっている(G7諸国はいずれも落第である)。
 新しい国連機関が強制力を持ってこれを徴収できれば、また「税率」も上昇させることができれば、ここにも数千億ドルの財源を生み出すことができるかもしれない。
こういった、強制力を伴う国際課税の大きなメリットの一つは、例えば鉱山開発に炭素税や環境税などを課す一方で、貧困国に所得移転を行うことで、結果的には資源の保有のインセンティヴが相対的に低下することである。
 (もちろん、個々の国の有力者や企業にとって、依然として資源は魅力的なものであろうが、個々の国民国家の一般意志にとって、資源保有のために戦争を行うことの便益は低下する)
 イラク問題であれ南沙諸島問題であれ、戦争というのは究極的には資源の獲得競争である。
 恒久平和の達成のために、資源の保持コストを国際的にあげ、貧困国であることのリスクを下げることは、極めて合理的である。
 これは、国民国家が内部的に、その役割を自由権だけを保証するものから社会権も保証するものに変えていったのと、相似の進歩である。
 我々人類は今しばらくは世界連邦国家を持たないであろうが、国際社会では国家間での所得移転により不平等(格差)を解消し、個別の国家内で格差解消の措置が取られれば、推移律的に世界の格差は解消に向かうことになる。

もちろん、今年中に国連で、グローバルな税機関についてなんらかの合意が達成されるとしても、それは例えば90年代に市民社会組織が提示したような革新的なものにはならないであろう。
 しかし、それとても、漸進的な問題である。
 我々人類は、大まかに言えば進むべき方向についての合意を共有している。
しかし、日本が憲法を強引に「解釈改憲」してまで軍拡や軍事同盟強化に走る一方で、こういった恒久平和プロセスにおいてはなんら貢献がないばかりか、アメリカと同列に「足を引っ張っている」と判断されるのは、非常に残念なことである。
 来たるべき国政選挙では、復古的な価値観を持つ政治家ではなく、恒久平和のための漸進的なプロセスという人類的価値を共有する政治家を一人でも多く、国会に送り込みたいものである。