他国の国民投票で、どちらに入れるかを外野からごちゃごちゃいうのはお行儀のいいことではないかもしれないが、日本のマスメディアはあまりに非難一辺倒なので、すこし論じてみたい。
まず、誤解がある気がするのは、ギリシャはすでに2010年以降、IMFの緊縮プログラムを受け入れてこの状態ということである。
その間、トロイカ(IMF、欧州委員会と欧州中央銀行)は4.5パーセントの財政黒字(利払い前)を要求し(チプラスの要求によって、これは3.5パーセントまで下がった)、政府支出は30パーセント以上削減され、その結果としてGDPは25パーセント低下した。
大規模な年金や公務員の削減や、それに伴う失業は、基本的に緊縮策の結果である。
その間、トロイカからやってくるお金は国内の生活と経済をよくするためにはほとんど使われず、9割がギリシャを素通りして外国の金融機関に支払われた。
緊縮プログラムを受け入れる(Yesに投票する)というのは、これがさらに数年続くということである。
おそらく、投票結果が Yes だった場合、チプラス首相は辞任することになる。
ギリシャ憲法に詳しいわけではないので詳細は分からないが、選挙をしている時間はなさそうだし、おそらく大統領は第二党である新民主主義党(中道右派政党)党首であるサマラス前首相に、組閣を要請することになるだろう。
Syrizaと連立を組んでいる小規模政党「独立ギリシャ人」がどう決断するかで情勢は若干変わってくるが、新政権が過半数を上回ることはなさそうなので、基本的にはサマラス政権の役割は、緊縮政策の受託表明と、選挙管理にとどまるであろう。
仮に比較的政権がながく続けられたとしても、せいぜい今年いっぱいである。
その間、緊縮政策は続けられるわけだから、税収はさらに落ち、不況はさらに深刻になる。
第一党である Syriza が新政権にどういう態度をとるかは不明だが、国民投票の結果がよほど大差でなければ、新政権に協力的になるのは難しそうである。
したがって、不況が深刻になる中、ギリシャは再度総選挙に挑むことになる。
その場合、既存の二大政党にも失望し、また急進左翼連合(Syriza)にも失望した国民の支持の相当数を吸収するのは、極右「黄金の夜明け」である。
黄金の夜明けの対外的な強行性(トルコやマケドニアに対する)がどの程度真実かは分からないが、少なくとも国内の少数派や移民の置かれる立場は急速に悪化するであろう。
また、「黄金の夜明け」の手によってギリシャがEU離脱をするというのは、欧州委員会にとってSyriza政権が続くより好ましい状況なのか、というのは深刻に問う必要があある。
少なくとも我々が、第二次世界大戦がドイツが深刻な不況に置かれ、そこから英雄ヒトラー待望論が生まれたという歴史に学んでいないことになるだろう。
(ギリシャは小国で、世界のパワーバランスに対する影響は軽微だから問題ない、というのではあまりに無責任というべきではないか)
では、Noの場合はどうなるだろうか?
スティグリッツらが述べるように、これは多少マシなシナリオになる可能性を含んでいる。
ギリシャはデフォルトすし、ユーロ圏から離脱することになるだろうが、デフォルトした国が立ち直ることは十分にある。
最近ではアルゼンチンがそうである。
ただ、アルゼンチンに対してはブラジルら周辺諸国の配慮が相当あったが、こういった配慮をするのがEUか、あるいは「新しい友だち」としてロシアや中国が立ち現れるのか、というのは定かではない(結局のところ、EUにとっての選択肢は「デフォルトし、ユーロ離脱を決める前に支援するか、そうなったあとに支援するか」ということでしかないのではないか?)。
これまで、ギリシャの国家運営は極めて野放図であったという指摘もある。
しかし、これは、ギリシャの寡頭政治のせいであったということを忘れてはならない。
ギリシャの政治は典型的な二大政党制だが、それは理念による対立というよりは、左派の大物(パパンドレウ家を中心とした)と右派の大物(カラマンリス家を中心とした)のどちらがより子分を多く集めるか、という政局を軸に行われてきた。
そのさいに(第三世界によくあるように…ただ、もちろん我が国の政治もにたようなものであるが…)有権者に関する利益分配を競うということが行われた。
有権者と候補者が、利益分配によって結ばれる「クライエンタリズム」と呼ばれる政治形態である。
それに対して、Syriza は市民社会によって担われた政党であり、Syriza 政権が確立したこと自体が、ギリシャがクライエンタリズムとそれに伴う野放図な財政から脱却できる可能性を示唆している。
つまり、これは経済ではなく政治の問題である。
国際社会は、ギリシャが、クライエンタリズムに戻るのでもなく、またファシズムに落ち込むのでもなく、市民の手で方向を決めていくことのできる政治体制を選ぶことで未来が開けるような形で支援するべきだ、ということである。
しかし、現実的には、特に欧州の首脳たちは、「話せる」かつての仲間、あるいはコントロールしやすい指導者(全ギリシャ社会主義運動と新民主主義党という二大政党の指導者たち)がギリシャの支配圏を取り戻し、欧州委員会によって都合のいい小国でありつづけることが、ギリシャの市民生活やデモクラシーよりも重要であると考えているようにしかみえないのである。
「ギリシャ問題の解決」とは、大国の首脳たちの、こういった態度を変更させ、ギリシャのデモクラシーを尊重することであり、そういった目的にそう形で「支援」が行われるべきだろう。