どこかアレックス・ギネス演じるオビワン・ケノービを思わせる風格の老ジェレミー・コービン下院議員が次期労働党党首選挙で勝利するかもしれないというので話題になっている。
ジェレミー・コービンは、労働党最左派に位置付けられる議員で、トニー・ブレアが「第三の道」をキャッチフレーズに英国労働党を経済界からの要求にも応えられる中道政党に生まれ変わらせたあとも生き残っている、数少ない「社会主義者」議員である。
私個人も、コービンがブラジルやパキスタンの世界社会フォーラムで、パレスチナ問題などの会議に出席するのを何度か見ているが、気候変動、食糧問題、貧困、紛争といった問題を丹念に追う、グラスルーツに軸足を置いた議員である。
近年では「反緊縮」を掲げる大規模な運動にも参加した、数少ない労働党議員である(この運動には共産党、スコットランド民族党、緑の党などがより積極的に関与している)。
さて、ブレディみかこ氏の記事「英労働党首候補コービン、原爆70年忌に核兵器廃絶を訴える」で、ジェレミー・コービン(英下院議員)による広島原爆死没者追悼式典での演説が紹介されている(原文はFacebook で読める)。
そのなかで、注目すべき一節がある。以下の部分である。
このあたりの明快さは、しばしば比較される米民主党最左派候補であるバーニー・サンダース上院議員が、国内の貧困問題には強い姿勢を打ち出す一方で、国際紛争や軍縮に関してはあまり明確に立場を示していないのとは対照的である。
そして、「彼らのスキルは失われてはいけません。それは別のことのために使われるべきです」で、コービンはマイク・クーリーの「ルーカス・プラン」を想起しているのである。コービンは別の場所でクーリーについて明示的に言及している。
ここで、コービンが述べているマイク・クーリーは、ルーカス社の技術者で、科学技術と社会の関係について考察した、先駆的人物の一人である。1970年代、サッチャー政権下でルーカス社にも「合理化」の波が押し寄せ、多数の従業員が解雇の通告を受けた。その中で、クーリーを中心とした技術者たちは、解雇撤回のために労働争議に突入すると同時に、軍事産業を中心としたルーカス社の事業を、より社会的有用性の高い事業にシフトさせるべく、様々な提案を行った。
一連のこうした提案は「ルーカス・プラン」として知られている。ルーカス・プランでは、航空産業で使われていた技術を、医療や交通などの民生分野で生かすための様々な取り組みが扱われている(以下はすべて『人間復興のテクノロジー』(マイク・クーリー 1989 里深文彦訳 御茶の水書房)より)。
ルーカス・プラン誕生のきっかけのひとつは、ある技術者が脊椎に問題を持っている子どもたちが這って移動しているのを見て衝撃を受け、それらの子どもたちが使い易い乗り物を設計したことである。この乗り物はホブカーととして知られている。技術者はこれを会社の事業に取り入れることを提案し、実際この製品を知ったオーストラリアの脊椎破裂協会から大口の注文が入ったが、ルーカス社の経営陣は同社の「製品領域と合わない」という理由でこれを却下した。
ルーカス・プランで提案された製品には、熱の恒常性維持などに着目した製品が多いが、これは同社の「製品領域」を民生用に転換するとそうなるということだろう。例えば、手術中に血液の流量と温度を最適に保つ機械が開発され、これは実際ルーカス社の社員の手術に際して利用された。また、太陽熱を利用した屋根に取り付ける発電機や、天然ガスを利用した効率の良いヒートポンプも開発された。ガソリンエンジンと電気モーターを状況に応じて使い分ける、現在言う所のハイブリット・カーの開発にも着手された。現在で言う所のデュアル・モード・ヴィークルも提案されている。車として道路を走ることもできる一方、軌道上を走ることもできる。軌道上を走る時は、通常の車より遥かに急な勾配を上ることができるように設計されているが、この目的は、自然破壊を最小限にとどめ、山を削ったり谷を埋めたりすることなしに線路を通すことを可能にしたいということであった。
これらの提案は、ルーカス社によって拒否され、またサッチャー政権下のイギリスではほぼ顧みられることはなかった。また、実際は労働党の幹部や大規模労組の幹部も、これらの提案にほとんど関心を示さなかった。彼らにとって労働者とは、自分たちの指導に従うものであって、ボトムアップで提案をあげてくるような存在ではなかったのである。
しかし、一部の例外はあり、クーリーを熱心に支援した労組や政治家も存在した。その最も特筆すべき例が、当時グレーター・ロンドン市会議議長を務めていたケン・リヴィングストンである。
リヴィングストンは通称「赤いケン」として知られる労働党最左派で、当時はサッチャー政権と厳しく対立していた。当時、市庁舎はイギリス議会のあるウェストミンスター宮とテムズ川を隔てた対岸のカウンティ・ホールにあったが、リヴィングストンはこの屋根に、サッチャー政権で悪化するロンドンの失業者数を、国会から見えるように掲示させた。この対立は、怒りに燃えたサッチャーがグレーター・ロンドンを解体し、各特別区に権限を移譲するまで続いた。
また、リヴィングストンは核兵器の問題に相当の予算を費やし、軍縮のための研究を進めさせた。こうしたリヴィングストンであるから、当然ながらクーリーの計画に関心を示し、彼を新設した大ロンドン市企業委員会(GLEB)の技術部長職を提供した。GLEBは公共性の高い事業にロンドン議会が支援を提供するための組織である。
しかし、ブレアの登場により中道化し、労働組合などの発言力が抑えられた「ニュー・レイバー」時代のイギリスで、クーリーの思想の影響力は低迷していく。一方、クーリーの思想はむしろ他国で高く評価され、1990年代には欧州委員会などでの仕事が中心になっていく。
ジェレミー・コービンは、トライデント・システムの置き換えを中止し、ここに費やされている資金や技術を、より「社会的に有用な」事業のために利用していこうと述べている。これは、ルーカス・プランの復活という提案に他ならない。
さて、日本でもSTSという分野が知られている。科学技術と社会(Science, Technology and Society)ないし科学技術社会論(Science Technology Studies)の略とされる(個人的には前者が好みである)。
もともと、この分野は、1960年代以降、科学技術が「よいことばかりではない」つまり「社会的な問題を引き起こしうる」ということに気づかれたことから必要性が認識され始めた。
原爆使用の問題点をいち早く主張したレオ・シラードや、環境問題で有名なレイチェル・カーソンなどは、STSを研究しているという意識はなかったわけであるが、STSを準備した、とは言える。マイク・クーリーも、そういったSTS的関心事を準備した思想家の一人であると言えるだろう。
STSの先駆的な研究者であるマイケル・ギボンズとフィリップ・ガメットは初期の総論的な入門書である『科学・技術・社会をみる眼』(里深文彦監訳、現代書館 1987)のなかで、 STSの課題について次のように述べている。
「労働力を機械におきかえる技術、生命を操作する遺伝子工学、核の脅威と人類滅亡(皆殺し)の予感ーーこの三つは科学と技術に関わる現代の三大関心事である。しかも、これらはより大きな社会問題の一部分にすぎず、その問題の解明には科学・技術の社会的・政治的・経済的相互関係を調べなくてはならない」(p.9)
しかし、これら科学文明批判としてのSTSという機能は国際的に見ても低下してきているし、ことに日本ではその傾向にある。特に、労働問題に関する議論は、日本では極めて低調である。1970年代にあっては、「労働力を機械におきかえる技術」は主に肉体労働であったが、近年はAIの発達が大きな問題になっており、左派中の左派であるノーム・チョムスキーのような人日狩りでなく、物理学者スティーヴン・ホーキングやテスラモーターズのイーロン・マスクのような人まで懸念を表明する状況を考えれば、日本での議論のなさは問題であろう。
イギリスが核兵器を放棄し、その開発能力をより人間のためになる技術にジェレミー・コービンの提案は、我々を古い、原則主義的な左翼運動の提案に引き戻すとともに、古いSTSの問題意識に引き戻してくれる。
彼が英国労働党を、トニー・ブレアのニュー・レイバーからかつての社会主義的原則に沿った党に戻すことによって数々の理想を取り戻せると考えているならば、そういった目的意識に沿ったオールドSTSを復活させることが必要なのではないか。
(ついでにいうと、社会科学者はブレアの理論的な師であるアンソニー・ギデンズの『第三の道』に対するピエール・ブルデューの議論ー『市場独裁主義批判』ーを思い出す必要があるだろう)
もいちど:こちらが英労働党党首候補に急浮上したジェレミー・コービン。カラチでの社会フォーラムでパレスチナのジャマル・ジュマと一緒のワークショップでしゃべっているところ。こういうところにマメに顔を出すグラスルーツに軸足を置いた活動家。 pic.twitter.com/WHGf3ojLVl
— 春日匠 (@skasuga) 2015, 8月 5
ジェレミー・コービンは、労働党最左派に位置付けられる議員で、トニー・ブレアが「第三の道」をキャッチフレーズに英国労働党を経済界からの要求にも応えられる中道政党に生まれ変わらせたあとも生き残っている、数少ない「社会主義者」議員である。
私個人も、コービンがブラジルやパキスタンの世界社会フォーラムで、パレスチナ問題などの会議に出席するのを何度か見ているが、気候変動、食糧問題、貧困、紛争といった問題を丹念に追う、グラスルーツに軸足を置いた議員である。
近年では「反緊縮」を掲げる大規模な運動にも参加した、数少ない労働党議員である(この運動には共産党、スコットランド民族党、緑の党などがより積極的に関与している)。
さて、ブレディみかこ氏の記事「英労働党首候補コービン、原爆70年忌に核兵器廃絶を訴える」で、ジェレミー・コービン(英下院議員)による広島原爆死没者追悼式典での演説が紹介されている(原文はFacebook で読める)。
そのなかで、注目すべき一節がある。以下の部分である。
英国社会は、我々なりの貢献をしなければならない。それは、核軍縮に向かって踏み出すぐらいのことではなく、(スコットランド東岸にある英国唯一の核兵器)トライデントを更新しないことです。潜水艦や核爆弾を作っている人々は最高峰の素晴らしい技術を持っています。彼らのスキルは失われてはいけません。それは別のことのために使われるべきです。防衛多様化機関を立ち上げるのです。トライデント・システムの老朽化に伴う更新という議論は、労働党が与党だった時代から進められており、コービンら多数の造反を出しながら、更新のための予算案がいちおう議会を通過している。これを止めることができるとすれば、原則主義的なオールド・レイバーとしてのジェレミー・コービンが英国首相になるという意義を、これほど分かりやすく示す例もないであろう。
このあたりの明快さは、しばしば比較される米民主党最左派候補であるバーニー・サンダース上院議員が、国内の貧困問題には強い姿勢を打ち出す一方で、国際紛争や軍縮に関してはあまり明確に立場を示していないのとは対照的である。
そして、「彼らのスキルは失われてはいけません。それは別のことのために使われるべきです」で、コービンはマイク・クーリーの「ルーカス・プラン」を想起しているのである。コービンは別の場所でクーリーについて明示的に言及している。
ある程度は、軍事産業によって雇用は作り出されている。しかしそれは、相応のコスト、つまり倫理的な価値と、ロンドンの豪華な企業オフィスから遠く隔ったった世界の各所に住む人々対する長期の打撃というコストを支払っているとうことである。
30年前、マイク・クーリーとルーカス・エアロスペース社の技術者は一連の小冊子を発行し、軍事産業に使い尽くされてしまっている彼らの極めて高いレベルの研究開発能力が、いかに社会的に有用な製品を作るために使えるかを説明した。
「ニューレイバー」(トニー・ブレアを党首として、経済政策を重視する中道路線の政党として再編成された労働党)の登場まで、武器転換機関は武器輸出への依存を減らすことを願っている労働党によって維持されていた。
ブレア政権下で、武器輸出政策の断固とした推進があり、英国の軍事支出と輸出ライセンスの議会によるコントロールに対する妨害行為があった。
ここで、コービンが述べているマイク・クーリーは、ルーカス社の技術者で、科学技術と社会の関係について考察した、先駆的人物の一人である。1970年代、サッチャー政権下でルーカス社にも「合理化」の波が押し寄せ、多数の従業員が解雇の通告を受けた。その中で、クーリーを中心とした技術者たちは、解雇撤回のために労働争議に突入すると同時に、軍事産業を中心としたルーカス社の事業を、より社会的有用性の高い事業にシフトさせるべく、様々な提案を行った。
一連のこうした提案は「ルーカス・プラン」として知られている。ルーカス・プランでは、航空産業で使われていた技術を、医療や交通などの民生分野で生かすための様々な取り組みが扱われている(以下はすべて『人間復興のテクノロジー』(マイク・クーリー 1989 里深文彦訳 御茶の水書房)より)。
ルーカス・プラン誕生のきっかけのひとつは、ある技術者が脊椎に問題を持っている子どもたちが這って移動しているのを見て衝撃を受け、それらの子どもたちが使い易い乗り物を設計したことである。この乗り物はホブカーととして知られている。技術者はこれを会社の事業に取り入れることを提案し、実際この製品を知ったオーストラリアの脊椎破裂協会から大口の注文が入ったが、ルーカス社の経営陣は同社の「製品領域と合わない」という理由でこれを却下した。
ルーカス・プランで提案された製品には、熱の恒常性維持などに着目した製品が多いが、これは同社の「製品領域」を民生用に転換するとそうなるということだろう。例えば、手術中に血液の流量と温度を最適に保つ機械が開発され、これは実際ルーカス社の社員の手術に際して利用された。また、太陽熱を利用した屋根に取り付ける発電機や、天然ガスを利用した効率の良いヒートポンプも開発された。ガソリンエンジンと電気モーターを状況に応じて使い分ける、現在言う所のハイブリット・カーの開発にも着手された。現在で言う所のデュアル・モード・ヴィークルも提案されている。車として道路を走ることもできる一方、軌道上を走ることもできる。軌道上を走る時は、通常の車より遥かに急な勾配を上ることができるように設計されているが、この目的は、自然破壊を最小限にとどめ、山を削ったり谷を埋めたりすることなしに線路を通すことを可能にしたいということであった。
これらの提案は、ルーカス社によって拒否され、またサッチャー政権下のイギリスではほぼ顧みられることはなかった。また、実際は労働党の幹部や大規模労組の幹部も、これらの提案にほとんど関心を示さなかった。彼らにとって労働者とは、自分たちの指導に従うものであって、ボトムアップで提案をあげてくるような存在ではなかったのである。
しかし、一部の例外はあり、クーリーを熱心に支援した労組や政治家も存在した。その最も特筆すべき例が、当時グレーター・ロンドン市会議議長を務めていたケン・リヴィングストンである。
リヴィングストンは通称「赤いケン」として知られる労働党最左派で、当時はサッチャー政権と厳しく対立していた。当時、市庁舎はイギリス議会のあるウェストミンスター宮とテムズ川を隔てた対岸のカウンティ・ホールにあったが、リヴィングストンはこの屋根に、サッチャー政権で悪化するロンドンの失業者数を、国会から見えるように掲示させた。この対立は、怒りに燃えたサッチャーがグレーター・ロンドンを解体し、各特別区に権限を移譲するまで続いた。
また、リヴィングストンは核兵器の問題に相当の予算を費やし、軍縮のための研究を進めさせた。こうしたリヴィングストンであるから、当然ながらクーリーの計画に関心を示し、彼を新設した大ロンドン市企業委員会(GLEB)の技術部長職を提供した。GLEBは公共性の高い事業にロンドン議会が支援を提供するための組織である。
しかし、ブレアの登場により中道化し、労働組合などの発言力が抑えられた「ニュー・レイバー」時代のイギリスで、クーリーの思想の影響力は低迷していく。一方、クーリーの思想はむしろ他国で高く評価され、1990年代には欧州委員会などでの仕事が中心になっていく。
ジェレミー・コービンは、トライデント・システムの置き換えを中止し、ここに費やされている資金や技術を、より「社会的に有用な」事業のために利用していこうと述べている。これは、ルーカス・プランの復活という提案に他ならない。
さて、日本でもSTSという分野が知られている。科学技術と社会(Science, Technology and Society)ないし科学技術社会論(Science Technology Studies)の略とされる(個人的には前者が好みである)。
もともと、この分野は、1960年代以降、科学技術が「よいことばかりではない」つまり「社会的な問題を引き起こしうる」ということに気づかれたことから必要性が認識され始めた。
原爆使用の問題点をいち早く主張したレオ・シラードや、環境問題で有名なレイチェル・カーソンなどは、STSを研究しているという意識はなかったわけであるが、STSを準備した、とは言える。マイク・クーリーも、そういったSTS的関心事を準備した思想家の一人であると言えるだろう。
STSの先駆的な研究者であるマイケル・ギボンズとフィリップ・ガメットは初期の総論的な入門書である『科学・技術・社会をみる眼』(里深文彦監訳、現代書館 1987)のなかで、 STSの課題について次のように述べている。
「労働力を機械におきかえる技術、生命を操作する遺伝子工学、核の脅威と人類滅亡(皆殺し)の予感ーーこの三つは科学と技術に関わる現代の三大関心事である。しかも、これらはより大きな社会問題の一部分にすぎず、その問題の解明には科学・技術の社会的・政治的・経済的相互関係を調べなくてはならない」(p.9)
しかし、これら科学文明批判としてのSTSという機能は国際的に見ても低下してきているし、ことに日本ではその傾向にある。特に、労働問題に関する議論は、日本では極めて低調である。1970年代にあっては、「労働力を機械におきかえる技術」は主に肉体労働であったが、近年はAIの発達が大きな問題になっており、左派中の左派であるノーム・チョムスキーのような人日狩りでなく、物理学者スティーヴン・ホーキングやテスラモーターズのイーロン・マスクのような人まで懸念を表明する状況を考えれば、日本での議論のなさは問題であろう。
イギリスが核兵器を放棄し、その開発能力をより人間のためになる技術にジェレミー・コービンの提案は、我々を古い、原則主義的な左翼運動の提案に引き戻すとともに、古いSTSの問題意識に引き戻してくれる。
彼が英国労働党を、トニー・ブレアのニュー・レイバーからかつての社会主義的原則に沿った党に戻すことによって数々の理想を取り戻せると考えているならば、そういった目的意識に沿ったオールドSTSを復活させることが必要なのではないか。
(ついでにいうと、社会科学者はブレアの理論的な師であるアンソニー・ギデンズの『第三の道』に対するピエール・ブルデューの議論ー『市場独裁主義批判』ーを思い出す必要があるだろう)