以下のような Tweet をしたところ、500回ほど大変反響があった。
ただ、実のことを言うと、こればっかり Retweet されるのは非常に違和感があって、本当に注目してほしい Tweet はこちら
特に、そのあとの会話にもある通り、高額な供託金の改定がキモであろう。
また加藤良太氏の
は我が意を得たりのコメントで、政治に関して政治家が発信する情報を受け取るだけではなく、自分たちで発信していく、という文化をつくれなければ、単純に選挙カーを廃止してどうこうなるというものでもなかろう、と思う。
もちろん、異質なものは「煩い」 のである。
逆に、自分の生活に関係があると思っているものに対しては「煩い」判定の閾値は上がる。
選挙に行くような高齢者が選挙カーをあまり問題にせず(昨日握手した相手の名前が聞こえるのは、あまり気にならないものである)、政治に距離を感じている(従って投票率が低い)層が選挙カーを煩いと思うのはいわば当然である。
選挙カーに対して消極的なサボタージュ(五月蝿い候補にはいれない) ではおそらく十分ではなくて、自分にとって支持できる候補者を作っていかないと、なかなか古い政治、古い選挙活動からは脱却できないだろうな、ということ。
あと、地方議員の給料が高すぎる、もっと安いほうがいいという議論もあって、これは長期的には反対ではないのだが、いきなりそこからではないだろう、ということも合わせて主張したい。
つまり、欧米では地方議員の給料は総じて安く、場合によってはタダである、ということがよく主張される。
これは事実であるし、好ましいことでもあるのだけど、その場合どういうふうに議会が運営されているかも考えなければいけない。
そうした国では、議員をやっていても仕事は続ける必要があるわけで、議会は仕事が終わったあと、たとえば毎週金曜日の19時から通年で、という感じで開かれる。
日本の場合は、年に何回か、ある程度の期間フルタイムで行うことが多いので、普通のサラリーマンが仕事を続けながらというのは難しいわけである。
もちろん、これを通年週末議会にしただけでは不十分で、法律で雇用者に対して(1)議員に当選してもクビにしてはいけない。(2)議員の任期中は議会に出席するための時短勤務を認めなければいけない、といったことを義務付ける必要があるだろう(この時点でそんな面倒くさいことになるなら議員報酬は高いままでいい、と思う経営者も多そうである)。
でないと、仕事をやめなかったとしても残業があったらまず議会に参加できないし、 17時にきちんと仕事を終えられる職場でも、都心のオフィスを17時に出て、19時からの議会に出席するのは難しい、ということが生じうる。
そういうことになると、そもそも普通の若者は議員になれず、議員は資産家、経営者、地元の自営業、企業や団体(農協や組合等)から派遣される人々ばかりということになる(今でも議員報酬の安い地方ではそういうことになりがちである)。
そうすると、重要なことは、結局その人たちに有利なルールが決まっていく、たとえば、いらない公共事業ばかりできる、ということである。
結局、これは潜在的に社会が払わされる「コスト」であり、議員報酬という「コスト」を削減した結果としてそういう社会的コストが増大する、ということになりかねないのである。
また、議員報酬が安い地域というのは、大体の場合、労働時間が短いだけではなく、市民の政治参加が活発である。
そういった地域では、たとえばNPOなどが活発に政策提言を行うし、一般の人々も政治集会に参加する。
すると、議員の主要な仕事というのは、政治集会に参加した人から、彼らが問題に感じている事象を聞き取り、専門家としての意見をNPOなどから聞き取り、それをまとめて議会に提示する、というメディエーターの仕事ということになる。
日本でも、たとえば国土問題研究所のような団体があって、公共工事の問題ついて専門家が相談に乗ってくれるが、たとえばこうした団体が各都市にちょこちょこあるようになれば、議員の仕事量は下がるし、一方アドバイスの質も上がるので政策提言の質も向上する(ついでにいうと、博士号保持者などのオルタナティヴな就職先にもなる)。
ただし、重要なのはこういった団体の運営コストは、「だれかが払っている」のである。
この外部経済は、先の「公共事業ばっかり」の外部経済よりだいぶとマシなものであるが、反面、市民がかなり真剣にならないと構築しづらいものでもある(NPOに寄付をしたり会費を払ったりする人が継続的にでてこないといけない)。
あと、欧州、特に北欧では、市民のオーナーシップという感覚が根付いているし、情報公開も進んでいる。
日本だと、役所から情報を引き出すのに膨大な手間がかかる、というのも議員の無視できないコストになっており、ここも議員を専従でなくした時にどうなるか、不安なところである。
もちろん、市民が気軽に政治集会に参加する風土ができることは、同時にこの問題の解消につながるであろう。
政策提言も結局のところ知的生産活動であるが、日本ではこの知的生産活動にコストがかかるという意識が非常に乏しいように思われる。
アメリカが政策変更をする時は、驚くほど多くの学者や専門家が関わって、大規模な調査と提言が行われるが、日本の政治はその結果だけをみてそれっぽく真似をすることで成立してきた、という歴史がそうさせるのかもしれない。
このあたりで、それを転換して、政策提言ができる社会をつくっていく時期なのではないか。
具体的には、(1)たとえば議員報酬が高い都市部に関しては、議員報酬を削減して、そのかわり政策立案スタッフを雇えるというような改革をして、全体としての「知的生産コスト」は減らさない。(2)田舎に関しては、地域の若者(特に女性)が議員になるにはどうしたらいいか、という観点から制度改革が必要であり、それは議会の通年化(都市部より楽なはずである)か、報酬の増額か、ということになろう。(3)その上で、草の根の政策提言活動を活性化させる施策を政府もとる必要があるし(その点、鳩山政権には期待していたのであるが、あまりに短命であった)、また一般の人々もそういった活動に参加してみる、という意識を持っていく必要があるだろう。
「街中を走る選挙カーは政策を説明しないで、名前やキャッチフレーズを連呼するだけでけしからん!」とお怒りの方も多いようですが、あれ、政策を説明しだすと違法ですから(「連呼行為」は合法)→ pic.twitter.com/VMbr5IzKvP
— sho kasuga (@skasuga)
2015, 4月 21
ただ、実のことを言うと、こればっかり Retweet されるのは非常に違和感があって、本当に注目してほしい Tweet はこちら
公職選挙法は、独特すぎてそれ自体が参入障壁になってしまっていて、そうすると現職の議員からは変えづらいので、変えるぞという社会運動を大規模に起こすとか、なんかそういうことが必要であるように思う。憲法変えるより公職選挙法変えるほうが先だよね。
— sho kasuga (@skasuga)
2015, 4月 21
特に、そのあとの会話にもある通り、高額な供託金の改定がキモであろう。
また加藤良太氏の
折しも統一地方選中。現在の公選法に起因する高い供託金、選挙カーによる街宣等々、既存の選挙スタイルへの批判も少なくないが、その動機が単に「高い、うるさい、めんどくさい」だけなら、それを改めたところで、ますます政治参加は空洞化するんだろうなぁ…政治はもともとめんどくさい。
— KATO Ryota 加藤良太 (@ryotak)
2015, 4月 22
は我が意を得たりのコメントで、政治に関して政治家が発信する情報を受け取るだけではなく、自分たちで発信していく、という文化をつくれなければ、単純に選挙カーを廃止してどうこうなるというものでもなかろう、と思う。
もちろん、異質なものは「煩い」 のである。
逆に、自分の生活に関係があると思っているものに対しては「煩い」判定の閾値は上がる。
選挙に行くような高齢者が選挙カーをあまり問題にせず(昨日握手した相手の名前が聞こえるのは、あまり気にならないものである)、政治に距離を感じている(従って投票率が低い)層が選挙カーを煩いと思うのはいわば当然である。
選挙カーに対して消極的なサボタージュ(五月蝿い候補にはいれない) ではおそらく十分ではなくて、自分にとって支持できる候補者を作っていかないと、なかなか古い政治、古い選挙活動からは脱却できないだろうな、ということ。
あと、地方議員の給料が高すぎる、もっと安いほうがいいという議論もあって、これは長期的には反対ではないのだが、いきなりそこからではないだろう、ということも合わせて主張したい。
つまり、欧米では地方議員の給料は総じて安く、場合によってはタダである、ということがよく主張される。
これは事実であるし、好ましいことでもあるのだけど、その場合どういうふうに議会が運営されているかも考えなければいけない。
そうした国では、議員をやっていても仕事は続ける必要があるわけで、議会は仕事が終わったあと、たとえば毎週金曜日の19時から通年で、という感じで開かれる。
日本の場合は、年に何回か、ある程度の期間フルタイムで行うことが多いので、普通のサラリーマンが仕事を続けながらというのは難しいわけである。
もちろん、これを通年週末議会にしただけでは不十分で、法律で雇用者に対して(1)議員に当選してもクビにしてはいけない。(2)議員の任期中は議会に出席するための時短勤務を認めなければいけない、といったことを義務付ける必要があるだろう(この時点でそんな面倒くさいことになるなら議員報酬は高いままでいい、と思う経営者も多そうである)。
でないと、仕事をやめなかったとしても残業があったらまず議会に参加できないし、 17時にきちんと仕事を終えられる職場でも、都心のオフィスを17時に出て、19時からの議会に出席するのは難しい、ということが生じうる。
そういうことになると、そもそも普通の若者は議員になれず、議員は資産家、経営者、地元の自営業、企業や団体(農協や組合等)から派遣される人々ばかりということになる(今でも議員報酬の安い地方ではそういうことになりがちである)。
そうすると、重要なことは、結局その人たちに有利なルールが決まっていく、たとえば、いらない公共事業ばかりできる、ということである。
結局、これは潜在的に社会が払わされる「コスト」であり、議員報酬という「コスト」を削減した結果としてそういう社会的コストが増大する、ということになりかねないのである。
スウェーデン、ヨーテボリ大に設置されたNPOに 関するコースのキャンパス。洒落ているよね。 |
そういった地域では、たとえばNPOなどが活発に政策提言を行うし、一般の人々も政治集会に参加する。
すると、議員の主要な仕事というのは、政治集会に参加した人から、彼らが問題に感じている事象を聞き取り、専門家としての意見をNPOなどから聞き取り、それをまとめて議会に提示する、というメディエーターの仕事ということになる。
日本でも、たとえば国土問題研究所のような団体があって、公共工事の問題ついて専門家が相談に乗ってくれるが、たとえばこうした団体が各都市にちょこちょこあるようになれば、議員の仕事量は下がるし、一方アドバイスの質も上がるので政策提言の質も向上する(ついでにいうと、博士号保持者などのオルタナティヴな就職先にもなる)。
ただし、重要なのはこういった団体の運営コストは、「だれかが払っている」のである。
この外部経済は、先の「公共事業ばっかり」の外部経済よりだいぶとマシなものであるが、反面、市民がかなり真剣にならないと構築しづらいものでもある(NPOに寄付をしたり会費を払ったりする人が継続的にでてこないといけない)。
あと、欧州、特に北欧では、市民のオーナーシップという感覚が根付いているし、情報公開も進んでいる。
日本だと、役所から情報を引き出すのに膨大な手間がかかる、というのも議員の無視できないコストになっており、ここも議員を専従でなくした時にどうなるか、不安なところである。
もちろん、市民が気軽に政治集会に参加する風土ができることは、同時にこの問題の解消につながるであろう。
政策提言も結局のところ知的生産活動であるが、日本ではこの知的生産活動にコストがかかるという意識が非常に乏しいように思われる。
アメリカが政策変更をする時は、驚くほど多くの学者や専門家が関わって、大規模な調査と提言が行われるが、日本の政治はその結果だけをみてそれっぽく真似をすることで成立してきた、という歴史がそうさせるのかもしれない。
このあたりで、それを転換して、政策提言ができる社会をつくっていく時期なのではないか。
具体的には、(1)たとえば議員報酬が高い都市部に関しては、議員報酬を削減して、そのかわり政策立案スタッフを雇えるというような改革をして、全体としての「知的生産コスト」は減らさない。(2)田舎に関しては、地域の若者(特に女性)が議員になるにはどうしたらいいか、という観点から制度改革が必要であり、それは議会の通年化(都市部より楽なはずである)か、報酬の増額か、ということになろう。(3)その上で、草の根の政策提言活動を活性化させる施策を政府もとる必要があるし(その点、鳩山政権には期待していたのであるが、あまりに短命であった)、また一般の人々もそういった活動に参加してみる、という意識を持っていく必要があるだろう。
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