2015年6月24日水曜日

バーニー・サンダース上院議員、2016年大統領選、民主党候補者予備選のダーク ホースか?

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 4月に2016年の大統領選の民主党候補者指名を獲得するための予備選に出馬すると表明したサンダース上院議員の支持率がバイデン副大統領をわずかに抜いて11.7パーセントの二位に上昇している。
 この結果に俄然注目も集まっており、絶版になっている回顧録がアマゾンで高値で取引されたり、関連書籍が相次いで出版されたり、ちょっとしたブームの兆しを見せはじめている。
 トップを独走するヒラリー・クリントン元国務長官との差は大きいが、仮に二位に終わっても、サンダース上院議員の健闘はアメリカ政界に極めて大きなインパクトをもたらし得る。




 バーニー・サンダース上院議員は、ヴァーモント州選出の、アメリカでは珍しい無所属の上院議員である。

 現在73歳。ポーランド系ユダヤ人移民の子どもとして、ニューヨークに生まれ、左派的な実験コミュニティとしての色彩が強かったイスラエルのキブツで過ごしたこともある。
 そして、もっとも重要なことは、彼が「アメリカ憲政史上初の、社会主義者上院議員」を名乗っていることである(下院は過去何人か例がある)。
 したがって、盛り上がるオキュパイ運動などからは、彼がもっともそうした若者たちに近い政治的立場を保っている現職上院議員であるとみなされることもある。
 ヴァーモント州は伝統的には共和党が強い州だが、比較的中道寄りの色彩が強く、ブッシュ(Jr.)政権以降の右傾化した共和党には批判的な有権者が多い。
 また、比較的裕福な地域で、利権団体も強くないため、ブッシュ政権批判の波に乗って無所属の「サンダース上院議員」を誕生させた。
Bernie Sanders 113th Congress.jpg

 所得の再分配や環境保護などで左派色の強い政策を主張してきたサンダース議員が健闘すれば、アメリカの主流政治家も、そういった政策に目を向けざるを得なくなるかもしれない。
 少なくとも、二位につけているサンダース議員を、討論会から外すということは不可能である以上、一般のアメリカ市民がそういった主張の存在に触れ、審判を下す機会が得られるというだけで、極めて大きな変化と言えるだろう。

 前回、緑の党から出馬したジル・ステイン医師も、今回も緑の党を代表して大統領選に出馬することを表明している。
 Exclusive: Green Party’s Jill Stein Announces She Is Running for President on Democracy Now!

ブタ生肉食は「考えるに良い」か?

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 最近のブタ生肉食禁止に関する議論を見ていると、生肉食を食べたいという人を馬鹿だと罵る傾向があるのが気になっている。
 今のところ、禁止の妥当性については異論も不満もないが、その決定が適切な調査と議論に基づいて行われたか、という点には疑問なしとしない。

2015年6月22日月曜日

安部内閣による安保法案の強行採決もあるかというタイミングなので、岸内閣の日米安保強行採決を振り返ろう

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  "『新・現代思想講義 ナショナリズムは悪なのか』 の「反ナショナリズム」批判について"という記事にも書いたが、小熊英二の『〈民主〉と〈愛国〉: 戦後日本のナショナリズムと公共性』は戦後日本のナショナリズムをめぐる定番とも言える書籍であり、大著であるが是非多くの人に読んでもらいたい本である。

 で、その中に日米安全保障条約の岸信介内閣による強行採決の様子が描かれており、なかなか(学術書とは思われない)臨場感のある記述になっている。
 現在、岸の孫である安倍晋三内閣も、安全保障関連法案で野党と対立しており、強行採決が予想されるところであり、かつての歴史から学ぶものもあるのではないかと思って、すこし長いが以下に引用する。


 しかし結局、社会党議員団は排除された。自民党議員たちは「ざまあみやがれ」「お前なんか代議士やめちまえ」といった罵声を浴びせながら、議場の入り口を破壊して入場した。清瀬一郎議長がマイクを握り、会期延長と新安保承認の採決を行うまで、わずか十五分ほどのできごとだった。
 この強引な採決法は、じつは自民党内でも十分に知らされていなかった。清瀬議長も多くの議員も、会期延長だけの議決だと思っていたところ、岸の側近に促された議長が新安保採決を宣言し、一気に議決してしまったというのが実情だった。自民党副総裁の大野伴睦は、安保議決を議場ではじめて知らされ、岸の弟である佐藤栄作蔵相に抗議したところ「はじめから知らせたら、みんなバレちまうから」と返答されたという。
 こうした岸の手法は、自民党内でも反発をよんだ。岸にすれば、安保承認には、自分の面子と政権延命がかかっていた。しかし、新安保が今後10年以上にわたって日本の命運を決定することは、賛否を問わず皆が承知していた。その重要条約が、このような方法で議決されることに抗議し、自民党議員二七名が欠席した。
 その一人であった平野三郎は、こうした方法で「安保強行を決意するような人に、どうして民族の安全を託し得ようか」と岸を批判した。三木武夫や河野一郎も退席し、病気療養中だった石橋湛山は「自宅でラジオを聞いて、おこって寝てしまった」。議場突破の状況に反発して帰宅した松村謙三は、車中のラジオで安保可決のニュースを聞き、「『ああ、日本はどうなるのだろう』と暗然とした」という。

 その前段の、社会党の対応なども含めて、可能であれば是非一読していただきたいが、この記述からも岸内閣時代に比べて、自民党の中の多様性が失われているという(よく指摘されることだが)危険性が感じとれるのではないか、と思う。

2015年6月18日木曜日

Google Photos はそんなに凄い? 実は Flickr も実質無料で無制限、しかも劣化なし

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写真サービス「Google Photos」レビュー(前編)--「無料」に関する制限やアプリの操作感という記事の、
 「Flickrなら1テラバイトを無料で使えるし」
 という記述を見て思い至りましたが、みなさん、Flickr (米Yahoo)の方針転換に気づいてない?

Konpuku-ji Temple, Kyoto

実は、Flickr も現在、実質的に容量無制限なのです。
 しかも、Flickr なら一眼カメラで撮ったような写真もほぼフルサイズで保存できる。
 日本からの利用で弱点はあるものの、今の所 Flickr の優位は揺らがない気がします。
 以下、そのあたりの経緯説明。


 Flickr は2013年のリニューアルで、年間25ドルはらうと無制限に写真がアップできたプロ・アカウントは廃止された(払い続けると継続できるとアナウンスされたが、継続しなかったので今でも使えるかどうかはわからない)。
 その時まで、無料アカウントだと月辺りのアップロード制限はともかく、フォトストリームが200枚でしか見られないということで、限りなくお試しアカウントに過ぎなかったのが、無料で1TBぶん、フルに使えるというかたちになった。
 あと、旧プロは写真のアクセス・データを見ることができるが、これも新コースでは廃止されている。
 私のようなアマチュアは必要ないが、もしかして本職の写真家で Flickr を使っている人は、これを目当てに旧プロを維持している人もいるかもしれない。

新コースは無料が原則だが、有料オプションとしては広告を消せる ad free (年50ドル)と、さらに1TB保存領域を拡張できる doublr (年500ドル)が提供されるとされた。
 ただ、当時から ad free はともかく、もう一個アカウントを使えばどうにでもなる容量拡張に 500 ドルはらうユーザーはいないのではないか、と指摘されていた。

ちなみに、私は2004年から Flickrを使い始めて、今現在44171枚アップロードされていることになっている。
 携帯の写真から、RAWで撮影したものを比較的高品質でJPEGにしたものやパノラマなど、容量は様々だが、今の所1TBの19パーセントほどを利用しているだけである。
 今後の利用方法次第ではあるが、あと10年は1TBで困らなそうである(RAWの写真をそのままアップできるようにしてくれると嬉しいし、そうなると状況は一変するが…)。

で、"No more Doublr for Flickr" という記事によれば、実はこの Doublr はリニューアルから半年もしないうちに密かに消されていた(「密かに」であって、例えばヘルプには記述が残っていたりする)。
 記事は、Yahoo のスポークスパーソンのエレン・コーンは「なぜプランを取り消したのか、何人のユーザーが同プランに申し込み、その人たちが返金を受けたか、についてはコメントを拒否した」と述べている。
 しかし、同時に、エレン・コーン氏が、(Doublr が取り消されても)1TBの制限を超えてしまったユーザーに関しても、そのアカウントにより多くのスペースを付与する形で利用できるようにする」と述べたことも伝えている。

ただ、コーン氏の言葉として次のようにも伝えている。
 「会社は容量を超過したユーザーに課金する予定はない。しかし、より多くのスペースを利用するためには、ユーザーは “in good standing" でなければならない」
 記事は、「コーンは、ユーザーが"good standing" であるとは正確にはどういう意味か、また彼ら自身がどうすると自分たちが "good standing" でない、と知ることができるのか、についての説明は拒んだ」と締めている。

“in good standing"であるとは、通常は人ないし組織が明示的な義務に適合するように自らをきちんと律している状態をしめし、サービス提供会社と消費者の関係性では「会費をきちんと払っている」というような意味合いが普通であると思われるが、ここではおそらく、倫理的でない、あるいは想定されていない使い方をしている、というような意味であるように思われる(ネットで拾ったアダルト写真を大量に確保したり、写真にみせかけた他のデータを保存したり、といった…)。
 なので、あまり気にやむ必要はなさそうだが、一応1TBを越えた時点で運営側のチェックが入る、ということは理解しておいたほうがいいのかもしれない。
 しかし、いずれにしても、Flickr も現在、無料で、実質的には容量無制限に使える。

また、話題になっていた写真の自動整理機能的なものも、実は実装されている(Google のそれと比べてみたわけではないが )。
 (※もちろん、データ化しているということは、Google と一緒で保存した写真をシステムのほうでデータ処理しているということだよね、というツッコミもあるかもしれない)
 他にも Camera Roll などがだいぶモダンなインターフェイスになって、機能も充実してきている。

最大の弱点は、Yahoo は日本だけ独立の会社として提供されており、Yahoo Japan は Flikcrを提供していないため、インターフェイスに日本語を選べないということであろう。
 より致命的なのは、iPhone 用の Flickr アプリもリニューアルして大変使いやすいものになっているが、日本語の iTunes Store からはダウンロードできず、アメリカ版(や他の国)のアカウントが必要になる、ということだろうか。

ただ、それらを勘案しても、ほぼフルサイズの写真が残せるというメリットは大きく、Google よりもアドバンテージがあるのは明らかだと思う。
 (Google photos は依然として Google の他のサービス、例えば Blogger と連動しているので、いずれにしても使うことになるという人は多いと思うし、私もそうなのであるが…)

2015年6月17日水曜日

iPhone の Safari から Evernote に PDF を保存する方法

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実は、最近気がついたので、メモ。

 iPhone の Safari でPDFを開いていて、これを Evernote に保存しておきたいな、と思ったとします。


 下の上むき矢印マークから Evernote を呼び出すと、基本的にはリンクしか保存されず、本体のPDFは Evernote に送られていません。
 しかし、 画面の真ん中あたりを一回タップすると、 PDFを iBook などに送れる状態になりますので、その画面の左上に出ている「次の方向で開く」をタップします。

すると、見かけは画面下部の矢印ボタンからいったのと同じような画面がでてきますが、ここで Evernote のボタンをタップすれば、PDFがEvernote に送られます。

2015年6月16日火曜日

TPP、日本のプレゼンスは高くなさそうな

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 Wikileaks 、TPP交渉資料をリーク: ニュージーランドの保険制度を標的かという記事を公開しました。
 Wikileaks によればこの透明性に関する付属書がターゲットにしているのは、国際的に評判のよいニュージーランドの制度で、現在多くの第三世界で、ニュージーランドをモデルに制度に関する整備、議論が進んでいる、ということのようです。
 これは日本にとっていいことか悪いことかわかりませんが、これも含めた一連のTPPに関するリークを見る限り、アメリカの政財界は日本で言われるほど「日本の(経済的)開国」には関心がなさそうな気がします。
 所詮、縮小する一億人市場ですから、長期的にはインドネシアやマレーシアの市場をどうするか、ということのほうが重要性は高いわけです。
 日本に関しては「船に乗せてやるから、できれば黙っとけ」ぐらいの認識なのかもしれません。
 だからといって、余波は来るでしょうし、一国だけの反対ではなく、福祉国家としてのニュージーランドや潜在的ターゲットとしての東南アジア諸国と情報交換をしつつ、監視と議論を進めていくべき、ということでしょう。

2015年6月15日月曜日

"THE WANTED 18" 危険なウシたちの物語

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2015年6月13日土曜日

人文学/人間性の危機とイノベーションの神学

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国立大学法人評価委員会の答申として、「教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院について」「組織の廃止や社会的要請の高い分野 への転換」が求められたということと、その際に人文学とはどうあるべきかという議論が抜けているということを、過去二回にわたって書いた。

国立大学人文社会科学系「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換」という話
人文学への「社会的要請」とはどんなものでありうるか?
ここでは、もう少し詳細に、(主にデリダの『条件なき大学』といった議論を参照しながら)人文学およびそれをになう大学のあるべき形(とそれが形成されてきた歴史的経緯)と今置かれている危機について議論してみたい。

2015年6月11日木曜日

AIIBで中国に拒否権付与か?:  …本日の産経新聞ブーメラン案件

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産経新聞が"AIIB、中国に「拒否権」"という記事を伝えている。

 【上海=河崎真澄】中国主導で設立準備が進む国際機関アジアインフラ投資銀行(AIIB)の運営をめぐり、発足当初から中国が単独で最大30%の議決権を握って「拒否権」を発動できる態勢となる見通しになった。米紙ウォールストリート・ジャーナル(中国語版)が10日までに伝えた。

2015年6月9日火曜日

救急車有料化の是非: 「財政健全化計画等に関する建議」とその報動から見る

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 先に毎日新聞の"救急車:「有料化」提案 財務省、軽症者対象に"という記事が話題になっていたが、その報道の元資料である「財政健全化計画等に関する建議」が6月1日付で発表になっていたので、それについて考えて見る(本当は大学のところを確認しようと思ったのだが、気になったので先にこちら)。

2015年6月8日月曜日

ギリシャ、スコットランド、スペイン、次に続くのはどこか?: トルコ総選挙でのHDP躍進について

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 トルコで総選挙が実施され、今や王であるかのように振舞っていた レジェプ・タイップ・エルドアン大統領のの与党、AKP(公正発展党)が議席を大幅に減らし、過半数割れの258議席にとどまった。憲法改正発議が可能になる330議席を目標としていた与党にとっては敗北と言っていい。エルドアン大統領が計画していた、大統領権限を強化する憲法改正に、国民がノーを突きつけた、と報じられている。

2015年6月5日金曜日

人文学への「社会的要請」とはどんなものでありうるか?

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 "国立大学人文社会科学系「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換」という話"の続き

 人文学が社会の役にたつ、というのはどういうことだろうか?
 教育という議論はひとまず置くとして、ここではあくまで「研究活動」に絞って、その機能につうて(相互にオーバーラップする)三つの側面に整理したい。すなわち、(1)経済的価値、(2)人権や正義、真善美に関わる価値、(3)カウンターサイエンス、である。


2015年6月1日月曜日

国立大学人文社会科学系「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換」という話

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 産経新聞の「国立大学の人文系学部・大学院、規模縮小へ転換 文科省が素案提示」という記事が話題になっている。
 その中でも特に、
 通知素案では、少子化による18歳人口の減少などを背景として、教員養成や人文社会科学などの学部・大学院について「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むように努めることとする」と明記された。

 の「社会的要請の高い分野への転換」が議論の焦点である。学問を評価するのに、「社会的要請が高い」ということはどういうことか、ここでは定かではないからである。
Europe 2003
 どんな場合でも社会的要請とは一枚岩ではなく、ある時代の社会的要請が結果的には極めて有害だった、ということもありうる。そういったとき、いち早くその可能性に気づき、警鐘を鳴らし続けることは、価値を扱う学問である人文学にとって極めて重要な仕事である。しかし、多くの場合それらの作業は簡単に評価しうるものではなく、特に政策がますます経済指標に従属するようになっている昨今、これらの評価は危険な作業である。
 かつて文化使節として来日したフーコーは記者に記者に「激しい自国批判を続けるあなたをフランス政府が文化使節に任命する理由はなんでしょうか?」と問われて「ご存知のようにフランスにとってプワゾン(毒)は重要な輸出商品なのです」というようなことを答えていたと記憶する。このことは、デリダのファルマコン(毒にも薬にもなる存在)としての哲学、という議論も想起させるだろう。日本の人文社会科学は、ファルマコンであるべきという「社会的要請」に十分に答えることができているだろうか?
 こういった問題について、十分に議論が尽くされた結果として「社会的要請」という言葉が使われるのであればそれは需要せざるを得ないが、大学法人評価委員会の議論を見ていくと、どうもそうとは言い難い状態にあるように思われる。
 以下、具体的に見ていこう。