【「(1) タラル・アサドとシャンタル・ムフを参考に…」からの続き】
シャルリー・エブド誌に関して、世俗主義という観点から擁護する声と、やりすぎだと批判する声が錯綜している。
私は先の文でも触れたとおり、基本的には「世俗主義」が全てではないと思っており、言論の自由にもなんらかの制限は必要である、という立場である。
しかし、「節度」とは何を持ってであろうか?
「人を傷つけない」というような抽象的な定義ではおそらく不十分だし、そういった抽象的な定義は通常マジョリティ、また
マジョリティの持つバイアスを利用した権力者に都合のいいジャッヂになりがちだ、ということは歴史が教えてくれるであろう。