2013年4月10日水曜日
日本を含めた先進国が第三世界に負う「気候債務」の計算法についての検討
「環境債務」という概念がある。現在、多くの第三世界諸国は「先進国」に対して経済的な債務を負っている。しかし、先進国の繁栄は気候変動(地球温暖化)や化石資源の浪費など、様々な環境負荷を前提にしたものであり、例えば中国とインドの全人口がアメリカ並みに資源を浪費した生活を行うとしたら、地球が数個必要な状態になってしまう。そのため、環境面では第三世界諸国の人々に割り当てられるはずであった資源を先進国側が過剰利用しているという側面があり、これを逆に「先進国側が第三世界側に返さなければいけない『債務』」として把握する議論である。これは、リオ・サミット以後に、ラテンアメリカなどの社会運動から提起された概念であるとされるが、現在、各国の社会運動で議論されている。
さて、それが具体的にどの程度の数字になるのか、チュニジアで行われた2013年度の世界社会フォーラムのワークショップで、ドイツの物理学者ヘルムート・セリンガー博士の提案を例に考えて見たい。
もちろん、ここで示されている数字は、科学的と言うよりは極めて政治的なものであり、国際交渉によって(何年度を基準にとるか、世界全体でどの程度の排出量に抑えるかや、排出のコストをどう算定するかなどは)大きく変わってくるものである。従って、ここでは数字そのものと言うよりも議論の骨格に注目していただきたい。
以下の図表などは個人的にいただいた発表資料に基づいているが、発表の大枠は
Helmut Selinger 2010 ’The Costs of Carbon Dioxide Emissions: A Just Basis for the UN-Global Climate Summit in Canc’ transform!
に沿ったものであったので、そちらもご参照いただきたい。
2007年のバリ会議(気候変動枠組条約第 13 回締約国会議及び京都議定書第 3 回締約国会合)で、国際社会は温室効果ガスの影響による平均気温の上昇を二度程度に抑えると言うことで合意した。
その目標を達成するためには、WBGU(グローバルな変動に関するドイツ助言委員会/1992年にドイツ政府によって設立された独立の研究・提言組織)によれば、1990年から2050年までの間に、温室効果ガスの排出量を二酸化炭素換算で1,100ギガトン(ギガトン=10億トン)に押さえる必要がある。このような形で放出量の国際的な「上限」を定めて、各国に割り振る方法を「国際予算」アプローチと呼ぶことにする。
次に、これを人口あたりで割り振ることにすると、この60年のうちに一人あたり年間2.7トンの二酸化炭素を排出する権利がある、ということになる。
また、人類は1990年から2009年までのあいだにおよそ500ギガトンの二酸化炭素を排出した。従って、残りの(2010年から2050年までの)排出可能量は600ギガトンということになる。
これらの数字から、人類ひとりひとりが平等に排出権を持っている、と仮定した場合の、今後の排出可能量は以下の図表のようになる。
中国は、世界人口の22%を占めるため、総排出量(1,100ギガトン)の22%、239ギガトンの「排出権」を持つものとする。また、1990年からこれまでのところ、75ギガトンを排出しているため、239ギガトンから75ギガトンを引いて、164ギガトンが中国に割り振られた「予算」ということになる。この予算を2008年の排出実績(6.2ギガトン)で割ると、中国が予算を使い尽くすまでにはだいたい26年ということになる。
同様に、インドはこれまで175ギガトンの割り当てに対して、19ギガトンを利用しており、排出実績から計算すると103年の余裕がある。
一方、アメリカは世界人口の4.7%を占め、52ギガトンの割り当てを持っているが、2010年までに108ギガトンを排出しており、-56ギガトンの大赤字、という計算になる。
さて、アメリカはすでに排出超過であるため、毎年の排出(2008年実績で6.1ギガトン)のコストを払わなければいけない。このコストについては、様々な計算がありうるが、第三世界において「回避と適応」(avoidance and
adaptation)(※たぶん、よくmitigation and adaptation と言われるものと同じ概念で、ドイツ語から英語になおしているために mitigation が avoidance になったのではないか?)を行うためのコストとされる、1トンあたり40ドルをベースに考えると、アメリカは年間2440億ドルを支払わなければならない計算になる。
日本の場合、割り当ては26ギガトンであり、そのうち23ギガトンを既に利用しており、残りの「予算」は3ギガトンである。2008年の排出実績は1.3ギガトンなので、2年程度でこれを使い切ってしまう(2013年現在、すでに使い切った)計算になる。
ここまでがセリンガー氏の提案である。
先に述べたとおり、数字には「議論の余地」がある。これらの数字は科学的に一意に決まるものでもないが、例えば人口動態などはもう少し厳密に反映する余地があるかもしれない(一般に先進国の人口は横ばいか微減であるのに対し、第三世界人口は増加しているので、2050年までの人口予測に基づいて計算式を修正することは、おそらく第三世界側に有利に働く)。例えば、1990年を基準年にとるのはリオ・サミットがひとつのきっかけになっているからだが、これは産業革命から1990年までの(殆どが先進国側の)過剰な排出が無視されるということでもある。一方、「回避と適応」コストは技術革新などを加味して多少割り引く(先進国側に有利)余地があるかも知れない。
こういった議論が成立する政治的な余地が大きいかというと、極めて難しいかもしれない。特に、先進国がこの計算式どうりの金額を(多少係数は変えたとしても)第三世界に支払うという政治状況にはないであろう。ただ、(「気候債務」という名称が示唆する)たとえば ODA や世銀等の公的債務の返済と相殺する、といった提案は可能であろう。
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