しかし、抜本的な問題は、以前「博士はなぜ余るか? 日本の科学技術政策の10年に関する覚え書き」という記事でも述べたように、政策の方針が間違っていることである(リンク先の記事、MovableType を消してしまって文字データだけ残っている状態なので、読みにくくて申し訳ありません)。
ノーベル賞受賞者たちが「今後、日本でノーベル賞が出なくなるかもしれない」と憂慮しているのを聞くと、ある人は「大学の構造を改革しないと」といい、ある人は「大学にもっとお金をつけなければ」という。
もちろん、前者に関しては研究者自身から多くの反論が出ている。
「改革のための費用」(と称するが、実際は組織をなんとか維持してくための費用)を国から交付してもらうために、できもしない「改革プラン」や「中期目標」を捻出することに時間を撮られ過ぎで、肝心の教育も研究も二の次になっている、というのが現在の国立大学の状況だからである。
一方で、後者については、それはお金はあったらあったほうがいいに決まっているので、研究者たちも表立っては反論しないが、実際はそこは最も重要な点とは言い難い。
というのも、現在ノーベル賞受賞に至ったような研究がなされた時代は、日本の国立大学がもっとも貧乏だった時代に行われたものであるから、である。
「昔はよかった」と表現されると、多くの人は(場合によっては言ってる本人すら)錯覚してしまうが、戦後一貫して日本の国立大学は劣悪な環境に苦しんでおり、1990年前後ぐらいにそれはある意味で頂点に達する。

