2013年5月14日火曜日

文民統制について、あるいは「軍服を着る最高司令官」という問題

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 毎日新聞の「ネット世代向けイベント:各党がアピール 首相は戦車に」といった報道によれば、安倍首相は動画配信サービス「ニコニコ動画」のイベントニコニコ超会議で迷彩服を着て戦車に乗って見せたようである。毎日は

 一方、安倍首相は、陸海空自と在日米陸軍のブースを訪れ、陸上幕僚監部の広報室長から「戦車がありますが、乗られますか」と水を向けられると「乗ろうか」と応じ、展示中の陸自の最新型戦車「10式戦車」に乗った。迷彩服の上着とヘルメットを着けて戦車の砲手席に立ち、カメラや携帯電話を構えるコスプレ姿の客らに笑顔で手を挙げて応えた。

 首相は自衛隊最高指揮官だが、戦車に乗るのは異例。【鈴木泰広、中島和哉】
  と報じている。

 これは、単に「異例」だけではなく、文民統制という観点から大いに問題があることを論じなければいけない問題であるはずだが、大きく問題視する論調は見かけない。
 しかし、これは、政治家などから戦争責任や人権などに関する問題発言が頻出する昨今の傾向の一つであることは明らかだし、その最も象徴的な部分と言えるかもしれない。

 ニコニコ超会議での戦車搭乗は、報道からは「水を向けられると『乗ろうか』と応じ」とあるように、多分に偶発的であったと見られるが、(もちろんそれは「文民統制」の緊張感という観点からはさらに問題が大きい)次に安倍首相は航空自衛隊松島基地でブルーインパルスの隊員用ジャンパーを着て見せたと報じられている。この時は、

 津波で滑走路が泥に埋まる被害が出た航空自衛隊松島基地(東松島市)では、3月末に避難先から帰還した曲技飛行チーム「ブルーインパルス」の飛行を視察。首相は胸に「ABE」と刺繍(ししゅう)された隊員用のジャンパー姿で練習機のコックピットに乗り込み、親指を立てるパフォーマンスも見せた。

 …と、最初からジャンパーを用意していたようであり、ニコニコ超会議の件に批判がなかったことから、行動がエスカレートしたのではないか、という印象をぬぐいがたい。

 しかし、困ったことに「文民統制」の緊張感が崩れている傾向は日本だけの話ではない、というか、アメリカ合衆国において先行していて、それを我が国の何者かが宣伝戦略的に模倣しているのではないか、という疑いがある点である。

  たかだかお遊びではないか、という意見もあることと思うので、元々、アメリカ合衆国においていかに文民統制が重要視されていたか、ある資料を紹介したい。
  archive.org にある米国会図書館資料で読むことが出来る1918年の"Why the U. S. president must not wear uniform"(なぜアメリカ大統領は軍服を着てはいけないのか)と題された資料である。
 これは、1918年に『ブルーノのボヘミア』誌が、Bernhardt Wall 氏の「軍服を着たウィルソン大統領」を描いたエッチングを表紙に使用と計画。ウォール氏が同じエッチングを大統領に送ったところ、大統領が軍服を着ているのは「文民統制に反する」という返事をもらったため、『ブルーノのボヘミア』誌もこのエッチング作品を表紙にすることを差し控え、代わりに大統領からの手紙を表紙にしたという経緯を説明したものである(この作品はウェブで見ることが出来る)。
 最初に雑誌からの経緯説明があり、そのあとに大統領の手紙が掲載されているので、簡単に訳してみたい。


 なぜ9月号の『ブルーノのボヘミア』誌が、私たちが元々当該号の表紙として出版しようとしていた、ウォール氏によるウィルソン大統領のエッチングを、表紙のデザインとして採用しなかったのでしょうか? このエッチングはウィルソン大統領が合衆国の軍服を着ているものでした。ウォール氏は、1912年にアトランティック・シティで行われた米西戦争退役軍人を前にした、当時ニュージャージー州知事であったウィルソン氏の講演から着想を得たものでした。この講演のなかで、大統領は、彼は軍人であったことも、いかなる軍人としての訓練を受けたこともないが、それでも正しさのための運動における戦士なのである、と述べた。この精神と共に、そしてこの世界史の偉大な一期間において、大統領は我々市民と軍の最高司令官になるのであり、ウォール氏は軍事的な衣装の彼を描くことが不適切であるとは考えていませんでした。ウィルソン大統領の手紙は、私たちの雑誌の、再度印刷しなおされた9月号の表紙になっており、私たちがポートレイトを出版するのを差し控えた理由の十分な説明になっています。この手紙に書かれているより卓越した、あるいはさらなる言葉は、私たちの軍隊の現在の最高司令官からは語られ得ないでしょう。

 以上が雑誌からのメッセージであり、以下がウィルソン大統領の手紙である(強調は春日による)。

1918年7月8日

我が親愛なるウォール氏へ

 私は熱心かつ誠実に、親切にも私にそのひとつをご送付いただいたエッチングを作成するに至らせた貴殿の情熱に感謝するものであります。しかし、貴方から6月17日にお送りいただいた手紙が少し前から目の前に置かれていますが、その返事として次のように述べなければいけない義務を感じています。すなわち、私に軍服を着せることには、我々の制度の極めて根源的な原則、すなわち軍事力は市民に従属しなければいけないという原則に対する違反であるという感覚があるということです。私たちの憲法の制定者たちは、もちろん大統領が時には兵士であると言うことを認識しており、、大統領を合衆国の陸海軍の最高司令官にするという彼らの考えの中では、国の軍隊は、それによって政策が決定されるような職権の道具であるべきだ、ということです。これが、我々の組織がどんな意味においても軍事的ではないし、軍事的にはなりえない、と我々が偽りなく言える理由です。
 私は、これが単なる私個人の躊躇に過ぎないとは考えません。私はこれが物事の根源であると信じており、したがって私が、私について大いに敬意を表している貴方のエッチングの動機と意図について十分に感謝していないなどという印象を作り出すこと無しに、この問題について率直に表現するべきであることは確かに思われます。

 敬具
  この手紙のポイントは、ウィルソン大統領がたとえまったくのフィクションで芸術作品であっても(そして自分の政治的主張に好意的な作品であっても)、軍服を着た大統領というイメージに対して批判的であり、かつ大統領側が特に差し止めを求めていないにもかかわらず、雑誌側も大統領の問題提起を大切なものと受け止め、表紙を問題になった画像から「それを問題にした大統領の手紙」に差し替えている点である。

 そして、この「文民統制」という緊張感に関する伝統は、その後も20世紀を通じてアメリカ合衆国の重要な文化として維持されるが、(先に「アメリカでも原則が崩れている」と述べたように)近年ジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領によって破られている。
 ブッシュ大統領は2003年に5月1日に空母アブラハム・リンカーン上でイラク戦争において「主要な作戦計画」は終わったと述べたが、そのさいに艦上対潜哨戒機S-3(ヴァイキング)から(空軍州兵の戦闘機パイロットであったという過去をアピールするために)戦闘機用のスーツを着て降り立った。
 これを、例えばYahoo のコラムでリック・トーマス氏は「ブッシュの最も象徴的な違反行為」と名指している。
 というのも、彼によれば、軍服を着た最後の大統領が初代大統領ジョージ・ワシントンであり、その後ながらく現職の大統領が軍服を着ることはタブーであったからである。

from Wikipedia
(ワシントンは1791年のウィスキー反乱において陣頭指揮を執ったため軍服を着用したが、戦場以外の場所で軍服を着ることは慎重に避けていたようである。)

 しかし、こういった(二世紀以上にわたる)緊張感が崩れると、なかなか回復できないようで、一般にはリベラルと思われているオバマ大統領も、この点でブッシュに倣うことになる。
 オバマ大統領は2010年3月28日にアフガニスタン(バグラム空軍基地)を訪れたさいに、空軍が提供した革のフライトジャケットを着用した。
 
 この件でペンシルバニア工科大学の歴史学の教授で、空軍の元中佐(2005年退役)でもある ウィリアム・アストア氏は Huffington Post に掲載された「大統領用の軍服? とんでもない!」と題するコラムで非難している。

  こうした「たがが緩んだ」とみえる状況は、しかし政治家だけに問題があるのではなく、メディアや広く国民一般がアフガン・イラク両戦争の期間中に、ナショナリズムの熱に浮かされて批判能力を失ったことにあるだろう。
 その一方で、主要な(少なくともネット上の主要な)メディアに、こうした行為への批判を見いだすことはさほど難しくないというのが、アメリカの「言論」がまだ多少は機能している、ということであろう。
 さて、我が国ではどうだろうか?

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