最近「役に立つ人文学」というのが論争になっている。これについては、「人文学への「社会的要請」とはどんなものでありうるか?」という投稿で、「経済的貢献」「真善美や人間性の追求」および「カンターサイエンス、あるいは再帰的研究」の三つの可能性を示した。しかし、現実的には人文学的研究がこのどれに役に立つかというのはややこしい問題であり、研究が行われた段階でそれを決定することは難しい。これは自然科学であっても同じことなわけだが、人文学的にもそういうことが言える。事例としてコンピューターの歴史の根幹に関わる数々のノンフィクションを発表してきたジャーナリスト、スティーブン・レヴィの『グーグル ネット覇者の真実』から面白い事例を紹介しよう。
アミット・シンガルはインドのウッタル・プラデーシュ州出身で、コーネル大学で学位取得後、AT&Tベル研からGoogle に移った検索アルゴリズムの研究者であるが、彼は Google 検索の精度をあげるというプロジェクトに取り組んでいた。ここで問題になるのは、 Google のアルゴリズムはデジタルなもので、通常極めて論理学的な推論方法にしたがって動くのに対して、検索をかけてくるユーザーは、人間らしい「うろ覚え」や「連想」を駆使して自分の求める情報を探そうとする、ということである。このため、人間から見れば(レヴィの上げている事例を使えば)"Gandhi Bio"と入力されれば Bio は Biography (伝記)を指し、"Bio Warfare" と入力されればそれが Biological のことだというのは自明であるが、コンピューターはこういった「文脈から類推する」ことが通常、苦手である、ということになる。レヴィによれば、シンガルはヴィトゲンシュタインの哲学を応用してこの問題を解決した。当該部分を抜き出してみよう。
グーグルの同義語システムは、犬と子犬はよく似た言葉で、水を沸かすと熱湯になることを理解するようになったが、「ホットドッグ」と「煮える子犬」が同じ意味であると解釈していた。
この問題は、2002年後半にある画期的な方法によって解決されたとシンガルは語っている。哲学者のウィトゲンシュタインが、言葉は文脈によってどう定義されるかについて論じた理論を応用したのだ。ウェブから何十億もの文書やウェブページを集めて保存する際に、どの言葉同士の意味が近いかを分析。すると「ホットドッグ」は「パン」や「マスタード」や「野球場」といった言葉と同じ検索結果に含まれており、「体毛が焦げた子犬」とはそういう関係にないことがわかった。最終的にグーグルの知識ベースは、ホットドッグを含む数百万語の検索語をどう処理すればいいかを理解した。
この逸話の面白いところは、Google にとって利用すべきは、前期ヴィトゲンシュタインの哲学ではなく、後期のそれだった、ということである。ヴィトゲンシュタインの哲学は、『論理哲学論考』(以下「論考」)に描かれた前期のそれと、『哲学探究』の後期に大別される。なお、前期の思想から後期の思想への移行の期間を「中期」として分析する(『青色本』など)が、ここでは重要ではないので特に論じない。
アミット・シンガルがいつの段階でヴィトゲンシュタインの哲学に親しんだか不明だが、前期ヴィトゲンシュタインについては、自然科学の手法についての大きな示唆を含んでいるので(それでも珍しいとは思うが)自然科学者が読み込んでいてもおかしくはないと思う。一方で、後期のヴィトゲンシュタインは前期の思想の不十分さから、より日常生活で我々が行っている言語活動を反映する形で思想を大きく修正し、有名な「言語ゲーム」概念を中核にした思想に至る。こちらは、どちらかと言えば自然科学的であるより、所謂「現代思想的」であり、一見、産業科学に貢献しそうな思想ではない。これをシンガルがどのような経緯で読むにいたり、Google のアルゴリズムに応用するに至ったかは、興味深い問題である(これは「セレンディピティ」の研究、ということになる)。
ただ、ヴィトゲンシュタイン自身は(先に上げた私の三分類で言えば)後期の思想が経済的価値に貢献するとはまったく考えていなかっただろうと思われる(そもそも彼はそういうことに関心のないタイプの人間である)。彼の思想は後日、ポストモダニズム哲学などから「カウンターサイエンス」に大いに利用されるが、ヴィトゲンシュタイン自身がそういったことに関心を抱いていたわけでもない。純粋に知的好奇心に駆動された思想展開が、21世紀に世界最大級のITヴェンチャーの技術を生み出すと知ったらどう思うかは想像するしかない(そういったことは彼の関心領域ではないかもしれない)。
前期ヴィトゲンシュタインの思想は、モーリッツ・シュリックらによって発展させられた「論理実証主義」の基盤をなすものして知られる。「論考」において、ヴィトゲンシュタインは言語によって記述されるものが、世界の厳密な写像をなすと主張している。言語によって記述可能なものとは、真偽を確認できる要素命題と、その要素命題をつなぐ論理である。
例えば「人間は死ぬ」と「ソクラテスは人間である」はそれぞれ真偽が確定できない要素命題であり、「人間は死ぬ。ソクラテスは人間である。<したがって>ソクラテスは死ぬ」と組み合わせる形式が「論理」である(これは三段論法の一種で、中世のスコラ哲学者たちは「正しい三段論法」を丸暗記したものだが、現代の論理学者はこれを「公理化」し、数学的に扱えるようにしている)。
論理は先験的(個々の人間の経験如何にかかわらず)に与えられており、要素命題は経験的、直感的に真偽が確定可能なものである、とされる。実証できない命題は「意味が無い」とされる。
例えば、「神は存在する」といった命題はヴィトゲンシュタインによれば哲学的には「意味が無い」。この思想は、ヴィトゲンシュタインによって基礎が作られ、シュリックら「ウィーン学団」によって、「論理実証主義」こそが自然科学の方法論そのものであると主張された。実際的には、要素命題の事実性というのは、様々なレベルで確定不能であることが指摘され、その修正案としてカール・ポパーによる「反証主義」が提起された。しかしながら、科学の領域における推論の進め方の骨格は、現在でも基本的にはヴィトゲンシュタイン・シュリックが提起したもののなかにある。
前期ヴィトゲンシュタインの仕事は、科学的とか論理的とはなにか、ということを突き止めようとしたものである。そして、それ以外の部分については「語りえぬもの」として議論の対象から退けている。
この仕事は、ヒルベルト、フレーゲ、ラッセルと続く<人間の思考の(そしてその対応物としての世界の)公理化>の集大成をなすものである。そのため、ヴィトゲンシュタインの師でもあり、友人でもあったバートランド・ラッセルは彼が前期の思想を捨てて、後期の思想に足を踏み入れたことを次のように嘆いている("My Philosophical Development" から拙訳)。
歴史上、(ヴィトゲンシュタインに)いくらか似ている二人の人物がいる。一人はパスカルで、もうひとりはトルストイである。パスカルは天才的な数学者だったが、敬虔のために数学を放棄した。トルストイは書き手としての天才を、教養ある人間より農民を、他のすべての小説より『アンクル・トムの小屋』を好むような、古臭い人間性の犠牲に捧げた。パスカルが六角形に取り組んだのと同様に、あるいはトルストイが皇帝に取り組んだのと同様に、形而上学的な複雑さに取り組めるヴィトゲンシュタインは、しかし、トルストイが農民の前に品性に富む彼自身を投げ出したのと同様、才能と品性に富む彼自身を常識の前に投げ出したのである。これらは矜持という衝動から行われた。
バートランド・ラッセル伯爵のちょっと鼻白みたくなるエリート主義がヴィトゲンシュタインを批判しているからといって、逆にヴィトゲンシュタインが人間性にあふれていた、というわけでは勿論ない。ただ、ラッセルの顕著な特徴としては、自身の哲学と道徳的活動の間の関連性が極めて弱いことである。ラッセルは、特に後半生において積極的に政治にコミットした。当初は核への恐怖から先制攻撃論を支持したこともあるが、最終的にはアインシュタインらと共に世界的な反核運動をリードするに至るが、その動機付けと自らの業績としての哲学との関連は薄い。これは、ヴィトゲンシュタインや、ラッセルにとってはヴィトゲンシュタイン以上に重要な共同研究者といえる(主著『数学原理』の共著者である)ホワイトヘッドが自分の生き方のために哲学の構築に突き動かされていたのとは対象的である。
いずれにせよ、ヴィトゲンシュタインは、このラッセルの言う「常識への屈服」から、超越論的、普遍的な公理系と客観的な観察命題によって記述される、(客観的、科学的な)世界という思想をすて、我々の世界理解は実践の中で構築されるものだという、ポストモダンの源流の一つになる思想に傾斜していく。
後期ヴィトゲンシュタインは、「論理構造と検証可能な要素命題によって構築される言語が現実世界の対応物であり、それを吟味することで世界のことは明らかになる」という前期の立場を放棄し、日常的な言語の用法の多様性に着目していく。
例えば、(『探求』の事例を使えば)子どもが「赤いリンゴ5個」と書いてある紙を持って果物屋に買いに行ったとする。果物屋はリンゴの箱のなかから、赤いものを、ひとつ、ふたつ、と五つまで取り出し、代金を受け取ってその子に渡す。この時、我々が果物屋に「何故そんなことをするのか?」と問うことは意味が無い。「赤いリンゴ5個」と書かれた紙を子どもが果物屋に持っていく、という「言語行為」の意味は、『論考』のヴィトゲンシュタインが想定していたのとは違い、まったく慣習的にのみ位置づけられており、そこで「リンゴ」がどのように定義されているか(「リンゴがある」という要素命題がどのように超越論的に規定され、それがどのような手続きで確認されるか、といったこと)には関わりがない。
我々は日常生活において、超越論的な論理構造によってコミュニケーションをしているわけではなく、その場その場でその局面ごとのルールを学び取っているのである。ヴィトゲンシュタインは、これを、教師時代に子どもたちがたま遊びのルールを都度都度に変更しているにもかかわらず、その遊びの参加者がそれを瞬時に把握し、共有しているさまから発送したという。
このルールを瞬間的に把握し、反復し、確認する、といったことをヴィトゲンシュタインは「言語ゲーム」と読んでいる。であるならば、Google 内部のアルゴリズムも、我々が ドッグ と ホットドッグ をどのように使い分けているか、検索をかけているユーザーとの言語ゲームを遊んでいるわけである。ヴィトゲンシュタインは「もし我々がライオンの言葉を話したとしても、我々はライオンのいうことがわからない」と述べている。これは、ライオンと我々では生活形態がまったく異なるために、その心象風景は共有できない、というようなことを述べていると解釈できるだろう。ライオンとそうであると同様、我々は Google と心象風景を共有することはできない。一方で、Google は一定のアルゴリズムにしたがって、我々と言語ゲームを遊ぶことはできるわけである。
おそらく、このあたりが、シンガルを触発した議論であろうと思われるヴィトゲンシュタインの議論の要諦である。すでに述べたとおり、この議論の面白いところは、「実証主義的」な前期の哲学ではなく、よりポストモダン的な後期の哲学が Google の「役に立った」のではないか、というところである。もちろん、それをどう解釈するか、というのは読み手しだいである。ただ、たぶん大半の日本人が抱くであろう解釈は、偏屈なことでも知られたヴィトゲンシュタインを激怒させるであろう。いずれにしても、100年後にどのような技術があり、どのような「学問」がそれに繋がるかというのを予想するのは不可能である。したがって、大学の仕事というのはその裾野を広げることであって、短期的な外部者(特に政財界)の評価を気にすることではないであろう。