2016年5月21日土曜日

国連持続可能な開発目標(SDGs)の問題点

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サミットに合わせて、日本政府は「持続可能な開発目標(SDGs)推進本部」を発足させた。

国連SDGsは、昨年終了した国連ミレニアム開発目標(MDGs)の後継プロジェクトとして、貧困や感染症の対策目標を定めている。
 もちろん、そこに列挙されたような目標は、全人類が一致して取り組んでいくべきであることに異存はない。
 日本も、そのなかでしかるべき役割を果たすことを、切に望んでいる。
 しかし、一方で、SDGsそのものに問題がないわけではない。
 主要な問題は、MDGsに比べて目標が野心的である(例えば、飢餓を「半減させる」と飢餓を「撲滅する」の難易度は、だいぶ違う)のに比べて、その手段は極めて限られている、ということにある。
 そのため、SDGsは第一にイノベーション志向であり、第二にその財源を民間企業や自由貿易に期待する面が大きすぎる、ということになっているように思われる。
 逆に、現在の世界経済の構造や、債務問題をはじめとしたそれに付随する諸問題、またイノベーションが過去に引き起こした負の影響、といったことへの反省的な観点は極めて弱い。

自由貿易を拡大し、LDCs(後開発途上国)のGDPが額面で上昇したとして、そのために強いられる環境や社会へのコストを、成長によって得られる対価が上回る、という保証はどこにもない。
 また、民間事業者が第三世界で、先進国と同様に現地の人権や環境に配慮するとは限らないのである。
 いやむしろ、ボパールやニジェール・デルタで起こったことを想起すれば、「環境や人権への配慮を削減することで生まれる利益に期待して」第三世界に進出するのではないか、という疑いに根拠がないとは言い難いであろう。

また、慎重に考え抜かれたものではない「イノベーション」が現地の生活を破壊する、ということは多々起こってきた。
 現在進行形の最大の人道問題であるシリア内戦が、直接の責任をアサド政権に求められるとしても、気候変動などを介して我々先進国の住民が無罪ということはありえないだろう。
 かつて、ハーフィズ・アル=アサド大統領(元バッシャール・アル=アサド大統領の父)は、社会主義的な独裁者の常として、大規模な開発による食糧増産を目指した
 しかし、中東は誰でも知っているように、極めて降水量の少ない地域であり、アケメネス朝ペルシャ時代から続く、地下水路(カナート)システムがわずかな水を効率良く農地に分配していたが、これではこの近代的な農法は維持できず、人々は縦井戸を掘り、効率よく地下水を汲み上げるポンプを設置するようになった。
 カナートはおそらく、縦井戸の利用に耐えないほど、水が希少な環境下での「知恵」であったはずだが、そのシステムは近代化の都合で大きく脅かされることになったのである。
 イノベーションは必ずしも否定すべきことではないが、「不便さ」が環境からの収奪に対する歯止めになっていた場合、技術導入と同時に資源浪費への対策も必要となる、という視点が欠けていたわけである。
 これに、おそらく気候変動の影響が加わり、シリアの水循環システムは決定的に崩壊した。
 これが、シリア内戦の直接的な契機である。

メディアは、イスラム原理主義の脅威ばかり煽るが、紛争の直接的な原因は大抵、宗教ではなく、もっと下部構造的なものである。
 中東同様、イスラム原理主義の急速な勃興が見られる地域に西アフリカがあるが、ここでも気候変動の影響によってサヘル地帯に住んでいた遊牧民の生活が崩壊し、主に沿岸部に住んでいる農耕民族のエリアに侵入していることが紛争の発端である。
 遊牧民にイスラム教徒が多く、沿岸部の農耕民にはキリスト教徒が多いという事情が構図を宗教的な問題に見せているが、根本は気候の問題である。

そして、20世紀型の戦争(石油などの資源紛争)に加えて、21世紀には「水の奪い合い」が急速に増えるだろう、というのはすでに20世紀から指摘されてきたところである。
 一般に、サブシステンスへの依存が強いところほど、環境破壊の影響は甚大になる。
 一方、旧来型のODAや、世銀、IMFによる「援助」が、こういったリスクを無視し(結果的にこのリスクを第三世界側に転化し)てきたことは明らかであり、その結果が債務問題をはじめとする南北問題であり、宗教原理主義や地域紛争の横行である。

したがって、SDGs的な課題に取り組むことは重要だが、そのためになにが提供され、どのような補償措置を行い、結果として現地の生活がどのようなものであるのが好ましいか、という議論を慎重に進めなければいけない。
 これは、第一に開発批判ということであり、同時に「イノベーション批判」ということである。
 しかし、開発批判をすべき人類学者たちが開発批判をしなくなって久しい(これは、世界的にそういう潮流はあるように思われるが、日本において特に顕著であるように見える)。
 また、イノベーション批判をすべきSTSも、イノベーション批判をしなくなっている(日本では、そもそもSTSという学問分野が立ち上がるとほぼ同時に、「イノベーション礼賛」という役割を押し付けられてしまったように見える)。
 開発におけるイノベーションと市場主義の礼賛、という傾向はMDGsからSDGsへの移行により強化され、それを批判的に吟味、検証する回路は弱められているわけである。
 この問題になんらかの形で対応しなければ、SDGsは人類を救うどころか、破滅への道を早めるだけに終わるであろう。

関連文献
 「シリア危機を招いた気候変動」

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