2019年4月4日木曜日

野党とは何か。あるいは、民主国家はどのような「政党」を持つべきか。

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 日本財団が発表している「18歳意識調査」第12回 テーマ:国会改革について、という報告書は、我が国の若者の「政治」に対する理解についての、なかなか深刻な問題を表しているように思う。ちゃんと精査したわけではないが、一読しての感想として 1)とにかく、意見の違いが顕在化するのが落ち着かない。2)「成果の客観的評価」が可能だと思っている。3)討議は少人数で短く行うべき。といった感覚を抱いている回答者が多い印象を受ける。

 全体に自己啓発系ビジネス書っぽいという印象を抱く。ただ、そういう意味では昨今メディアやポピュリスト政党が強調する「カイカク」(してるふり)と同根であり、若者が、というより日本社会に蔓延する空気の問題なのだと思う。
 実際、大学の授業でも政策決定プロセスについての話になると「野党が情けないから」「批判ばかりだから」社会問題が解決できないというコメントも出てくる。

 そんなわけで、我々はどのような「野党」を持つべきなのか、という観点から記事を立てておきたい。
 今年は選挙イヤーでもあることであり、公共の議論の一助になれば幸いである(選挙中ということで「選挙って、候補者やスタッフは何してるの?」に続いて二つ目の記事)。




 政党が選挙に始まり、議会において(特に多数派を取れなかった場合に)果たすべき役割は大まかに言って三つである。このプロセスがうまく行われていることが、「議会が役に立っている」ために必要である。



(1)選挙において、選択肢を提示する。


 民主制とは、有権者が自分の望む政策を選択できる、ということであり、そのためには「自分の望む政策を提案している政党」に投票できなければならない。したがって、選挙においては、有権者の意見の多様性によって複数の選択肢が提示されなければ、民主的とは言い難い。ただ、実際は全ての人の意見を反映するわけにはいかないので、ある程度最大公約数的に、二つ三つの可能性が示され、その中から「比較的近いもの」を選ぶということになる。
 では、どの政党がどういう政策を示しているか、ということを有権者は確認しなければいけない。これには各政党が出している「マニフェスト」ないし「公約集」を確認することになる。マニフェストは、当然のことながら可能な限り具体的であることが好ましいが、議員の在任中にも状況は刻一刻と変わるわけで、「状況が変わった時にどうするか」ということも読み取れた方が良い。
 もともと、選挙公約というのは日本でも言われていたが、日本のそれは具体性を欠き、公約というよりは「願望」の寄せ集め(Wish List)に過ぎない、という批判が、内外の政治学者から示されていた。そこで、1990年ごろから、マニフェスト選挙が発達しているといわれるイギリスの例に倣って、日本でも各党がマニフェストを配布するようになった。また、それまでは冊子を配布するのは公職選挙法によって禁止されていたが、マニフェスト選挙を可能にするために、法律も改正されて冊子が配れるようにもなった。
 実際は、イギリスで配布されているマニフェスト(保守党、労働党)と、我が国のそれを比べてみれば、まだまだ日本のものが抽象的で、分量としてもイギリスのそれよりだいぶ少ないということを認めざるを得ないだろう。しかし、これでもだいぶと情報量は増えたのであり、有権者はこれをきちんと比較して、自分の意見に近い意見を持った政党を見極める必要があるのである。



(2)議会において、政府案を叩く。

 実は、議会制民主主義ではこの項目が一番重要である。
 野党が「対案」を提示しなければいけないのは、マニフェストまでであり、選挙で審判が下された後は、野党のアイディアは(特殊な政治情勢を除いて)しまっておかれることになる。次に野党にとって重要な役割になるのは、議会において叩き台としての政府与党案を叩くことである。
 マニフェストは政府・与党と有権者の契約であり、基本的にはそれを設計図として政策は進められる必要がある。しかし、一方で(1)状況は変わることがあり、(2)有権者が全ての政策に賛同しているとは限らず、ある程度の優先順位をつけて投票している以上、特定の政策に関しては野党案の方が指示が高いというケースもありえ、(3)また、与党の支持者にとっては有益な政策でも、他の誰かに深刻な打撃を与える、というケースも想定される。これら主に三つの要素については、国会での議論で検証していく必要がある。なので、一般論としては(2)の場合を除けば、野党が国会で行うべきことは「対案を示す」ことではなくて「与党案を叩いて、修正することによってよりよい(少なくとも「酷く悪くはない」)案に修正していくことである。
 こういった、与党案があって、それに対して否定的な意見を加え、結果としてその批判を踏まえた「より良い案」を政府が提示できるようにする、というプロセスは「弁証法」と言われる。この弁証法が機能することが民主制の大前提である。
 有権者は、政府案が、野党の批判を受けてどのように修正されたか、あるいは「されなかったか」ということを検証していく必要があるのである。
 その意味で、国会論戦は「相手の穴をつこう」という敵対的なものである必要があるが、それはメタレベルでは「よりよい法律を作ろう」という合意に基づく、協力的なものである必要がある。現象レベルでは敵対的であることが、メタレベルで民主制が機能することを保証する、と言っても良い。

 さて、「法案を叩く」ことが国会の役割であるが、叩いて、叩いて、これ以上与野党に妥協の余地がない、というところまで叩き終われば「採決」ということになる。「これで叩き終わり」というのをどこで判断するかに明文的な規定があるわけではないが、通常は各党の国対委員長が協議して日程を決める。一般的には野党第一党の国対委員長が野党側の意見を取りまとめ、与党と交渉することになる。大半の法律は、ここで与野党が納得する形になり、与野党ともに「賛成」の票を投じる。あるいは、与野党に一切の妥協の余地がない、ということが明らかになれば、それはそれで投票に移って、野党は粛々と反対票を投じる、ということになる。通常は、それで法案が採決される。国会における採決の記録を見てみれば、ほとんどの場合、与党と、少なくとも野党第一党を含めた大半の政党は法案に賛成しているはずで、これが「十分に叩き終わった」法案ということである。ただし、政府与党が出してくる数字が間違っていたとか、あるいは意識的に隠されている情報があった、というような場合は「十分に叩き終わった」ということにはならず、後々紛糾することもある。また、もちろん国会議員が全ての事情を見通す能力があるわけではないので、あとで問題が発覚することもある。
 法案の「叩き方」は、本来マニフェストというよりは各政党の綱領を見るべきである。マニフェストは通常選挙ごとに更新され、その時点での具体的な目標が示されるが、綱領は「どういった社会が望ましいと考えるか」という各党の理念のようなものである。通常、「右派」と呼ばれる政党は経済や企業活動の自由を重視し、与党が「左派」の時に提出された法案がそれらを阻害する恐れがないかという観点から法案をチェックする。一方「左派」政党は自由より平等を重視し、「右派」が与党の時に提出された法案が労働者の生活や雇用条件を改悪し、格差を拡大させるものになっていないかをチェックする。国民は「経済は好調だが格差が進みすぎているな」と思ったら左派の議席を増やし、逆に「政府が税金をかけすぎ、規制をしすぎて、生活は楽になったが将来の経済発展が不安だ」と思ったら右派に投票する、という選択ができる、ということになる。


 こういったプロセスを経ても採決日程の合意ができない場合が「強行採決」と報じられる、ということになる。ある種の課題に関しては、野党側としてはそもそも妥協の可能性がない、ということもあり、この場合は与党としては強行採決という手段を選ぶことになり、野党としては様々な法廷戦術を駆使して採決を引き延ばす(で、会期切れになれば野党の勝ちである)ということになる。そのため、どうしても一定数の強行採決というのはどの国の国会でも生じるのであるが、安部政権ほど強行採決が連発されるのは珍しく、また「有権者の少なくとも一部を代表する議員から、十分に叩かれていないと判断されている法案が採決されている」ということは、あまり増えることは好ましくない。
 野党の引き伸ばし策は、その国の法律に従って様々な形がありうる。国際的には、採決に至る前の討論を延々と引き延ばす「フィリバスター」と呼ばれる手法が採られることが多い。アメリカ合衆国では発言時間に制限がないため、フィリバスターが多い。フィリバスターをやめさせて採決に移行するには2/3以上の賛成が必要がだ、二大政党制であり、上院においてどちらかの党の議席数が1/3を割ることは珍しいため、フィリバスターは通常成功する。日本では、討議時間の規制によってフィリバスターが難しいため、投票を引き延ばす「牛歩」などの戦術が使われることになる。


(3)単に与党と喧嘩する(ことによって権力を監視する)

 最後に、与党と野党は単に「仲が悪い」ことも重要である。政治権力は腐敗するものである。しかし、捜査は行政によって行われるものであるから、与党の腐敗を操作するには、限界がある。そこで、野党は与党を監視し、ことあらばその地位から引きずり下ろし、自分たちが取って代わろうとすることによって与党の健全さを保たねばならない。また、与党は、永遠に与党だと思っていれば政府に都合のいい法律ばかりつくるであろうが、もし自分たちを嫌っている野党が与党の地位についたときに、その権限を行使できるのではないかと疑っている場合は、政府の権限を強化するような法律を作ることには抑制的になるであろう。
 そういったことから、政府の独裁化を避けるためには、与党と野党は単に仲が悪い必要がある。この面で言えば、綱領もマニフェストもほとんど関係がなく、単に「都合が悪くなったら相手の党に移籍してしまえ」と思ったりしない、ということが何より重要である。つまり、この観点では国政二大政党が巨人党と阪神党だった、ということでも構わないのである。


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