2016年5月27日金曜日

原爆投下に関して、日本はアメリカ大統領に謝罪を求めるべきだし、その時に日本としてやらなければいけないこともある

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原子力爆弾の投下について、アメリカ大統領に謝罪を「求めない」ことがよいことだ、という意見があるが、日本はやはりきちんと謝罪を要求すべきだと思う。そして、謝罪を要求できない要因を、我々自身がいくつか抱えているように思われるので、まずそれを是正する努力をすべきである、ということでもある。
 逆に言えば、日本政府が「謝罪を求めない」という態度を取っているのは、おそらく自分たちにも相応の責任が生じることを嫌がっているということであろう。
 しかし、そこを超えずして、第二次世界大戦への真摯な反省の上に平和を希求しているのだ、という「建前」が信用されるはずがあるだろうか?
 安保法制をめぐって、日本政府はそういった趣旨の発言を繰り返したが、現状ではそれは、対外的にはまったく信用されない、空虚な言い訳に過ぎないであろう。

謝罪を求めるべきである理由は、直接的には、被団協のような被害者組織がそれを望んでいる、というだけで十分なはずである。
 もちろん、最終的に日本政府の公式の立場として大統領に謝罪を求めないという結論はあり得るだろうが、被団協のような組織に対して「謝罪を求めるな」という有形無形の圧力がかかっているように見えるのは、奇妙を通り越しておぞましいとしか言いようがない。
 謝罪を求めないことが国家の品格であるという議論まで飛び出したが、「国家の品格」とやらのために個人の自己決定権や尊厳が無視されるような状況があってはならないのである。

謝罪を求めるべきである理由は、直接的には、被団協のような被害者組織がそれを望んでいる、というだけで十分なはずであるが、加えて倫理的な論点も検討してみよう。
 原子力爆弾の投下は二つの理由で明白に、人道に対する罪である。

1)第一に、これは東京大空襲なども一緒なのであるが、通常の軍事行動ではなく、明らかに一般市民を狙った攻撃である、ということがある。
 アメリカは、広島・長崎の原爆投下により終戦が早まり、それによりアメリカ兵士や日本の兵士、民家人の犠牲は減ったと主張してきた。

しかし、通常、我々は「戦争にコミットするこをを主体的に選択した兵士同士の殺し合いと、そうでない一般市民、特に子どもに対する攻撃は意味が違う」という倫理を共有している。
 これが崩れると、逆に、制服を着て戦闘に参加しているものを軍人とみなし、またそうでないものを民間人とみなし、民間人の服装で軍人に戦闘行為を働くことを国際法違反とみなす、といった「常識」も崩壊するのである。
 実際のところ、近年のアメリカは「対テロ戦争」と称する局面ではこういった原則を無視するようになっており、露骨な軍事介入を避けてきた「穏健派」とみなされるオバマ政権においてもこのことは例外ではない(グレン・グリーンウォルドの論考を参照されたい )。
 例外ではないどころか、むしろ軍を動員した作戦を避けるために、ドローンや暗殺部隊を前政権以上に多用するようになっており、それによる、子どもを含めた犠牲者の数は増加していると考えられている。
 しかし、こうした作戦はむしろ世界に憎しみを生み、テロリストを増やしているのである。
 いかなる意味でも、民間人を対象にした攻撃は許されるべきではなく、少なくともその意味で原爆を含めた都市へのすべての空襲は謝罪されるべきである。

ただし、その場合、日本がまず謝罪すべきである、という議論が起こってくるのは免れ得ない。
 つまり、都市に対する戦略爆撃を最初に開始したのは枢軸国側であり、日本に関して言えば石原莞爾による錦州爆撃に始まり、中国国民党政府が拠点としていた重慶への爆撃を頂点とする、一連の空爆が問題になりうる(重慶爆撃の立案は海軍の井上成美によるものであるという)。
 民間人の犠牲を無視した、ないしは織り込んだ戦闘の責任問題を言うのであれば、まずこのことに対して日本がどのような反省を見せられるか、ということが問われるのである。
 (また、これは広島については論点にならないかもしれないが、空爆に関しては日本政府の側も都市から住民を逃す努力をするどころか、むしろ都市に止めようとしたこと、また戦後も「受任論」として、空襲で受けた被害を個々人が「がまんするように」と強いた、という歴史も反省される必要があるだろう)

アインシュタインの第二の手紙
 また、実際、日本が降伏したのは原爆を恐れたからというよりも、ソヴィエト参戦によるものだった、ということはよく知られている。
 アメリカ側も、日本が降伏直前にあることはよくわかっており、むしろ駆け込みで原爆を「つかってみた」ように見える。
 これは、原爆の開発をルーズベルト大統領に促し、一方で投下直前まで原爆投下を阻止すべく奮闘していたハンガリー出身の物理学者レオ・シラードの証言などからも推察できる。
 シラードは核連鎖反応などについて研究をしており、実質的な「原子爆弾」および原子炉の発明家の一人である。
 核分裂実験は、すでにアメリカに亡命していたシラード、エンリコ・フェルミ、それにフランスのフレデリック・ジョリオ=キュリーらによって独立に行なわれている。
 シラードは当初、それが恐ろしい兵器の開発につながる可能性を考え、秘密にしておくことを主張したが、ジョリオ=キュリーはこれを公表してしまう。
 ユダヤ人であった彼は、ヒトラーが原爆を開発することを恐れており、アインシュタインを促してルーズベルト大統領に、アメリカも原爆開発に着することを進める手紙を書かせたことで知られている。
 シラードの手紙も一定の役割を果たし、アメリカはマンハッタン計画を開始し、シラードもその業務に就くことになる(アインシュタイン自身は計画に関わることはなかった)。
 しかし、ドイツが敗戦を迎え、原爆が日本に投下される可能性が生じると、シラードは慌てて、原爆の実戦利用を回避するために動きはじめる。
 シラードが恐れたのは、ドイツが単独で核兵器を持つことであって、その使用を牽制するためにアメリカも核武装する必要があると考えていたが、核兵器が日本に対して実際に使われるというのは、彼が望むところではなかった(日本も核兵器の開発は進めていたが、仮に研究開発能力が十分であったとしても、日本が質、量ともに十分なウランを手に入れる可能性は皆無に近かった。一方、ドイツはチェコのウラン鉱山を抑えており、またチェコからのウランの輸出を早期に禁止したことは、ドイツも核兵器の可能性に気づいており、その開発に着手しているであろうことの有力な証拠であると考えられていた)。
 ここにいたってシラードは、再びアインシュタインを促し、ルーズベルト大統領への第二の手紙が執筆される。
 シラードは、マンハッタン計画の関係者ではないアインシュタインに計画の詳細を明かすことはできなかったため、アインシュタインは第二の手紙の中では問題の詳細には触れていない(もちろん、アインシュタインはシラードが詳細を明かしたか否かにかかわらず。なにが起こっているか把握していたであろう)。
 ただ、「彼(シラード)がこの作業(マンハッタン計画)に関わっている科学者たちと政策を策定する責任を担っている貴方(ルーズベルト)の閣僚との間の適性なコネクションがないことを非常に憂慮しており」、シラードが大統領に彼の憂慮を説明する時間を作ってくれるように訴えている。
 この手紙には1939年3月25日の日付が残されており、そしてルーズベルト大統領は4月に入ると体調を崩し、急逝する。
 結果として、シラードは5月にバーンズ国務長官との面会には成功するが、手記の中で、シラードはバーンズが原爆利用を控えることには消極的であり、戦後始まるであろうソヴィエトとの競争的な関係において、隔離用の実績が有利になるであろうと考えているようだったと述べている。

結局のところ、このシラードの事跡が、原爆をめぐる状況を説明するほぼ全てであろう。
 結論としては、原爆と日本の降伏はほぼ関係がなく、それはむしろソヴィエトへの牽制として投下されたのである。

また、放射能の影響を実戦利用で「人体実験」してみたいという欲望がなかったといえば嘘になろう。
 加えて、マンハッタン計画はそもそも巨大な国費を投入した、最大スケールのプロジェクトであるわけで、「使われない兵器」がその予算を正当化するか、という問題もあったであろう。

しかし、そもそも日本が原爆ではなくソヴィエトの参戦に脅威を感じていたかといえば、様々な理由はあろうが、それがソヴィエトと西側諸国の国土分割や、天皇制の廃止を意味しているからであろう。
 アメリカであれば、昭和天皇個人の責任は別として、天皇制そのものの存続は許すであろう、と当時の首脳陣が考えていたことは明らかであり、そのためにもソヴィエトの関与が大きくなる以前に降伏することが重要であった。
 つまり、最後の最後まで、日本政府は人々の平和よりも「国体」(ここでの国体は天皇制とそれに守られた特権階級という構造、ということである)を憂慮していたのである。
 この問題に関する議論は、日本の「戦後民主主義」の中でも、十分に反省されているとは言い難いであろう。
 また、原爆が人体実験を憂慮していたとしても、それが、日本が満州で行った人体実験より邪悪で露骨なものだったとも言いがたいだろう。
 「原爆の反省」は、同時にこれらの問題に関して十分な反省をしていないことを、我々に突きつけることになるだろう。

2)第二に、原爆は大量破壊兵器ないしABC兵器とよばれる兵器の一つであり、それらは通常「その使用そのものが非人道的である」と言われるものである。
 これは、例えば化学兵器が初めて使われた第一次世界大戦のころから、直感的に明らかだと考えられてきた。
 化学兵器を開発したのは、ハーバー・ボッシュ法(窒素を空中固定する技術で、化学肥料の開発にもつながると同時に、重要な軍事技術にもなった)の開発者のハーバーであるが、同僚のオットー・ハーンはハーバーに毒ガスの利用について異を唱えている。
 また、ハーバーの妻で自身も科学者であったクララは、毒ガスの利用に抗議して自殺している。
 我々は「殺人に質はなく、通常兵器で兵士を殺すのも、大量破壊兵器で子どもまで含めて殺すのも一緒である」という倫理観では生きていないのである。

ところが、一方では核兵器は他のBC兵器(生物・化学兵器)とくらべて、倫理的な問題(つまり兵器としての残虐性)が明らかではないという議論も存在する。
 BC兵器に関しては、死ぬまでに与える「苦痛の質と量」が通常兵器とは異なるが、原爆は大半の犠牲者について、通常兵器と異なることはなく、被曝の影響は限定的だ、という議論である。
 現実的には、被曝の影響は後年まで続くものであり、また因果関係がはっきりしないため、犠牲者の中には補償を求めて一生を裁判に費やすことを強いられた人々もいる。
 こうした、直接的でない被害が大きいということも、十分な残虐性の根拠になるわけであり、こうした議論は棄却できるだろう。

また、仮に「被害としては同じ」だとすれば、アメリカが支持、推進するNPT(核不拡散条約)はなんのためのものか、ということになる。
 ひとつの回答としては、「NPTは、核兵器が通常兵器と質的に異なるところはないとしても、あまりに巨大な威力を持つため、報復合戦になって人類全体が滅びることになるめ、それを防ぐ目的で導入された」というものである。
 しかし、この立場を採用するとしたら、NPT体制によって核兵器の保有者が限定されている状態において、相手が報復に使う恐れがない(つまり核兵器を所有しておらず、別の核保有国のバックアップも期待できない小国である)場合に、戦術的な目的で規模の限定された核を核保有国が利用するのは問題がない、ということになってしまう(この立場は、日本への核の利用も遡って正当化するであろう)。
 これは、我々がNPTを支持する根拠として期待する「理想的な社会像」と著しく異なることは明らかであろう。
 我々は、核保有国が「小規模であっても核兵器は使ってはならない」という信念と共に、NPT体制を支持しているはずである。
 しかし一方で、限定的な核利用は可能であり倫理的に正当化できる、という議論がアメリカなどにあることも事実である。
 これらを批判するためにも、大量破壊兵器の利用は、アメリカであっても倫理的に正当化されず、それは歴史的というよりも先験的なものであり、第二次世界大戦まで遡って適用可能な倫理的立場である、と主張することは重要であろう。

ただし、ここでも我々は第二次世界大戦の日本によるBC兵器開発および使用の歴史を十分に調査、反省しているか、という議論に経ち戻らされるであろう。

したがって、我々は、アメリカ大統領に、「対テロ戦争」の違法性を認識し、また今後もいかなる規模であろうが核兵器の利用は行わないというコミットメントを求める、ということからも、原爆の利用がすでに当時から違法であったと認識し、反省してもらう必要がある。
 しかし、それを求める前に、あるいは少なくとも同時並行で、日本の第二次世界大戦の問題を議論する必要がある。
 特に、ここにあげたような問題には、東京裁判で様々な事情から罪を問われなかった人々(石原莞爾、井上成美、石井四郎、等)が関与しているが、我々はそれらの人々の「罪」をきちんと明らかにし、歴史に刻み込む義務も同時に負っているわけである。
 日本政府がアメリカの「罪」を問いたがらないのは、そういったことを認識しているからであり、一般公衆や、まして「被害者」がそれに同調する必要はまったくないし、同調することが「品格」を示すことではありえないのである。