2016年6月1日水曜日

沖縄と福音派教会: あるいは「隣人を理解し、尊重することと批判的になることの両立」という問題について

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米軍属女性遺棄 悲しみに共感 教会に通う米軍人や軍属ら」(琉球新報) という記事にあるとおり、ネイバーフッドチャーチ沖縄の牧師の呼び掛けて、信徒が「沖縄とともに悲しんでいます」といったプラカードを掲げて国道に立った。


 この行為について、背後にタカ派色を強める新興宗教「幸福の科学」がいるのではないかという指摘がある。一方で、それはガセネタで「集会は純粋なものだったので安心してほしい」という反論もあった。これは、両方とも「ある程度は事実で、ある程度は間違い」というべきものであろう。これはまず、アメリカのキリスト教の文脈を理解する必要がある。



まず、ネイバーフッドチャーチ沖縄は、"Assemblies Of God"(AG)というペンテコステ派系の教団に属する教会である。詳細は追って説明するが、AGはカルトというわけではなく、一般的なプロテスタント教会の一つであると考えられているが、プロテスタントのなかでも「福音派」という、アメリカ共和党右派に影響力のある保守的なグループに分類される。この福音派の人々の存在は、世俗主義的な人からすれば非常に問題が多く、主流派プロテスタントとカルトを分けて考えることの妥当性は果たしていかほどのものであろうか、という疑念を喚起する面もある(この点は後段でもう少し説明する)。そして、福音派の信者人口や資金力、そしてアメリカ政界に対する影響力も非常に大きく、こういったグループの行動というのは、日本に限定された宗教団体の活動より遥かに批判的に検証しなければいけない、ということが重要である。
 福音派の特徴のひとつは、中東情勢へのアメリカの積極的な介入を強く支持することであり、この意味で米軍の世界展開を支援する立場にある。なんらかのかたちで「幸福の科学」(ないしその政治部門である「幸福実現党」)と協力関係にあってもおかしくはないが、幸福の科学側で自由にできるような存在でないことも確かである。
 ペンテコステ派自体は、アメリカの文化に根付いた長い伝統のある宗派であり、たとえば黒人音楽などはこの宗派の存在なしには語れない部分がある。我々は、これらの宗教を一定程度は理解し、隣人として尊重することが可能であり、またそれは必要なことであろう。しかし、隣人を尊重することと、その(福音派特有の)宗教的な情熱や熱狂に日本の政策が巻き込まれ、世界情勢が左右されることは好ましくない、という批判的な視点を持つことは両立する、という認識も大事である。もちろん、個々の信者は善良な人々であり、今回の行為は善意に基づいているかもしれない。しかし、すべての善意が労なく具現化するわけではなく、具現化のためのスクリーニングが存在するのであり、そのスクリーニングを経てきた行動というのは、そのグループの全体的な方向性や価値観に合致する、ということである。そして、沖縄への米軍駐留政策が福音派の利益に叶うとしたら、それは中東を中心としたアメリカ軍の国際戦略をタカ派的に維持する、という目的に合致すると判断されている、ということに他ならない。
 もしよき隣人であるとするならば、隣人を理解し、尊重し、しかし批判しなければいけない。以下の議論はそうするための準備のようなものである。そして、もし福音派と日本のタカ派新興宗教が協力関係にあるとしたら、それは隣人を尊重し、かつ批判することではなく、隣人の欲望を利用すること(それは尊重とは真逆の行為であるが)に基づいているのではないか、と検証してみることも必要であろう。
そのためには(私も専門というわけではないので難しいが)、アメリカにおけるキリスト教の配置を多少は頭に入れる必要がある。アメリカの(正統と見なされる)プロテスタント信者は、そのなかでも細かい流派に分かれているが、それとは独立して、「主流派(Mainline)」と「福音派(Evangelical)」に分けることができる。ほとんどの宗派が主流派にも福音派にもなりえるが、特にペンテコステ派と呼ばれる宗派に福音派が多い。
 主流派は、一般に(広義の)自由神学と呼ばれる立場に立つ。自由神学では、信仰とは個人の内面の問題であり、宗教的な言説は必ずしも物理世界の事実を表したものではない、と考える。例えば、「キリストは5つのパンを5000人の信者に分け与えた」という記述があったとして、これは「物理的なパンが実際にあったわけではなく、宗教的な恩恵とか信仰を<分け与えた>という比喩表現である」と解釈するわけである。終末論も、「常に死を意識して、神のまえにいつ引き出されてもいいように正しく生きなさい、という教えである」と解釈するのが自由神学的ということになる。もちろん、何でもかんでも「解釈の問題」にすると教団というのは成り立たなくなるので、コアな教えを共有し、それ以外は個人の良心や信仰心に任せる、ということになる。このため、世俗主義とも整合的である。また、「神は一つでも教えの解釈は様々」という意見を受け入れやすくなるため、一般には世界教会主義(Ecumenism)という立場にたち、宗派の違うプロテスタント同士はもちろん、カトリック教会や他の宗教(イスラム教や仏教など)とも積極的に交流、相互理解を深めることが推奨される。これは、長くアメリカ政界で主流を占める、プロテスタント系の人々の共通理解であった。
これに対して、福音主義は、聖書の教えに忠実になろう、という運動である。カトリック教会は教皇(を頂点とした官僚機構)に聖書と同種の権威を認めるため、例えば聖書についての解釈が別れた時は知識豊富な聖職者たちが議論を交わし、場合によっては「公会議」が召集され、最終的に教皇によって決断が下される。このため、解釈は一貫しており、穏健なものになりやすい。一方、プロテスタントはヴァチカンのような中央集権的な組織を持たず、「聖書のみを権威として認める」のであり、またその聖書を読む人は、必ずしも専門知識や文献解釈の能力を持たない人たちである。必然的に、極端な解釈も混じってくることになる。プロテスタンントの中でも福音主義者はそれを絶対視するので、そのあたりから社会問題が発生する、ということになるわけである。聖書の教えを絶対視し、それに従わない人々の排斥を主張するようになると、これを「原理主義」と呼んだりする。現在では、原理主義はもっぱらイスラム教関連の語彙のように使われるが、もともとはこれら福音派の極端な立場を指した言葉である。
 福音派の特徴のひとつが、熱心なイスラエル支援である。これは直接的には旧約聖書のアブラハム契約と呼ばれる説話に由来する。つまり、すべての民族の代表としてのアブラハムが神と契約を交わしたが、その中に「地上の氏族はすべて、あなたによって祝福される」という一節がある。これを福音派は「ユダヤの民がイスラエルの地に帰ることを支援することによって、我々はユダヤの民を祝福することになり、同時に(アブラハムの後継たる)ユダヤの民は我々を祝福し、我々は栄えることになる」と解釈するのである。また、第三次世界大戦はイスラエルを起点に始まるのであり、これが聖書のいう終末ということである、とも考え、彼らは終末を熱望するのである。もちろん、普通に暮らしているユダヤ教の人々にとっては迷惑な話以外の何ものでもないが、イスラエル政府はこの彼らの「勘違い」を大いに利用してきた。このため、福音派は、特に中東政策において過激なタカ派である。逆に、福音派的に戒律を重視するが、一方で極端な平和主義を取り国家の戦争協力を完全に拒否する宗派もある(日本でも有名なアーミッシュなど)が、彼らの主義主張は極めて福音派的であるが、通常は福音派とは分けて考えられている。
使徒たちに降りてきた「炎の舌」
Assemblies of God のロゴ 炎の舌が見える。
ペンテコステ派であれば福音派なわけではなく、すべての福音派がペンテコステ派なわけではないが、ペンテコステ派は福音派が多い。ペンテコステ派は、「異言」と呼ばれる現象を重視する宗派である。異言は、イエスの死後最初の五旬祭のおりに、天から炎のような舌が弟子たちのところに降りてきて、弟子たちが様々な国の言葉で喋り始めた、という逸話に由来する(使徒言行録)。この「炎の舌」は多くのペンテコステ派教会のロゴに使われている(AGのロゴにも見ることができる)。そのため、ペンテコステ派の礼拝では、トランス状態に入った信者の「異言」などの神がかり的な行動を重視する。歌なども重視されるため、ゴスペルが発達し、アメリカの黒人音楽の基礎はこの宗派の人々が築いたといってよい。難しい説教よりも、異言が重視されるということは、同時に移民など、必ずしも英語が流暢ではなかった人々にも支持を広げることになったため、その初期には社会の下層階級の人々に信者が多かった。また、感情を表明することや共同体を作ることに積極的であるので、社会運動を形成しやすいという面も指摘できる。
近年は、これに「メガチャーチ」という側面が加わる(※AGは教会の集合体であり、メガチャーチではない)。メガチャーチ、あるいは揶揄的に「マックチャーチ」と呼ばれる運動は、カリスマ的な伝道師がテレビや大規模集会を通じて説教を行うスタイルである。メガチャーチの多くは福音派的な価値観を押し出しており、またペンテコステも多い(必ずしもペンテコステというわけではない)。アメリカで流行しているが、アメリカ以外にも多くの国で類似の運動が生まれている(例えば信者数で世界最大と言われているメガチャーチは韓国のものである)。メガチャーチの説教は、個人の倫理に直結したものが多く、主流派からは「社会的な問題を無視している」と非難されることが多い。現在、アメリカで最も影響力のあるメガチャーチの指導者のひとりが、ブッシュ政権とも近く、「チャベス(前ベネズエラ大統領)を暗殺せよ」という発言で物議を醸したパット・ロバートソンである(ちなみにロバートソンは福音派だがペンテコステではない)。ロバートソンは、リージェント大学の創始者として知られるが、韓国の左派メディア「オーマイ・ニュース」の創立者である呉連鎬(オ・ヨンホ)氏は、この現代社会でもっとも成功した大衆動員手法を知りたいと、リージェント大学に留学、修士号を取得している。この評価は鋭いというべきであろう。
近年のアメリカ政界の最大の問題は、この福音派が影響力を強めている、ということである。米国総合的社会調査によれば、主流派プロテスタントの信者人口は1972年の28.0パーセントから、2014年の12.2パーセントまで激減している。一方、福音派は同じ期間に17.1パーセントから22.7パーセントまで伸びている('The Growth of Evangelicals and Decline of Mainline Protestants'より)。伸びしろが大きいわけではないが、主流派の減少に比べて影響力が飛躍的に増大していることは明らかである。また、主流派は共和党・民主党を問わず中道派を支持するのに対して、福音派は今の所、強固な共和党支持層である。したがって、共和党はこの層の票を取り込まないと大統領選びが不可能になる。先の二回の大統領選で、共和党はジョン・マケインとミット・ロムニーという、それぞれタイプは異なるが宗教的熱狂からは距離を置いた人物を大統領候補に選出したが、二人とも副大統領候補には福音派党員の支持が厚い人物(サラ・ペイリンとポール・ライアン)を選択せざるをえなかった(これが有権者の目に「迷走」と映ったことも、共和党の敗因の一つであろう)。 サラ・ペイリンの教会は"Assemblies of God" というペンテコステ派最大のグループに属しており、すでに述べたように、沖縄ネイバーフッド教会もこのグループである。
今回(2016年)はさらに状況は悪化しており、有力候補の多くがなんらかの形で福音派の支持を受けている、という事態に陥った。特に福音派が「プリンス」とみなし、期待をかけていたのが、テッド・クルーズ上院議員である。クルーズの選挙キャンペーンのロゴ・マークは、ペンテコステ派の「炎の舌」をかたどったものになっている。
一方、最終的に共和党の大統領候補に勝ち残ったドナルド・トランプは明らかに福音派の人々が「悪徳の塊」とみなすような人物である。また、TPPを批判し、累進課税や社会福祉については拡充を示唆するなど、政府の介入を嫌う福音派とは別の、おそらく都市の世俗的な労働者層を支持層と見込んでいるように思われる。結果的に、トランプは、フランス国民戦線など、欧州の極右により近いポジションをとっている。これが「共和党右派の排外主義的な政策から、宗教的窮屈さとリバータリアニズムを抜いたもの」を求めていた有権者にアピールしたということがいえるのかもしれない。結果として、当然ながら熱心な福音派ほどトランプを支持していないというワシントンポストの記事もあるが、彼らが本選でどう動くのかは不明である。ある意味、福音派は共和党の主導権を握ることに三たび失敗したわけだが、その挑戦の間に、共和党中道派のプレゼンスは壊滅的な打撃を受け、その結果としてトランプが登場した、ということになるだろう。
福音派の礼拝参加頻度と支持候補
さて、ブッシュ政権時代にアメリカ政界をリードしていたのは「ネオコン(ネオ保守主義)」と呼ばれる人々であった。ネオコンの創始者とみなされるアーヴィング・クリストルはニューヨーク出身のユダヤ人で、学生時代はトロツキスト系の左派組織で活動していたと言われている。しばらくは民主党系の知識人として活動した。特にジョンソン政権時代の民主党はユージン・ロストウ(法学者、国務次官)、ウォルト・ロストウ(経済学者、国家安全保障問題担当大統領特別補佐官)兄弟らの活動もあり、第三世界の赤化を防ぎ、自由主義の価値観を広めるためという名目のもと、積極的な軍事介入を行っていた。クリストルもロストウに近い場所で活動していた。その後、対外的な介入を控える民主党に対して不満を募らせた彼は、共和党に接近し、「ネオリベラル経済と軍事費増強」というネオコン思想を支持する人々のネットワークを築く。このグループはブッシュ政権の対外政策を主導し、アメリカをアフガン戦争、イラク戦争という二つの戦争に突入させた。日本でも安倍晋三は1期目の首相任期の時代から、ネオコン・グループへの傾倒を深め、「価値観外交」といったネオコン的な思想を外交政策の基礎に据えている。
 ネオコン・グループは「中東で唯一、自由主義陣営の価値観を守る」イスラエルへの援助を積極的に行い、イラク戦争と関連付けた(イラク戦争が目的なのか、イスラエル支援が目的なのか、外部的には判然としない面もある)。また、彼らは、先に述べた理由によりイスラエルを支持する福音派の支持を取り付けることに成功する。このことが、共和党の福音派依存をさらに深めることになる。
アメリカでは、ブッシュの退陣後、ネオコン・グループの社会的影響力は低下したように思われる。変わって影響力を持ち始めたのは、ティー・パーティなど草の根保守運動である。ティー・パーティは変わって登場した民主党のオバマ政権が進める高福祉路線への「反対運動」として立ち上がった。これは、実際は福音主義とリバータリアニズムという二つの思想のキメラ的な運動である。福音主義者は、オバマ政権が彼らの嫌う同性婚や「中絶の自由」を支持しており、また福祉制度を拡充することで人々の生活に政権の手が浸透してくることを嫌った。彼らに組織と資金を提供したのが、リバータリアンのグループ、特に全米有数の大富豪であり、非上場の企業としてはアメリカ2位を誇るコーク・インダストリーズのオーナーであるコーク兄弟(デヴィッドとチャールズ)である(ちなみに非上場の第一は穀物メジャー最大手であるカーギルである)。コーク兄弟は、過激なリバータリアンであり、その思想的支柱であるアイン・ランドの思想の熱心な伝道者である。リバータリアン思想とは単純に言えば「個人の自由は最大限尊重されるべきであり、政府はその邪魔をする存在にすぎないから、小さければ小さいほどよい」ということになる。政策的には、極端な低福祉・低負担を支持することになるので、富裕層からの支持を受けやすい。コーク兄弟も含めたリバータリアンのグループはこうした思想を広めるため、全世界の草の根運動に資金的・人的な支援を行なっている。例えば、ブラジルではブラジル・リブレといった学生運動が組織され、左派である労働者党政権の「腐敗」を告発することで政権崩壊につながったが、これらにもアメリカのこういった団体の資金が入っている。
 これはネオコンと福音派の野合よりも、本来的にはさらに奇妙な状況に思われる。ハフィントンポストによれば デヴィッド・コークは同性婚や中絶の自由を支持している。チャールズ・コークはこうした問題について何も語っていないが、かつて「経済的自由主義と個人的(あるいは性的)自由主義を区別する」という考え方を非難している。その一方で兄弟は、アンチ・チョイス運動(中絶反対運動)に多額の資金を提供してきた。これは、矛盾ではないのだろうか? 結局のところ、コーク兄弟の目的は「政界に影響力を持ちたい」という欲望故のものか、あるいは単に富裕層を代表して「低負担」が望ましいのであり、「個人の自由」などに対して関心はない、ということであろうか。
いずれにしても、福音派教会というのは、アフガン・イラク領戦争を始めとしたアメリカの中東政策において、非常に大きな影響力をもってきたグループであり、現在でもアメリカを戦争と排外主義に突き動かし続けているグループである。こうしたグループの人々が「沖縄駐留の継続を望む」というのはどういうことであるか、という点は、今回の運動に直接かかわった人々の「善意」とは別に、その善意を利用する人々がいることや、そう利用される側も利用され方に一定の理解を持っているであろうことなどを含めて、考慮しておくことが必要である。こうした議論の上で、繰り返しになるが福音派の人々、あるいはペンテコステの人々の価値観をある程度理解し、それを尊重することと、そこから導き出される国際政略に「乗らない」ということの両立が目指されるべきであろう。


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