1. 「財源」って何だ?
軽減税率が話題になっている。10パーセントと8パーセントという違いならあまり意味がないので、そもそも軽減税率をやめたらいいのではないかと思う(やるならば10とゼロにするぐらいでなければ実質的な意味はほぼあるまい)が、それにもまして「新たな財源は子どものいる低所得者世帯への給付を削減することなどでひねり出す案がある」という議論まででてきているのがバカバカしい。
そもそも、軽減税率は、所得が低い層へのサポートを念頭に置いたものであるはずだが、実際は高額所得者も(当然、生鮮食品を食べる訳で)減税を享受するという「副作用」は回避できない。
それに対して、「低所得者世帯への給付」は、通常は(所得を誤摩化していないとして)100パーセント低所得層に行く訳で(「給付」であれば中抜きも起こりにくい)、これを軽減税率の財源にするということは、実質的に低所得者世帯への給付切り下げでしかない訳である。
それ以上に、そもそもこの「財源論」というのを考え直す時期に来ているのではないかという気がする。
最も重要なことは、何れにしても「財源は何か?」と言えば、特別な財源を手当てしない限り(例えば、気候変動対策のために炭素税を設定したり、第三世界の貧困対策のために航空税を設定したり、といったことである)基本的には「財源は一般会計です」ということである。
これが「財源論」になるのは、各省庁が(あるいはその下部組織が)が既得権益として枠を押さえており、新しいことを始めるのはこの枠の取り合いであると認識されるからである。
そうではなくて、「財源の優先順位」はなにか、ということを考えれば、こういったおかしな政策は生じる余地がない。
2.「優先順位」は極めてシンプルである
図は、第三世界の農村などで開発NGOがよく使う種類の図である。文字を読めない層の人でも「優先順位」が簡単に比較できるようになっている。
例えば、水はどの項目と比較しても優先順位が高いので5ポイントである。
それに対して、家畜のための医療は、交通機関、中等教育、飼料より優先順位が高いので3ポイントである。
こういうかたちで比較すれば、ポイントの高い順に(水→医療設備→家畜の医療、の順で)、予算の許す範囲で、設備をつくっていけばいい、ということになる。
一般論として、これを村の成人男性にやらせると、換金作物のための設備など、経済性の高い、言い換えればギャンブル性の高いものに投資したがり、女性や子どもにやらせると、水や医療など、生活のためのベーシックニーズと言えるものを望む、ということが知られている。
そのため、開発援助NGOなどでは、村の女性を組織化して意思決定に係らせることを重視するところが多い。
3. より大規模な「優先順位」問題の例
勿論、近代国家に置ける財政の「優先順位」はより複雑である。
これに、少なくとも都市レベルで取り組んだ例が、ブラジル南部のポルト・アレグレ市で行われた「参加型予算」である。
ポルト・アレグレはブラジルの都市としては貧富の格差が相対的に小さい、裕福な都市であると評価されているが、それでもその経済格差は大きく、貧困層が住むエリアが郊外に大きく広がっている。
参加型予算では、市を六つのブロックにわけ、誰もが参加できる集会で議論を行い、市の予算の「優先順位」を決める。
最終的に予算案をつくり、承認するのは市議会の役割だが、市議会はこの住民参加型会議の結果を尊重することが義務づけられている。
この手法は世界に非常にインパクトをあたえ、ドイツなどを中心に、手法を地域ごとにアレンジしつつ模倣する都市が多数現れた。
ここでも重要なのは、市議会だけでつくられた予算はハイウェイや工業団地と言った経済インフラに偏りがちなのに対して、貧困層が優先順位を決めると医療や学校などに割り振られるということである。
先ほどの、農村のケースで「女性に決めさせると」というのと類似点を見いだせるであろう。
このあたりは、仮に経済的にうまく行った場合でも、その果実は自分のところにまでは届かない、と思っている層(それは「マイノリティ」であることのひとつの特徴であろうと思われる)がどこにいるか、というのをあぶり出している、ということもできる。
財政に関する議論を、財源論から優先順位論に切り替えることで、こういったことも見えてくるであろう。
軽減税率が話題になっている。10パーセントと8パーセントという違いならあまり意味がないので、そもそも軽減税率をやめたらいいのではないかと思う(やるならば10とゼロにするぐらいでなければ実質的な意味はほぼあるまい)が、それにもまして「新たな財源は子どものいる低所得者世帯への給付を削減することなどでひねり出す案がある」という議論まででてきているのがバカバカしい。
そもそも、軽減税率は、所得が低い層へのサポートを念頭に置いたものであるはずだが、実際は高額所得者も(当然、生鮮食品を食べる訳で)減税を享受するという「副作用」は回避できない。
それに対して、「低所得者世帯への給付」は、通常は(所得を誤摩化していないとして)100パーセント低所得層に行く訳で(「給付」であれば中抜きも起こりにくい)、これを軽減税率の財源にするということは、実質的に低所得者世帯への給付切り下げでしかない訳である。
それ以上に、そもそもこの「財源論」というのを考え直す時期に来ているのではないかという気がする。
最も重要なことは、何れにしても「財源は何か?」と言えば、特別な財源を手当てしない限り(例えば、気候変動対策のために炭素税を設定したり、第三世界の貧困対策のために航空税を設定したり、といったことである)基本的には「財源は一般会計です」ということである。
これが「財源論」になるのは、各省庁が(あるいはその下部組織が)が既得権益として枠を押さえており、新しいことを始めるのはこの枠の取り合いであると認識されるからである。
そうではなくて、「財源の優先順位」はなにか、ということを考えれば、こういったおかしな政策は生じる余地がない。
2.「優先順位」は極めてシンプルである
図は、第三世界の農村などで開発NGOがよく使う種類の図である。文字を読めない層の人でも「優先順位」が簡単に比較できるようになっている。
例えば、水はどの項目と比較しても優先順位が高いので5ポイントである。
それに対して、家畜のための医療は、交通機関、中等教育、飼料より優先順位が高いので3ポイントである。
こういうかたちで比較すれば、ポイントの高い順に(水→医療設備→家畜の医療、の順で)、予算の許す範囲で、設備をつくっていけばいい、ということになる。
一般論として、これを村の成人男性にやらせると、換金作物のための設備など、経済性の高い、言い換えればギャンブル性の高いものに投資したがり、女性や子どもにやらせると、水や医療など、生活のためのベーシックニーズと言えるものを望む、ということが知られている。
そのため、開発援助NGOなどでは、村の女性を組織化して意思決定に係らせることを重視するところが多い。
3. より大規模な「優先順位」問題の例
勿論、近代国家に置ける財政の「優先順位」はより複雑である。
これに、少なくとも都市レベルで取り組んだ例が、ブラジル南部のポルト・アレグレ市で行われた「参加型予算」である。
ポルト・アレグレはブラジルの都市としては貧富の格差が相対的に小さい、裕福な都市であると評価されているが、それでもその経済格差は大きく、貧困層が住むエリアが郊外に大きく広がっている。
参加型予算では、市を六つのブロックにわけ、誰もが参加できる集会で議論を行い、市の予算の「優先順位」を決める。
最終的に予算案をつくり、承認するのは市議会の役割だが、市議会はこの住民参加型会議の結果を尊重することが義務づけられている。
この手法は世界に非常にインパクトをあたえ、ドイツなどを中心に、手法を地域ごとにアレンジしつつ模倣する都市が多数現れた。
ここでも重要なのは、市議会だけでつくられた予算はハイウェイや工業団地と言った経済インフラに偏りがちなのに対して、貧困層が優先順位を決めると医療や学校などに割り振られるということである。
先ほどの、農村のケースで「女性に決めさせると」というのと類似点を見いだせるであろう。
このあたりは、仮に経済的にうまく行った場合でも、その果実は自分のところにまでは届かない、と思っている層(それは「マイノリティ」であることのひとつの特徴であろうと思われる)がどこにいるか、というのをあぶり出している、ということもできる。
財政に関する議論を、財源論から優先順位論に切り替えることで、こういったことも見えてくるであろう。