恒久平和ないし永遠平和についての議論で、我々はカントに多くを負っている。
カントは「恒久平和は、空虚な理念ではなく、漸進的に解決されて目標に絶えず接近していく課題である」と考えていた。
カントの議論から二百年以上を経て、我々はこの問題に関して、たいした進歩があるように見えないかもしれない。
しかしながら、議論は着実に重ねられており、それなりの進歩も重ねられている。
例えば第二次世界大戦の処理はそれまでの帝国主義戦争の処理の「失敗」を反映したものだし、世界人権宣言はそこで求められたものの多くを反映している。
また、近年では1998年の国際刑事裁判所の設置があげられるであろう。

近隣諸国の脅威に対応した軍拡は、いわば対処療法のようなものである。
軍拡には、相手も軍拡を持って応じるのであり、両国の軍拡はとどまるところを知らないであろう。
こういった、ポジティヴ・フィードバックのシステムを、文化人類学者グレゴリー・ベイトソンは「中毒」と呼んだ。
軍拡は、文明の生む典型的な中毒症状である。
カントは「恒久平和は、空虚な理念ではなく、漸進的に解決されて目標に絶えず接近していく課題である」と考えていた。
カントの議論から二百年以上を経て、我々はこの問題に関して、たいした進歩があるように見えないかもしれない。
しかしながら、議論は着実に重ねられており、それなりの進歩も重ねられている。
例えば第二次世界大戦の処理はそれまでの帝国主義戦争の処理の「失敗」を反映したものだし、世界人権宣言はそこで求められたものの多くを反映している。
また、近年では1998年の国際刑事裁判所の設置があげられるであろう。
軍拡には、相手も軍拡を持って応じるのであり、両国の軍拡はとどまるところを知らないであろう。
こういった、ポジティヴ・フィードバックのシステムを、文化人類学者グレゴリー・ベイトソンは「中毒」と呼んだ。
軍拡は、文明の生む典型的な中毒症状である。