2017年9月14日木曜日

科研費特設審査領域「高度科学技術社会の新局面」

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今年度の科研費の公募を見ると、特設審査領域として「高度科学技術社会の新局面」という枠組みが提示されている。


 説明によれば以下のようなことらしい。

人類に数多の益をもたらした科学技術の発展は、生態系の破壊や公害等に代表される問題 も引き起こしたが、それらは、従来の社会の基本的な枠組みの範囲内で将来的には克服もし くは回避されうる問題と考えられてきた。ところが現在、驚異的に高度化する科学技術は、 人間そのものを加工、改変する可能性に道を拓き、科学技術をコントロールする理性的存在 としての人間の地位を疑わしいものとしている。これによって社会の基本的な枠組みもまた 揺らぎつつあり、高度科学技術社会は新局面にさしかかろうとしている。


 たとえば脳のメカニズムの解明は、実践的適用と絡みながら、人間の自律や尊厳、あるい は学術にも関わる構想力や創造力、さらには責任、正義、公正といった社会的概念の意味や、 経済的、政治的行動等の再考を促すだろう。生殖技術の開発は不妊治療に大いに貢献したが、 出生前診断、親子関係のない出産、ゲノム編集、デザイナーベビー等の可能性は、家族像や 恋愛、結婚観、ジェンダー観を変化させ、それらに関わる社会的ならびに法的制度の再検討 を求めている。


 高度科学技術によって引き起こされる人間理解や社会の変容は、さまざまな局面で観察さ れる。日常生活や職場への導入が現実化されつつある人工知能は、労働の質とその環境を変 化させるだけでなく、社会階層の構造も大きく変化させることが予想される。情報通信技術 は、既存のメディアの構造を変質させ、経済、政治、社会や国家等のあり方に影響を与えて いる。さらに高度科学技術の影響は、文学、芸術等の文化活動、また教育、スポーツ、医療、 看護、介護等の現場にも波及している。あるいは、スローライフやサステイナビリティ、エコロジー運動、反グローバリズムやナショナリズム、復古主義等も、高度科学技術の発達と 密接に関係している。


 本領域は、高度科学技術社会に生じつつある新局面の現状や課題を明らかにすることによ り、人類の生存にとって不可欠の条件である科学技術と人間および社会との関係を研究の対 象とする。


 元来、科研費というのは「学者の興味関心に基づいて研究テーマが決定され、それを政府は支援する」という立場である。
 こういった研究をボトムアップと呼んだりする。
 逆に、「トップダウン」という場合は、「政府が国策・国益に資すると考えるテーマをある程度選定し、その分野で研究してくれる研究者を探す」という枠組みになる。
 この場合、政府は科学者にとってクライアントの立場になる。
 主に前者の資金は(旧文部省系の)日本学術振興会によって提供され、後者は(旧科学技術庁系の)日本科学技術振興機構によって提供される、ということになっていた。
 しかしながら、実際はこの両者の関係は極めて曖昧であり、政府の資金は(特に1995年の科学技術基本法の施行以降)後者に偏り続けている(少なくとも私にはそう思われる)。

学者は各学問分野ごとに訓練され、一般にはその枠組みの中で思考する。
 そのため、「ボトムアップ」のアイディアはそういった細分化された「学問分野」で整理されることが多い。
 一方、トップダウンの発想というのは、その時々の政治的・経済的・社会的ニーズによって変化するのであり、学問分野を横断する(学際的な)枠組みを取ることが多い。
 従って、トップダウンへの偏りを警戒する、という立場からは(ただでさえ額の少ない)科研費でこういう領域設定が出てくることは歓迎できない、という見方もあろう。

一方で、課題にあげられた領域は、今の政府や政府が前提する(資本主義やグローバル化といった)価値観を疑う視点が必要になってくる領域でもある。
 そこで、「科研費」という枠組みでそういった部分を最大限利用することは、有意義であるかもしれない。

例えば、提示されている説明文では、「高度科学技術社会」と「反グローバル化」との関係が議論されるべきだとされている。
 これは、これまでのSTSの議論では自明であると言えるが、日本政府が提示する補助金の枠組みでこの部分がクローズアップされたのは、おそらく初めてのことである。
 しかも「サステイナビリティ、エコロジー運動」という普通はポジティヴに捉えられる概念と、ナショナリズム、復古主義という(少なくともアカデミックな文脈では通常)ネガティヴに捉えられる概念の中間に置いてある、というのも中々に示唆的といえよう。

近年、例えば英国では労働党の党首にこれまでの(ブレアによってもたらされた)中道の「ニューレイバー」路線から距離を取って原則的な左翼路線を復活させようとするジェレミー・コービンが就任した。
 コービンは、それを党のマニフェストに採用することは見送らざるを得なかったが、かねてから英国の核兵器保有をやめ、そう言った仕事に従事する科学者・技術者を平和的な民生領域の仕事に転換させよう提案をしている。
 これは、(例えば『沈黙の春』で有名なレイチェル・カーソンらと並んで)プレSTSと言うべき科学論者の一人であるマイク・クーリーの思想の再評価でもある(この辺りは「OLD HOPE: 反核、そして科学技術を人間のために」を参照いただきたい)。
 労働党はこれにとどまらず、AIの発達などに対応するために、「所有権のオルタナティヴ・モデル」[PDF]を創り上げるべきだ、と言う提言も発表している。
 提言書は、「AIの発達などで仕事が失われ、格差が拡大する」と言ったことを過剰に恐れる必要はないが、その一方で私的所有と短期的な利益の重視に傾きすぎた現代の社会・経済システムを見直し、(バスク地方のモンドラゴンに代表される)労働者協同組合や地方自治体の役割などを再評価しなければ、そう言った問題は十分に深刻だろう、と述べている。

こう言った、少なくとも60年代以降から活発に行われてきた「科学技術批判」の蓄積の上で、現代の社会を見直し、価値観を問うと言う作業は、日本では諸外国ほどには活発に行われていないように見える。
 一つには、STS的な研究の資金を提供するのが、政府ぐらいであり、また政府の資金提供の仕方が極端に「国策駆動型」に偏っており、政策決定者から見て国策・国益に叶わない批判的な研究を積極的に評価する回路がほとんどない、と言うことに起因するであろう。
 と言うことで、科研費でのこう言った枠組みは、もしかしたら大変貴重な機会になるかも知れない。

なので、応募する研究者、また審査する研究者の皆様には、トップダウンの研究費では出せないような批判的な視点をもたらすような、日本ではこれまで行われていなかったような、(例えば先にあげたカーソンやクーリーの他にも、イヴァン・イリイチやローズ夫妻と言った)批判的議論の蓄積を現代の先端技術によってもたらされるであろう社会に適用し、我々の視点に英国労働党がいうような意味での「オルタナティヴ」をもたらしてくれる研究が採択されるように努めていただけるといいなぁ、と思う。

EinGefangenerMoment / Pixabay