2015年2月12日木曜日

多元的なデモクラシーのための「敵」としてのイスラム国(1) タラル・アサドとシャンタル・ムフを参考に…

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 シャルリー・エブド誌の襲撃事件とISIL/イスラム国による日本人人質殺害事件と、イスラム教原理主義が絡んだ二つの事件が立て続けに起こったことで様々な議論が起きている。
 これまでのところ、いくつか、十分に指摘されていないことがあるように思うので、まとめておく。


1)
 シャルリー・エブド誌の事件で気になったことは、タラル・アサドの紹介が、日本国内はもちろんとして、海外のメディアでもあまりなかったように思うことである。
 (ムスリム系の名前のジャーナリストや若手研究者のものと思われるブログなどで若干紹介されていたのは見かけた)

 サイードの名はかなり専門外の人々にも知られているが、アサドはおそらくさほどではないと思う一方で、どのメディアもコメントを取りに行かないということも考えずらく、ご本人による意図的な沈黙なのかとも思うが、よくわからない。
 ともあれ、ここでアサドの議論を振り返ることは有益であろう。




 シャルリー誌の事件で「世俗主義」対「宗教」あるいは「宗教原理主義」という対立がクローズアップされているが、アサドが主張したことというのは、宗教という枠組み自体がキリスト教社会によって、キリスト教を前提として作られてきたものであり、それをイスラムやほかの宗教に簡単に当てはめることのむずかしい、ということである。

 現在の(世俗主義、民主主義を前提とした)諸先進国では、宗教あるいはコミュナルなものが介入してはいけない公的空間と、個人的な信条の自由が保障される空間に関する区分に関する、歴史的に形成された一定の合意がある。
 これは、生物学者でありすぐれた啓蒙家でもあったグールドが「Nonoverlapping Magisteria」(重複しない教導権)と呼んだものだ。
 国家の側はもちろん、たとえばカトリックや穏健なプロテスタント宗派(自由主義神学と呼ばれる立場)の人々はこういった線引きに対して、完全とは言い難いものの、大枠では了承して行動している。
 一方、福音主義プロテスタントやイスラムにおいて、こういった立場は必ずしもコンセンサスとはなっていない。
 ただし、少なくともイスラムに関しては、このNOM線が、彼らの社会や文化とは無関係に、キリスト教世界の世俗主義と宗教の間できめられたのであり、それを無限定に受け入れろという圧力は、新しい教皇子午線を受け入れろと迫られるようなものである、という面を無視してはならないだろう。
 そこで、そもそも世俗と宗教という分断線そのものが自明のものではなく、我々が寛容で多文化主義的な社会を作り上げるためには、その分断線を揺らがせ、組み替えていく必要がある、ということこそが主張される必要がある。
 アサドは、個人を前提としたリベラルな世俗主義国家ではそれは不可能であり、代案が必要だと考えている。
 その代案とは、それは文化的多元主義をベースにした、多元主義的なデモクラシーということになるだろう。
 もう少し踏み込んでいえば、闘技的デモクラシー(Agonistic Democracy)とか闘技的多元主義という用語を使うこともできる。

 なお、アサドが主張しているのがコノリーの闘技的デモクラシーだという論文はある(※1)が、アサドの『世俗の形成』を読めば、当該の部分が必ずしもコノリーに全面賛成しているわけでもないように読めるので、そう言い切れるか微妙なところではある。一方で、コノリー自身がアサドへの応答(※2)の中でアサドを闘技的デモクラシーの同志であると述べているので、おおざっぱに言えば闘技的デモクラシーという枠組みの中でアサドをとらえることが間違いというわけでもない、ということは言える。

 そこで、世俗主義的リベラリズムを乗り越えるための多文化主義的な闘技的デモクラシーとはいかなるものでありうるか、ということになるのが、ここで一度その論点を離れて、日本の識者、知識人のこの問題に関する議論のあり方について考えたい。

(※1) 高田宏史 2013 「再審される「世俗」と「宗教」」(PDF)
(※2) Connolly, William E. 2005 'Europe: A Minor Tradition'   David Scott、Charles Hirschkind (ed.) "Powers of the Secular Modern: Talal Asad And His Interlocutors "


2)
 個別に細かく検討する余力がないので印象論といわれても仕方がない面はあるが、今回、イスラム国/ISILを過剰にデモナイズする一方で、政権の責任を免罪するような「専門家」がメディアで目立っているように思われる。

 「イスラム国」は確かに、近代民主国家が採用する人権概念から見れば異質な価値観をもって組織を運営しているが、その一方で行動原理は一貫していて、必ずしも無軌道・無秩序な組織というわけではないように見える。
 人質をとり、その命を利用するというのは、例えばアフガニスタンの軍閥や中南米の左翼ゲリラもやっていたことで、それ自体が新しいわけではない。
 「イスラム国」が新しいのは、そのカリフ制復活という主張を除けば、軍閥的な方法論を、インターネットなどを使って越境させ、先進国をそれに巻き込んだということであろう。
 また、ジャーナリストや援助関係者が犠牲になるというのも、これまでなかったわけではなく、たた通常は先進国の出身者は身代金などを狙って命を保たれることが多く、犠牲になるのは現地スタッフということが多いので我々にとってニュースになりづらかったというだけの話であり、特段新しい話ではない。
 ISILが他の組織より(先進国の)人質を殺しがちであるという理由で、これまでの軍閥組織より「野蛮で無秩序だ」と表現されるとしたら、それは単に先進国と第三世界の人間の命の重みの問題であるように思われます。
 (もちろん戦時中の日本を含めた「これまでの国家的、組織的残虐行為にコミットした国家その他の組織同様ISILも非難されるべきだ」という議論であればまったく同意するわけであるが…)

 そして、誘拐事件のさいに重要なことは、「相手の原則を信じること」であり、その原則がどのようなものであるかを読み取るのは専門家の重要な仕事であろう。
 もちろん、交渉相手を「信じること」が共感をいだくこと、親愛の情を感じることではないというのが重要であるが、どうもこの「共感ベースではない理解」というのが一般聴衆の支持を受けないことを恐れるのか、テレビなどでのコメントはISILの無軌道ぶりを強調し、交渉が不可能であることを主張するものが多かったように思われる(あるいは、政権が交渉に失敗することを予見し、あらかじめ言い訳を考えてあげているようにも見える)。

 また、2人を助けようと身代金を払うことは、テロリストに誘拐のインセンティヴを発生させ、200人の命を危険にさらすことである、というような議論も見られた。
 こういった人の命を数の問題(有名な「トロッコ問題」のように)還元することは、統治者目線の過剰な内面化であるようにも見える。
 こういった視点は倫理的にも正当化できないばかりか、功利主義的にも合理性を欠く。
 組織の存続が誘拐からの収入に依存しているようなケースであればともかく、ISILの場合は身代金収入はその膨大な収入源のごく一部であり、また誘拐に関して身代金と殺害ビデオなどの作成の両方を目的としているのであり、ひとりふたりの身代金を払わなかったからといって今後誘拐がなくなるわけでも、組織が弱体化するわけでもないであろう。


 従って、なぜこういった「敢えてする」類の議論が出てくるかについて、カール・シュミットの「敵」に関する議論を思い出す必要があるだろう。
 シュミットにとっては「敵」とは政治が「決断」をくだすために必要なもので、利害というのが経済にとって根本的な要素であるのと同様に、敵というのは政治にとって必須の要素である。
 シュミットにとっては、人道主義にたつと政治というのは決断する能力を失うため、この「敵」を明確にし、決断をすることがリーダーにとって必須の要件である、ということになる。
 このとき「敵」とは、従って、理解不可能な、根源的な他者であり、例えばゲームにおけるライバルのように(あるいは経済学における商売敵のように)、同じルールを共有している相手は「敵」ではないということになる。
 従って、ISILをデモナイズし、その理解し難さについて語るということは、「敵」について語ること自体が目的であるというより、我々自身の政治体制についての言及、すなわち、我々の「リーダー」の態度が人道主義を抑制した、決断主義的なものであるべきだ、と主張していることに他ならない。
 現代日本のメディアに跋扈するシュミットの尻尾たちがこういった構造をどの程度自覚しているかはともかく、その議論にのること自体が、日本を、極めて全時代的な決断主義に導くものである、と指摘することは(例えばサイード的な意味での)「知識人の責務」であろう。
 また、人質の命を助けたければ、我々は誘拐犯とゲームのルールを共有しなければいけないのであり、シュミット的な「敵」から、利害のルールについて一定の相互理解があり、その利害が対立するような敵にならなければいけないわけであり、そういった「共感なき理解」が重要であるということを強調しなければいけないのである。

 イスラム国をISILと言い換えるという問題についても、確かに一般のイスラム教徒の方々の懸念などを考えれば当然であり、その人たちの主張は尊重されるべきである。
 しかし、その一方でISIL(悪いイスラム教徒)と普通のイスラム教徒(よいイスラム教徒)に分けて事足れりとすることも十分ではない。
 たとえばサイードが問題提起したよい植民地現地人としてのエアリエルと悪い現地人としてのキャリバンという区分についての議論を思い出すべきである(もちろん、サイードはキャリバンにもっと積極的な役割を割り振っており、もちろんISILがサイード的な意味でキャリバンである、と主張したいのではない)。
 この時、我々は我々がなぜ「エアリエル」と「キャリバン」を区別し、前者に賞賛を与え、後者を非難する権利があるプロスペローなのかという構造の問題に考えを至らせるべきなのである。



3.
 最初にアサドとコノリーの「闘技的デモクラシー」について述べた。
 しかし、シュミットの「敵」を名指し、エアリエルを使役するプロスペローとしての我々を認識した上で、、ここでは、闘技的デモクラシーが「シュミットと共に、シュミットを超えて」である必要があると述べているシャンタル・ムフの提案について考えるべきである。
 闘技的デモクラシーとは、一言で言えばコンフリクトが存在し、それに取り組み続けることがデモクラシーの要であるという議論である。
 つまり、目標としてすべてのコンフリクトに取り組まれる必要があるが、その一方ですべてのコンフリクトが除去された状態がありうるわけではないし、もしすべてのコンフリクトが取り除かれた社会があるように見えたとしたら、それこそがデモクラシーにとって大問題だである、ということになる。
 そして、ムフはシュミット的な「敵」の存在こそがデモクラシーの泉源であると考えてる。
 しかし、「敵」がデモクラシーにとって必要な要素であるというのは、シュミットが考えたように、「敵」を制圧したり排除したりといった政治的「決断」によってそうなるのではなく、むしろ常に我々がそういった決断を行っているということを反省し、排除してきたものを想起し、それらを取り戻すという行為がデモクラシーの本質であるからだ、ということになるのである。
 つまり、闘技的デモクラシーにおいては、コンフリクトを除去するプロセス、あるいは除去された状況がデモクラシーなのではなく、我々が常にシュミット的な「敵」の存在を名指しすることによって社会的決定を行っており、それによって取りこぼされるものや抑圧されるグループの存在を認識し、決して達成しえない理想の民主状態に向かって不断に前進していくプロセスということになる。
 なので、もちろん我々は「イスラム国」のむき出しの暴力を、(たとえば人質交換という)ゲームのルールを共有する敵であると理解する以上に、我々の理解の及ばないシュミット的な「敵」であると認識する必要があるわけだが、それは同時に「敵」を声高に名指す自陣営のシュミット的言説に含まれたオリエンタリズムに対して分析的、批判的になり、我々自身が「敵」にとってなぜ「敵」でありうるのか、その際になにが「決断」され、その決断によってなにが破壊され、分断され、隠ぺいされたのか、ということこそを論じていく必要があるということである。

 そういったデモクラシーの先でしか、アルカイダ・ネットワークや「イスラム国」、ボコ・ハラムといった原理主義の消滅は達成されえないであろう。

 【「(2) シャルリーはスパルタカスなのか、ローマ市民なのか?」に続く】



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