2015年11月14日土曜日

パリの事件について: 憎悪に憎悪を重ねるのではなく、グローバルな連帯に基づいた対応を

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11月13日夜(日本時間で14日早朝)パリの複数の場所で大規模なテロ事件が同時発生しているという報道がされている。全容が判らないうちから軽々なことはいうべきではないが、これがニューヨークの911のときのようなことにならないか危惧している。ニューヨークの事件では、米ブッシュ政権は犯人であるイスラム教原理主義グループであるアルカイダへの憎悪をあおり、アフガニスタンと、(そしてアルカイダとはほぼ関係のない)イラクとの戦争に突入し、その後遺症としての紛争は未だ続いている。今回のテロ事件も、どの程度直接的にかは判らないが、二つの戦争の結果として中東域で強化された先進国への憎悪が原因になっている可能性も高いであろう。

各国首脳が声明を発表する中、日本政府がほぼ沈黙している(パリの対策本部設置という案内はされた)のも気になるところである。これまでの安部政権の立場としては、他の先進国と協力して対テロ戦争で役割を果たしていくという方向性を打ち出しているのだから、こういうときこそ強いリーダーシップと他の先進国との連帯を表明しなければ行けないはずである(もちろん、私は「そうすべき」だと言っている訳ではない)。しかし、今のところ、そういったポーズすら見られず、即応力や情報処理能力に問題があるのではないかと考えざるを得ない。そういった政権が軍事的にのみ「強い」ことや、「強いことを求める」ことは、民主制に対して大きなリスクになるということを、有権者は考慮する必要があるだろう。

安部政権ばりの軍事力志向ではなく、我々はもはや、テロに対して、「力で押さえつける」ということは不可能なのではないか、ということを念頭において、行動する必要があるだろう。テロとは、第一に、圧倒的な戦力格差があるときに、弱者がとりうる戦略のひとつである。であれば、先進国の軍事力が強化されればされるほど、軍事同盟が排他的に結ばれれば結ばれるほど、そこから阻害された勢力のテロは強まるであろう。これに対して、社会を警察国家化するという対応策はあり、パリなども随所に監視カメラや火器を持った要員が配置されていた。日本よりもよほどテロ対策が進んでいた訳であるが、それでも三桁に上る犠牲者を防げない訳である。
第二に、テロは、実行犯だけではなく、それを支持する「人民の海」が背景にあるだろうことを忘れてはいけない。侵入して来た軍隊に対してゲリラ戦が発生するということは、そこにゲリラ兵がいるということだけではなく、彼らが兵站線として利用できる「人民の海」がそこに存在し、その人民は侵入者の統治的な正統性を認めていない、ということである(ゲリラという言葉が発生したのが、ナポレオンのスペイン侵攻に際してであるというのは示唆的である。国民軍の創設はナポレオンによるものだと言われるが、他国の侵入に対する国民的抵抗もナポレオンがつくったもののひとつである)。そして、今日のように世界中でテロがおこるということは、アメリカを中心とした覇権国家の支配の正統性を認めない「人民の海」が世界中にあまねく存在し始めている、ということを示している。個別のテロ実行犯は捉え、処罰し、あるいは射殺することは可能だが、この「人民の海」は捕らえることも処罰することも不可能なのである。
我々はもはやテロを力で押さえつけることが不可能である、という認識に立つべきである。アメリカ軍で対テロ戦争の要職にあったマイク・フリン退役中将は、「ドローン(無人機)が、テロリストを殺す以上に、テロリスをを作り上げている」と述べた。オバマ政権は前政権との差を強調し、穏健派を演出するために地上軍の投入やそれによるアメリカ人兵士の犠牲を避ける傾向にあるが、その代償として無人機での攻撃を増加させている。しかし、無人機での攻撃は標的を誤認しやすく、子どもを含めた多数の民間人犠牲者が出ている。フリンは、その結果として、例えば子どもを無人機で殺された両親がアルカイダやイスラム国(ISIL)のような組織に身を投じる、ということが増えている、ということを警告しているのである。
911のあと、戦争が起こった。また、先のシャルリー・エブド誌襲撃事件でもフランスのオランド大統領は「言論の自由」や連帯の支持というメッセージとは裏腹に、中東域での軍事行動を強化した。こういった対応は、もはや有効ではないと考えるべきである。
アメリカを含む先進国の圧倒的な「軍事的優位」は、当然のことながら軍事費の圧倒的優位に支えられている。これらの資金を、国連ミレニアム(/持続的)開発目標に提示されているようなプロジェクトに振り返れば、世界の様々な問題は解決できる、と国連や多くのNGOはかねてから声明を出している。我々は、軍事的パワーバランスをさらに不均衡なものにすることではなく、経済、環境、健康といった分野に存在する不平等、不均衡を是正し、第三世界の人々に対する連帯を示すことで、「人民の海」を徐々に狭めていくことで、テロに対抗するのが唯一の、そして Win-Win な解決策である、ということを再確認すべきであろう。

 具体的には、1)先進国内における移民や宗教的マイノリティに対する差別撤廃のためにさらに努力していくこと、2)先にあげたドローンのような、民間人に大きな犠牲者を生じさせたり、現地の生産インフラに壊滅的なダメージを与えることによってのみ成立するような「テロ対策」を速やかに停止すること、3)チュニジアのように世俗化、民主化を推し進めている国家に対しては、債務の帳消しや開発援助の増額(および、これが重要だが、援助の使途についての自発的決定権の強化)といった「報償」を提示すること、といった手段が考えうるであろう。
憎悪に憎悪を重ねるのではなく、グローバルな連帯に基づいた対応を、世界に対して広く求めていきたい。