2019年7月19日金曜日

一般社団法人カセイケン 第25回参議院議員通常選挙 政策アンケートについて

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 第25回参議院議員通常選挙ということで、一般社団法人カセイケンとして各党に政策アンケートを実施し、9党からお答えをいただきました。
結果は以下でご覧ください。

・第25回参議院議員通常選挙 政策アンケート結果 - カセイケン(一般社団法人科学・政策と社会研究室)

 で、それに関して、質問の意図がわかりにくいとのコメントを頂いていますので、質問を作成した主要メンバーの一人として簡単にご説明をさせていただきます。まず、基本方針として、当然のことながら現在の日本の(人文・社会系を含めた)科学者コミュニティの関心事項であろうというものを選んだつもりです。ものによっては、「研究者がこう答えてほしい」という「理想の回答」が明らかなものもありますし(というか、一般論として人件費や研究費が増えることに否定的な研究者はほぼいないでしょう)、一方でコミュニティ内部で論争を呼んだもの、意見が分かれているもの(典型的にはデュアル・ユース)もあります。後者もなるべく含めたかったのですが問題の数を抑えたかったこともありまして、前者が中心になっていると思います。ジェンダー関連の問題がないなど、多々不備はあると思います。
 そういった前提の上で、各党の政策と、科学者コミュニティがどう思うと想定して問いを作成しているか、といったことについて、私の考えを簡単に述べていきます。榎木英介代表理事(の記事はこちら)を含め、他のメンバーには他のメンバーの考え方があるでしょうから、以下はあくまで私見であるということでご了承ください。




一般社団法人カセイケン 第25回参議院議員通常選挙 政策アンケートについて


 問1は、日本の公的研究費全体を増額すべきかというものである。これに関しては全党基本的には増額だが、自民と維新はやや控えめである。ところで、設問にも明示されている通り日本の研究開発費は総額で見れば先進国最高水準だが、公的研究費の割合が少ない。各党とも基本的には「増やす」を選択しているが、自民党と維新はやや控えめである。ただ、実はこれに関しては、日本は企業が研究開発費に多くを費やしていることもあり(これは伝統的な構成である)、必ずしも「増やす」ことだけが問題だと言えないので、この消極性は必ずしも問題ではない。

 より重要なのが問2であるが、これはちょっと設問が失敗ではないかという指摘をいただいた。これに関しては反省したい。ここでカセイケンとして問いたいのは、基礎研究と応用研究の比率である。ただし、何を基礎研究とするかは論者によって大きな差があるので、より明快に定義できる指標があったほうがいいと考えた。日本の公的な科学技術予算とされるものは現在、年間4兆円弱であるが、そのうち大学の運営費や各省庁が執行する研究などを除き、大学や独法などの研究機関でイメージされる「研究費」(試薬や実験器具を買ったり、人を雇ったり)に使われるのは、考え方にもよるが一兆数千万ぐらいである。しかし、その多くは科学技術基本計画等に従い、政府が目的を決めて、それに大学等に所属する研究者がそれに協力するという建前の、トップ・ダウンないしはミッション型(Mission Oriented)の資金である。それに対して、科学技術研究費は個々の科学者が、分野ごとの発展に応じて、基本的にはその時の研究者の内発的な動機で研究する予算に対して、国が人類的な文化振興という目的で助成するものである。これをボトム・アップないし好奇心駆動型(Curiosity Driven)と称する。なお、どちらも研究の実現性に関しては、研究者が申請書を出して、それを専門家を含む審査員が審査して助成を決定するという形で「競争的資金」と言われる。一方で、各国立大学に配分される運営費交付金から、教員の数(や抱えている院生の数など)に応じて均等配分される研究費があって、これは「非競争的」なものであったが、配分法は各国立大学によっており、運営費交付金が削減されている今、ほとんどの大学で存在しないか、わずかである(通常、必要経費、例えば文房具代や授業に使うプリントのコピー代などもここから支出することになるため、「わずか」というのは、普通は「それではとても研究はできない」ということを意味する)。



 …という条件下で、実質的に日本の基礎研究を支えている科研費について、聞いたものであり、質問者の意図としては「応用研究・基礎研究」の比率を考えてもらいたいという意図である。まとめると、図表のようになる。a は現在ほぼ問題にならないので、b と c の関係性を問う、ということである。なお、私が見る限り、日本のほとんどの研究者は基礎研究の比率が低下しすぎていると考えている。これは、もちろん多くの研究者が基礎研究をやりたくて大学に残った(応用研究や開発がやりたいなら企業に行った方が予算も潤沢だし、給料も高い)ということもある。一方で、人類の技術の発展は、あくまで基礎研究→応用研究→開発・実装の順にしか進まない、という認識もある(これを「リニア・モデル」という)。そして、基礎研究の段階では、それが応用に繋がるか誰にもわからないということもある。例えば、アインシュタインは純粋な好奇心から相対性理論を発達させたのであり、当時の科学者で誰一人「相対性理論の産業応用」などということを考えた人はいなかったであろう。しかし、21世紀の現在においては、例えばGPSを正確に稼働させるには相対性理論は必須であり、相対性理論がなければスマートフォンも飛行機の運航も大混乱に陥るだろう。また、20世紀後半からのバイオテクノロジーの産業としての大成長を支えた根幹の技術にPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)があるが、これを可能にした研究は、(DNAを高温下で処理する必要が出てくるため)「イエローストーン国立公園の間欠泉のような高温下でなぜ生きられる微生物がいるのか」という研究から着想を得ている。もちろん間欠泉の微生物の研究者は、自分の研究が巨大な産業の基礎になると思ったり、したいと思って研究していたわけではないだろう。こうしたことから、産業応用が可能であるか否かを考えず、世界に対する知識を深めておくことは、応用研究を盛り立てるという意味でも重要である、と多くの科学者は考えている。
 一方、政府はしばしば予測が立ち、投資に見合う効果のある分野に資金を集中させたがる。もちろん、有権者への説明は必要であるし、全くの基礎研究ばかりというのは現実的ではないので、比率が重要ということになる。また、基礎研究はなるべく多くの科学者の好奇心が重要であり、一箇所に資金を集中させるよりは、なるべく広く浅くばら撒いた方がいい、と多くの科学者は考えているが、政府はこうした考え方はお気に召さないように見える。この対立のどこでバランスを取るべきか、というのが問2の論点である。
 ただ、すでに指摘があったように、設問が悪いため、そこへの回答として読み取れないかもしれない。例えば、図表の a と b, c の間の対立(競争的資金を増やすべきか)を扱った設問にも見える、というご指摘をいただいた。他の設問への回答との生合成を考えると、維新の会の回答はそういう前提であるという理解に基づくかもしれない。(言い訳をしておくと、 a というのはほぼ滅びた存在である、という理解が我々にあって、そこが争点になるとはほとんど想像できなかった、ということである)。

 問3は運営費交付金に関する質問である。これまで、基本的に運営費交付金は減額されてきたが、その使途に関しては政府が介入することには抑制的であった。これは、各大学の学問の自由に関連するからである。ただし、学長裁量経費を増やすように誘導したり、学長をそれまでの学内選挙から、政府による任命という形式に近くなるように変えていくなど、教育の内容に関する政府介入のレベルが徐々に上がってきたということは見逃されるべきではない。そして、交付金がこれ以上減らせないという判断なのか、交付金を大学評価に基づいて増減させるという方針が打ち出された。しかし、これは大学がより政府に従属的になり「学問の自由」が失われるというだけではなく、人件費や設備の更新に計画的にあてていける部分がさらに少なくなるということでもあり、経営上の大きな障害にもなるということで、各大学から反発が起きている。このことについて議論したものであるが、与党(自公)に関しても、これ以上の「評価部分」に関する増額は考えていない(ただし現状を維持する)という方針のようで、これは大学としては安心材料である。一方、維新の会の交付金減額という方針は、一貫していると評価はしたいが、さらに大学の研究・教育能力を削ぐことになるだろうと思っている。

 問4に関しては、研究費全体が圧迫されている今、仮に軍事目的であっても受け入れるべきだという意見と、とにかく軍事研究はいけない、という議論の間で科学者も揺れている。ただ、回答を見る限り、政府としても少なくとも急激にこの部分を増額させていくことは考えていないようである。
 なお、私見では大学は軍事研究とみなせるものに対して抑制的な態度をとるべきであり、またそれは個々の大学で方針を決めるべきだと思っている(学会が決めることがいいかはよくわからない)。というのも、大学が大学である大前提は、その普遍主義である。一方、軍事研究を受け入れると、ある種の秘密が発生する。大学で行われる研究は基本的には公開されるべきものであり、また守秘義務等を伴う契約が発生するとしても、それが人種や国籍をもとに行われることがあってはならない。例えばある教授は、ロシア人やイラン人は「軍事機密を扱うので」受け入れられない、ということがあってはならないのである。現在、国立大学の教員が他の職を兼職する(クロス・アポインティング)ことが可能になったので、大学とは独立に研究室を作って、別の場所でその教授と教授が選んで雇用した学生が、防衛省からの研究を受託する、ということまでは、(研究倫理としてはともかく)大学の権限では防げないし、当面それはありなのではないだろうか。逆に、世界的に公開されることが前提の研究で、どの国からの学生であれ関わって構わないということであれば、特に防衛省が管轄する必要はないわけである。例えば「通信技術におけるセキュリティに関するある研究」がデュアル・ユースであった場合、ある程度経産省と防衛省で要件を付き合わせるという必要はでてくるだろうし、それは政府内部的にやっていただければよいわけであるが、基本的には経産省からの助成ということにすれば研究倫理上の問題はほぼ発生しない(要件を付き合わせた結果、それが防衛省には重要だが、経産省にはほぼ重要ではなく経産省予算として正当化できない、という結論が出た場合は、それはむしろデュアル・ユースではなく、純粋な軍事研究であり、大学研究者が関わるべきところではないだろう)。

 問5に関しては、主要政党は全て「どちらかといえば」という留保つきであっても「公費での研究は人類全体の利益や知識の向上を重視して配分されるべきである」と回答している。これは喜ばしいことであり、ここから科学技術予算に関する議論が出発できるのは、大いに歓迎できる。

 問6に関しては、要するに多くの学者は「競争的であることがある程度は必要だとしても、現状は行きすぎじゃね?」と思っているわけである。それに対してどう考えるかということであるが、大半の政党が少なくとも現状に対して問題意識はあるということが確認できたのは大きな成果だと思っている。自民党の「どちらも重要であり」というのは、無責任な気もするが、正直な感想と受け取っておこう。なお、国民民主党の「テニュア・トラック」に関しては、大学院を出てポスドクぐらいまで務める大量の若手に対して、常勤ポストがあまりに少ない(そして期待されていた企業雇用もほとんどない)という問題であって、テニュア・トラック制は(やっちゃダメということではないが)本質的な回答ではないと思われる。同様に、研究補助員の強化も、今度は補助員の不安定雇用が問題になる。かつて国立大学には「技官」という形で終身雇用の補助員が在籍していたが、本質的にはそういう存在を復活させられるかどうかが問われているであろう。
 維新の会の回答に関しては、もちろん現状でも全てのポストが3年任期な訳ではなく、大学運営に関わるようなポストは任期なしの雇用なわけで(そしてその数が少なくなっているので、その人たちはその人たちで「過労死しそうだ。研究時間がない」とブーブー言っている)、これは「現状維持」という回答に他ならないと思う。


 問7に関しては、質問を作っている側も長年議論してきて名案は思いつかず、正直なところ「我ながら無茶振りな質問だよなぁ」と思いながら書いているところがあるので、内容の評価は別にして、各党それなりに考えていただけているようで、ありがたいと思っている。ここに関しては、一発で解決できるような名案はないので、それぞれ関心を持ってくれた政党に、それぞれの関心に応じて働きかけるなど、息の長い活動が必要なところであろう。

 問8も同様に簡単に選択するのは難しい。例えば雇用の不安定化にも原因があるという意見はあるだろう。それを理由に罪が減じられるべきだとは言わないが、少なくとも「即クビか、バレるまでは生きながらえるか」という選択を突きつけられた時に、人間であれば後者を選んでしまう人がいるのは避け難いのではないか。特に、企業などへの転身が難しい状況があることを考えれば、なおさらである。また、現状では研究倫理の教育負担や調査なども各大学が担う状態だが、そのための予算や人材が増えるわけではなく(国からの支援としては、研究倫理に関するオンライン教材が開発されたぐらいではないか)、それ自体がさらに大学所属の研究者の負担になっているということもある。研究公正局を作ればいいというものでもないが、多少は負担の軽減になるかもしれない。また、そもそも日本社会においてプロフェッショナル意識や公正さ、手続き的正統性の担保といった作業が軽視されている(これはモリカケ問題を考えても明らかであろう)ことを考えれば、もっと根源的な対処が必要である、ということかもしれない。

 問9に関しては、これまで触れてきたような教員の負担の問題、ポストの少なさの問題、そしてそもそも日本の研究能力が低下して国際的なプレゼンスが下がっていることの問題をどう考えるか、ということである。多くの科学者は常勤雇用の教員を増やすことが望ましい、抜本的な解決策だと考えるだろう。国際的な統計を見ると、研究支援職が弱いという指摘にも一定の合理性がある。ただし、これらの支援職が現在、数年の任期で雇用されているという問題もある。しかも、支援職は必ずしも業績評価が明らかではないため、合理的な転職マーケットが出来上がっているかの評価が難しい。この辺りの評価がされるのであれば、事前の策ではあると思うが3は意味がない選択肢ではない。

 何れにしても、
・もうちょっと安定した雇用の研究者を増やすべきだ
・基礎研究が軽視されすぎている。政府が方針を決めた予算ばかりではうまくいかない
・大学の自主性はそれらを担保するために重要である
 というのは、多くの研究者が考えることだと思うが、(維新の会を除く)国政野党はそれに同意してくれているように思われる。
 一方、与党も、これらの点に関して「もしかしてそうかな?」と思っていなくもないだろう、という反応に見える。
 そして、維新の会や幸福実現党が大学に対してより厳しい姿勢をとっているということは、そうした方が一般公衆の支持を受けるだろうと期待してのことかもしれない。
 もちろん、それ自体は悪いことではない。
 差別/ヘイト・スピーチではないという前提の範囲内で、選挙で選択肢が示されることは無条件に良いことであり、あとは有権者がそれを選択するかどうか、という問題である。
 もちろん、「有権者がそれを選択する(/しない)」ようにコミュニティとして、言論活動で努力するということも良いことであり、カセイケンとして政策アンケートを実施しているのはそうした努力の一つ、というつもりである。

 そして、そういう意味では、ボールは政党や政府ではなく、研究者コミュニティの側にあるとも言える。
 つまり、1990年代から一般の人とコミュニケーションをとり、特に彼らが影響を受けるような問題(環境や医療等)に関して「選択に参画してもらう」ということの重要性が世界中で叫ばれるようになり、欧米ではそういった方策がどんどん推進される一方で、まだまだ我が国では研究者コミュニティと一般社会の断絶が大きい、ということかもしれないのである。
 そういう意味では、研究者にとっては「選挙に行く」ことだけでは十分ではなく、それについて大いに周りの人々、特に研究者ではない友人たちと話し合っていただきたいと思っている。

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