2016年11月23日水曜日

アメリカ大統領選挙の「憎悪のトリクル・ダウン」

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トリックル・ダウンというのは「富裕層が経済的に成功すると、その果実が貧困層にも波及し、結果的には社会全体が豊かになる」という論理である。オバマ政権はリーマン・ショック後、アメリカの経済を立て直すことには成功したが、その果実は貧困層には波及しなかった、と非難されることがあり、これが今回、貧困層(特に「ラスト・ベルト」などと呼ばれる、工業化された五大湖周辺州で長く重工業などに従事してきて、伝統的には組合の支持する民主党を支持してきた労働者階層)の一部がトランプに賭けたことが、ヒラリー・クリントンの敗北を招いたと言われている。しかし、トランプが「トリックル・ダウン」させるのは経済的果実ではなく、憎悪である、という議論がある。同じ共和党の重鎮で、2012年には共和党の大統領候補でもあったミット・ロムニーも「憎悪のトリクルダウン」という言葉でトランプを批判している(ただし、選挙終了後ロムニーとトランプは急接近し、国務長官を務めることも噂されている。元々ロムニーはマサチューセッツ州知事時代は中道よりの共和党員として知られ、中絶の権利などにも寛容であったが、大統領選に出馬後は宗教保守派の支持を取り付けるために主張を右傾化したことでも知られ、「定見のない政治家」という評判がある)。



 この「憎悪のトリクルダウン」は残念ながら世界的に広がっているようである。例えば、みなさんご存知、「東京スポーツ」誌は「全米で拡大中の反トランプデモ仕掛け人は20代・韓国人女性」という記事を掲載した。記事は、次のようなものである。

ドナルド・トランプ次期大統領への抗議デモが全米に拡大するなか、「USAトゥデー」紙が「デモにプロ活動家が関与している」と指摘した。
 その“首謀者”として名前を挙げたのが、環境活動家で20代の韓国人女性チョ・ヨンジョン氏。環境NGO団体「350 Action」のメンバーで「脱石炭」「脱原発」を掲げ、表向きは環境問題に取り組んでいるが“正体”はプロのデモ活動家だという。


 そもそもの発端は、トランプ氏当選後に全米で「反トランプ」デモが沸き起こり、それに対してトランプがTwitter で不快感を表明したことによる。Tweet は次のようなものであった。


 つまり、トランプは「メディアにそそのかされたプロフェッショナルな抗議者が抗議活動をしている。これはアンフェアだ」と述べている、ということである。日本でも「プロ市民」という言葉が揶揄的に使われることがあるが、「プロフェッショナルな抗議者」も、お金をもらって(自分の意志や政治主張とは関わりなしに)抗議のための抗議をしている、というような意味の非難であろう。

さて、東スポの記事(おそらく”Trump protesters' resounding message: No national mandate"という記事)はまったくでっち上げというわけではなく、たしかにUSA Today 誌は全米デモを伝えており、その中に韓国系(国籍には特に触れられていないが、文脈的には米国籍だと思われる)のチョ・ヨンジョン氏が登場する。また、記事はチョ氏の職には触れていないが、同時に MoveOn のディレクターであるベン・ウィクラー氏がデモに関与していることも伝えており、MoveOn のような「市民社会組織」が反トランプデモに関与していることを隠してはいない。
 しかし、USA Today 誌はアメリカでは珍しい「全国紙」であり、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストに比べると比較的簡単な文章で書かれていると言われるが、憎悪や関心を煽ることで売るイエロー・ペーパーと呼ばれるジャンルの新聞ではない。この記事の論調も、デモに批判的であるというよりは、むしろ好意的と言っていいものである。例えば、記事の最後はチョ氏の「人々、特に高校生が路上に集まる姿に感銘を受けた。私たちはアメリカの魂と民衆としての我々の未来のために闘っていく」というコメントの紹介でしめている。ここから東スポの言うように「デモにプロ活動家が関与している」といった視点への支持は読み取り難い。

しかし、この記事に一部の右派が噛み付いた。例えば”Anti-Trump Protests: Proof Of Professional Activist Involvement | Zero Hedge”という記事が ZeroHedge.com という(おそらく金融系ニュースを主眼とする)サイトに掲載された。この中で、チョ氏が 350 action という環境保護運動のスタッフであることが指摘されており、「トランプの言うように、そういったプロの(そのことで対価を得ている)活動家が主体になっている」と主張しているわけである。
 ただし、こういったサイトでもチョ氏が「韓国のエージェントであり、アメリカ合衆国ではなく韓国の国益のために活動している」などと主張しているわけではない。また、チョ氏はあくまで一例であり、全米で続発するデモの「首謀者」などと名指している記事は見当たらない。

ところが、これが東スポの記事になると、匿名の「韓国事情に詳しいライター」を登場させて、あたかもこの女性が韓国政府の命令で、韓国の利害のために動いているように、次のように証言させている。

韓国事情に詳しいライターは「表向きは石炭エネルギーへの回帰をにおわせるトランプ氏への抗議ですが、韓国にとって都合が悪いのは、やはり移民の問題です」と話す。

韓国最大の“裏輸出産業”として売春婦が挙げられる。日本国内でも路上で客引きする韓国人女性を見かけるが、それは米国でも同じ。下は10代、上は70代の“おばあちゃん”まで、収入を得るために韓国から“輸出”されている。

「米国では『売春目的で働く外国人女性の4人に1人が韓国人』といわれる。トランプ政権下になれば、そうした人たちも不法移民とみなされ、強制送還される可能性がある。これをやられて困るのが韓国政府。

まったく根拠が示されない(なにしろ、そんな議論は東スポが参照しているーと主張しているー米国からのソースにまったく存在しない)妄想、妄言のたぐいであるとしか言いようがない。また、その動機として「違法な売春のために不法な移民」という図を示しているのもフェミニズム的観点から大きな問題があるが、そこまで論じていると長くなるのでここでは置こう。

ちなみに、チョ氏がメンバーだと指摘されている 350 action はアメリカを代表する環境活動家であり、バーニー・サンダース上院議員のブレーンでもあるビル・マッキベンらが設立している組織である。こういう人物に「表向きは石炭エネルギー」を問題にしているが、実は貴方、韓国の利益のために活動しているでしょ、などといえば訴訟モノだと思うが、日本語で書いている分には届かないと高をくくっているのであろう。

USA Today に紹介されたコメントを見ればチョ氏はアメリカ市民権を有していると思われるが、そうでないこともありえないわけではない。昨今は、こういった社会運動は極めて多国籍的に組織されている。同じマッキベン氏の主催する 350.org のスタッフ紹介ページを見ればそのあたりは自明であろう(ちなみに 350 は二酸化炭素濃度を 350 ppm まで下げることを目標にしましょう、という意味であり、気候問題の運動体としてはありがちな名前である)。こういった活動家は、世界各国でキャンペーンを行っており、例えばメンバーが中国に行けば中国政府に対するデモ活動に加わるであろう。地球上の人類が共有すべき目標を活動の目的におき、グローバルに活動する運動がある、ということから日本人の目をそらす、というのも好ましいことではないわけである。

いずれにしても、ロムニーのいう「憎悪のトリクルダウン」は極めて示唆的な言葉である。アメリカ大統領が憎悪の切片を示せば、それだけでニュースバリューがあるのであり、それに適当な情報を付け加えていくことで(それにしても東スポのは酷いが)憎悪の連鎖は広がっていく。BBCニュースによれば、英オックスフォード辞書は「ポスト真実(post-truth)」を「今年の言葉」に選んだ。「オックスフォード辞書によるとこの単語は、客観的事実よりも感情的な訴えかけの方が世論形成に大きく影響する状況を示す形容詞」であるという。フェイスブックなどのSNSでは大手メディアの(ファクトチェックされた)情報よりも、バイラルメディアによる真偽は疑わしいが感情に訴えかける情報のほうがシェアされ、それが選挙戦にも影響を与えたという議論もある。(例えば「トランプ大統領を生み出したのはフェイスブックか? それともメディアか? 」などを参照)

こうしたことにどう対抗していくか、というのは極めて重大な問題となろう。

「東スポ」はもちろん信頼性の高いメディアであると思われてはいないと思うが、「楽しいホラ」で読者を楽しませてくれるメディア、という評価が一般的なものであろうと思う。憎悪の扇動に頼らず、多くの人が楽しめる記事を心がけてほしいものである。

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