2013年10月2日水曜日

声の不在という問題について: パキスタン南西部バルチスタン州地震に思う

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 パキスタン南西部バルチスタン州(バロチスタン州)で今月24日に起きたマグニチュード7.7の地震は、遠隔地でもあり救助が難航していると伝えられている。
 バローチの人々はペルシャ語系の言葉をしゃべる少数民族で、パキスタンからの自治や分離独立を求める運動も盛んな地域である。
 CNNの報道では、政府の救援ヘリに対してそういった分離独立勢力からのものと思われるロケット弾による攻撃などもあり、そういった状況がさらに実態把握や救助を困難にしているらしい。



World Social Forum 2006 (Karachi, Pakistan)

 実は、2006年にパキスタンの商都カラチで行われた世界社会フォーラムに行ったとき、このバローチの人々にあっている。
 カラチの社会フォーラムは、軍政の続くパキスタンで、カラチ市政府の公認で行われたイベントで、その中では左派グループや組合による政策的な議論のためのイベントだけでなく、秘密警察に息子が連れ去られたという家族の抗議運動や、分離独立や自治などを要求する国内少数民族グループ等が様々な形のアピールを繰り広げるなど、一種の治外法権空間が形成されていた。
 もちろん、参加した外国人が大挙した後に弾圧はあらためて強化されるので、社会フォーラム終了後は国内外でそれに対抗するため誰かが奔走するというのは何時もの話で、この時も同じような状況だったと記憶する。

 今回の震災の記事でも、バロチスタンはイスラム原理主義系の運動が強いことが強調されているが、社会フォーラムに来ていたバロチスタンの若者は「我々の土地はイスラム原理主義の巣窟だと言われるが、単に Miserably Backwad なだけだ。是非実態を見に来て欲しい」と述べていた。
 因みに彼の村に英国のNGOであるアクションエイドの援助が入っていて、その資金の一部に「外部との交流」みたいな名目の予算があるらしく、「来るのであればカラチからの飛行機代は出せる」と言われた。
 少しでも住民の生活のために、という観点からは余計なお金の使い方だが、村の人々と外部の人々の視野を広げるためには面白い仕組みだと思う。
 この時は、社会フォーラム会期終了後すぐにインドで調査のアポイントメントがあったので断念したが、今考えると行っておけばなんとかして良かったと思う。

 この時他の人に聞いた話だと(古い記憶なので確かではないが)、バロチスタンの分離独立系運動は大きなものだけでも四派あり、うち二つがイスラム原理主義系、二つが左派系であったらしい。社会フォーラムに来ている彼は、当然ながら左派系の団体に属していたのだと思われる。
 ちなみに、地震があったのは Balochistan で、ペルシャ語系の言葉をしゃべる人々。パキスタン北部のヒマラヤ地帯には Baltistan もあって、ここはチベット系の人々が分離運動をしている。
 彼らも、カラチなどで学ぶ学生たちを中心に、社会フォーラムに参加していた。

 こういう話が重要なのは、基本的にバロチスタンのような僻地はこういった災害のときでしか話題にならないし、そういったときですら多くの場合は「イスラム原理主義の巣窟」といったイメージで語られるからである。
 しかし、実際はイスラム主義が強い地域でも世俗主義勢力は一定存在しているし、彼らは温暖化対策の促進、債務の帳消し、先進国企業による知的所有権の独占の否定、地域住民の利益にならない大規模開発の見直しといった、西欧的視点から見ても十分に合理的な提言をしていることが多い、と私は思っている(そして、重要な点はそういった主張は南北対立を反映して、南の諸国を通じて比較的共通している)。
 こういった運動もあることを知ればバローチの青年が主張したような「イスラム原理主義の巣窟」といったステレオタイプな視点も多少は緩和されるかも知れないが、そういった「第三世界の住民によるややこしい政策提言」は大半の場合、日本を含めた先進国のマスメディアに載ることはない(日本では特に少ないと言っていいかもしれない)。
 そういった地域に関心が向くときは、(1)災害や飢餓などに苦しむ無垢で受け身の人々としてか、(2)西欧的価値観からは理解できない非合理な信念体型を持つ人々としてか、(3)あるいは主体をもった人などそこにいないように、単に資源採掘場としての「南」であるか、である。

 例えば東京財団の「バルチスタンの重要性と危険性」という記事はその典型的なものであり、ここではバロチスタンの重要性は天然資源や地政学的に重要なグワダール港によるのであり、危険性とは(日本に敵対的な)中国と親密なパキスタンの政権だったり、あるいは中国とアメリカ等との抗争の結果出てくるものとしての自治ないし独立要求である。
 ここには、ひとりのバローチ人も、またその主張もでてきはしない。

 一方、九〇年代以降のカルチュラル・スタディーズはこういった地政学的認識における「再植民地化」を批判したが、では具体的に「現地の声」を拾うかというプログラムについては、あまり熱心に構築を試みたとは言い難いであろう。
 欧米ではNGOがそういう役割を担う(それによってメディアも多少は報道を促される)わけだが、日本においてはそうした社会的役割を担うセクターは実質的に欠如している。
 こうした中で、第三世界に対する我々のまなざしは益々彼らを「再植民地化」することにならざるをえない。
 こうした問題は、アカデミズムに自足したカルスタのお題目としてだけではなく、もう少し社会に実装された運動プログラムとして再考される必要があるのではないか。


続き「声の不在という問題について 2: スピヴァクとヴァンダナ・シヴァのあいだ」
 

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