日本のグリーンピースが「じつは原子炉メーカーが嫌がるインドへの原発輸出」というブログ記事を公表しています。
その中で
これは勿論事実ではあるが、一方でそういった法律をめぐる攻防は激しく行われており、インドのグリーンピースもその中で重要な役割を担っている。
この件について、インドのグリーンピースが "Next Bhopal would be DAE’s fault"(次のボパールは原子力エネルギー省の過失になるだろう)という記事を発表しており、興味深いので訳出してみた。
従位立法ないし委任立法とは、「立法府から委任された立法権を行使すること」(Wikipedia) であり、外国企業に配慮したインド政府が、原子力責任法を骨抜きにすることを試み(もちろん背後にはこれら外国企業のロビイングなどもあるのだろう)、それに対して立法府の委員会が「立法の趣旨に反する委任立法を行うことは正統性を欠く」と警告を発しているわけである。
少なくともある一面では、日本より三権分立がよく機能していると言えそうである。
もちろん、こういった形で三権分立が機能するためには、メディアや(グリーンピースのような)市民社会組織等、政治機構外の圧力が欠かせない。
そういう意味では、インドはしばしば「NGO大国」と称されるように、これらの組織が(少なくとも第三世界としては)よく機能している。
「国内法に合致しない一切の国際条約は無効である」に関しては、日本の常識としては国際条約は国内法に優先する(憲法に次ぐ優先順位を与えられる)ということであると思うので、このあたりがインドではどうなのか、ということであるが…。
ただ、一つには、国際条約というのは1980年代ごろまでは、世界人権宣言に代表される「普遍的価値」を規定したもの、その規定を体現するためのコンセンサス、あるいは戦争当事者国間の平和協定といったものが主流であったのに対して、近年は自由貿易協定のような形のものが急速に増えてきている。
その場合は、以前のタイプより「経済的利害の調整」や「経済行為の透明性等の確保」といった、よりある種の「私益」のための国際条約という側面が強くなってくるわけで、国際条約と言えば公益性が高かった時代と同様の議論でいいのか、という見直しは必要な時期なのかもしれない。
なお、ここで言及されている「ボパール」はマディヤ・プラデシュ州の都市ボパールで、1984年に米ユニオン・カーバイドのインド子会社の殺虫剤工場から猛毒のイソシアン酸メチル・ガスが流出した事故のことである。
この事故では(犠牲者の多くが比較的貧しい地区の住人であったこともあり)統計的に不明な点も多いが、少なめに見積もっても三千人が命を落としたとされ、史上最大の産業事故であると考えられている。
この事故の責任追及は、インド国内の政権交代などにも翻弄されるが、当時の最高責任者であったウォーレン・アンダーソンの引き渡しをアメリカに拒否されるなど、インド側からは大きく不満の残るものとなった。
ボパールの件でインド側の怒りをかき立てた原因の一つに、ボパールの工場では、ユニオン・カーバイド社が米国内に持っていた同じ種類の工場に比べて、明らかに低い安全管理基準で運営されていたことである(しかも、ユ社の社内に設置された操業安全管理チームはこのことを指摘し、改善する勧告を事故の二年前に出していたことも判明している)。
こういったことはもちろん現在でも十分に起こりうるし、そういうことが起こるのではないかとインド側が先進国企業に対して不信感を持つのは、極めて当然のことであろう。
その中で
実は、インドには原発事故の際、原子炉メーカーにも責任を問える法律が存在する。これは、インドで1984年に起きた史上最悪の産業事故であるボパール化学工場有毒ガス漏出事故の経験から、「汚染者負担の原則」を原子力にも取り入れたものだ。
(中略)
ようするに、原子炉メーカーは、事故の責任を問われない国に原発を輸出するのはおいしいビジネスだと考えるが、リスクを問われる可能性がある国では及び腰になるのだ。彼ら自身も、原発は安全だと思っていない証拠だ。と、説明されている。
これは勿論事実ではあるが、一方でそういった法律をめぐる攻防は激しく行われており、インドのグリーンピースもその中で重要な役割を担っている。
この件について、インドのグリーンピースが "Next Bhopal would be DAE’s fault"(次のボパールは原子力エネルギー省の過失になるだろう)という記事を発表しており、興味深いので訳出してみた。
次のボパールは原子力エネルギー省の過失になるだろう
原子力エネルギー省は、原子力責任法の規則を議会の常任委員会の勧告に従って改正すべきである、と活動家は要求している。
プレスリリース 2012年12月3日
ニューデリー/ムンバイ/チェンナイ 2012年12月3日
ボパールの悲劇から28年目の記念日に発効された意見書の中で、グリーンピースは原子力エネルギー省がボパールの災禍のさいの誤った対処をふたたび繰り返すことになる過ちを犯している、と警告している。この環境監視団体は、原子力エネルギー省が、原子力責任法の規則を従位立法に関する常任委員会の勧告に従って改正することを要求している。
グリーンピース原子力エネルギー担当のカルナ・ライナによれば「ボパール・ガス事故に責任のある企業はその責任を逃れることに成功している。何故なら、彼らに責任を課す強力な法律が欠けていたからです。原子力責任法のサプライヤー責任条項を薄めることは、ボパールを繰り返すことに帰結するでしょう」と述べた。原子力エネルギー省によって起草され、政府によって公告されたルールは、原子力責任法のサプライヤー責任条項を薄めてしまうと批判された。
従位立法に関する常任委員会によって前回の下院に提出された報告書は「委任立法によるルールは、法の実質的な規定と整合的であるべきであり、法の下で想定されていない限定や過剰を含むものであってはならない」と述べている。この報告書は、原子力エネルギー省を、その法の規制をまとめるに際しての「やる気の無さ」を厳しく批判している。元インド法律長官であるソリ・ソラブジーもそれに先立ち彼の見解を述べており、これらのルールが「法の権限を越えている」と述べている。
「卓越したな法律の専門家や議会委員会の見解にも係わらず、原子力エネルギー省やその他の原子力エスタブリッシュメントはルールの見直しに消極的です。議会民主主義においては、行政は議会の常任委員会が示した懸念を握りつぶすしてはならないのです」とライナ氏は述べている。
去年8月、マンモーハン・シン博士(訳者注:インド首相)はサプライヤー責任を放棄する権限を各国に与えている国際条約を、国内法が上書きできるのか、という重大な問題を提起した。インド法律長官G.E.ヴァハナヴァティ氏はシン博士の疑問に答えなかったが、最高裁は国内法に合致しない一切の国際条約は無効であるという見解を示している。
グリーンピースは原子力エネルギー省が下院の従位立法に関する常任委員会が示した勧告を実施し、ルールを修正することを要求する。
従位立法ないし委任立法とは、「立法府から委任された立法権を行使すること」(Wikipedia) であり、外国企業に配慮したインド政府が、原子力責任法を骨抜きにすることを試み(もちろん背後にはこれら外国企業のロビイングなどもあるのだろう)、それに対して立法府の委員会が「立法の趣旨に反する委任立法を行うことは正統性を欠く」と警告を発しているわけである。
少なくともある一面では、日本より三権分立がよく機能していると言えそうである。
もちろん、こういった形で三権分立が機能するためには、メディアや(グリーンピースのような)市民社会組織等、政治機構外の圧力が欠かせない。
そういう意味では、インドはしばしば「NGO大国」と称されるように、これらの組織が(少なくとも第三世界としては)よく機能している。
「国内法に合致しない一切の国際条約は無効である」に関しては、日本の常識としては国際条約は国内法に優先する(憲法に次ぐ優先順位を与えられる)ということであると思うので、このあたりがインドではどうなのか、ということであるが…。
ただ、一つには、国際条約というのは1980年代ごろまでは、世界人権宣言に代表される「普遍的価値」を規定したもの、その規定を体現するためのコンセンサス、あるいは戦争当事者国間の平和協定といったものが主流であったのに対して、近年は自由貿易協定のような形のものが急速に増えてきている。
その場合は、以前のタイプより「経済的利害の調整」や「経済行為の透明性等の確保」といった、よりある種の「私益」のための国際条約という側面が強くなってくるわけで、国際条約と言えば公益性が高かった時代と同様の議論でいいのか、という見直しは必要な時期なのかもしれない。
なお、ここで言及されている「ボパール」はマディヤ・プラデシュ州の都市ボパールで、1984年に米ユニオン・カーバイドのインド子会社の殺虫剤工場から猛毒のイソシアン酸メチル・ガスが流出した事故のことである。
この事故では(犠牲者の多くが比較的貧しい地区の住人であったこともあり)統計的に不明な点も多いが、少なめに見積もっても三千人が命を落としたとされ、史上最大の産業事故であると考えられている。
この事故の責任追及は、インド国内の政権交代などにも翻弄されるが、当時の最高責任者であったウォーレン・アンダーソンの引き渡しをアメリカに拒否されるなど、インド側からは大きく不満の残るものとなった。
ボパールの件でインド側の怒りをかき立てた原因の一つに、ボパールの工場では、ユニオン・カーバイド社が米国内に持っていた同じ種類の工場に比べて、明らかに低い安全管理基準で運営されていたことである(しかも、ユ社の社内に設置された操業安全管理チームはこのことを指摘し、改善する勧告を事故の二年前に出していたことも判明している)。
こういったことはもちろん現在でも十分に起こりうるし、そういうことが起こるのではないかとインド側が先進国企業に対して不信感を持つのは、極めて当然のことであろう。
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