2021年7月21日水曜日

「性の多様性」に関する問題について: スポーツとトランスジェンダーの問題から考えてみる

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Clivage-de-landrogyne

 



 オリンピックでは、トランスジェンダーのアスリートの出場をめぐって議論になっている。この選手は、「男性ホルモンのテストステロン値が12カ月間にわたり一定以下なら、女子として競技することを認める」というガイドラインの初の適用事例になるはずである。近年、男性と女性の境界線は揺らいでおり、その過程でトランスジェンダーに対する風当たりは強くなっているように見える。アメリカでは、テストステロン値に関する国際的な規定とは別に、共和党の主導によってトランスジェンダーの選手の公的なスポーツ大会への出場を規制する法律が広がっている。アスリートは出生児に女性であったという証明や、遺伝子検査を課されることになる。これらの措置は、(1)倫理的に妥当だろうか? また、(2)実際問題として可能だろうか、ということを考えてみたい。男性と女性がなぜ別れているのか、ということは簡単に答えられる問いではないが、少なくとも「スポーツ大会を公平に運営するため」ではない。この公平さと性やジェンダーの特性が、整合的なものとは限らないが、このことは、あまり認識されていないだろう。