2019年11月2日土曜日
2019年7月20日土曜日
(包摂的)ポピュリズムが成功する可能性はあるか?
1. なぜ「マジョリティのヘテロ男性」は差別され得ないのか?
文化人類学やカルチュラル・スタディーズは"差別というのは、基本的に「コミュニティの境界確定」のためにある"と論じてきた。
自然界は通常、曖昧なものである。
例えば、大人と子どもを考えてみよう。
村の秩序は、たとえば大人になれば村の方針を決める寄合に参加できる、酒が飲める、結婚ができる、と行った「権利」を「大人」に付与するであろう。
一方、昆虫の類ではない人類に、大人と子どもの境界線が自然に与えられるわけではない。
大人であるかどうかは、年齢であったり、慎重であったり、第二次性徴があったかどうかだったり、あるいは「戦に出る」能力と行ったなんらかの能力であったりで決められるだろう。
現代社会であれば、法律は通常年齢を大人と子どもの境目を決める手段として選び、特に誰が何かを宣言しなくても、法律は全ての個人を粛々と大人に分類していくだろう。
我々にはある日突然、投票のための書類が送りつけられたり、犯罪を犯した時の罰則のルールが変わったりするわけである。
2019年7月19日金曜日
一般社団法人カセイケン 第25回参議院議員通常選挙 政策アンケートについて
第25回参議院議員通常選挙ということで、一般社団法人カセイケンとして各党に政策アンケートを実施し、9党からお答えをいただきました。
結果は以下でご覧ください。
・第25回参議院議員通常選挙 政策アンケート結果 - カセイケン(一般社団法人科学・政策と社会研究室)
で、それに関して、質問の意図がわかりにくいとのコメントを頂いていますので、質問を作成した主要メンバーの一人として簡単にご説明をさせていただきます。まず、基本方針として、当然のことながら現在の日本の(人文・社会系を含めた)科学者コミュニティの関心事項であろうというものを選んだつもりです。ものによっては、「研究者がこう答えてほしい」という「理想の回答」が明らかなものもありますし(というか、一般論として人件費や研究費が増えることに否定的な研究者はほぼいないでしょう)、一方でコミュニティ内部で論争を呼んだもの、意見が分かれているもの(典型的にはデュアル・ユース)もあります。後者もなるべく含めたかったのですが問題の数を抑えたかったこともありまして、前者が中心になっていると思います。ジェンダー関連の問題がないなど、多々不備はあると思います。
そういった前提の上で、各党の政策と、科学者コミュニティがどう思うと想定して問いを作成しているか、といったことについて、私の考えを簡単に述べていきます。榎木英介代表理事(の記事はこちら)を含め、他のメンバーには他のメンバーの考え方があるでしょうから、以下はあくまで私見であるということでご了承ください。
結果は以下でご覧ください。
・第25回参議院議員通常選挙 政策アンケート結果 - カセイケン(一般社団法人科学・政策と社会研究室)
で、それに関して、質問の意図がわかりにくいとのコメントを頂いていますので、質問を作成した主要メンバーの一人として簡単にご説明をさせていただきます。まず、基本方針として、当然のことながら現在の日本の(人文・社会系を含めた)科学者コミュニティの関心事項であろうというものを選んだつもりです。ものによっては、「研究者がこう答えてほしい」という「理想の回答」が明らかなものもありますし(というか、一般論として人件費や研究費が増えることに否定的な研究者はほぼいないでしょう)、一方でコミュニティ内部で論争を呼んだもの、意見が分かれているもの(典型的にはデュアル・ユース)もあります。後者もなるべく含めたかったのですが問題の数を抑えたかったこともありまして、前者が中心になっていると思います。ジェンダー関連の問題がないなど、多々不備はあると思います。
そういった前提の上で、各党の政策と、科学者コミュニティがどう思うと想定して問いを作成しているか、といったことについて、私の考えを簡単に述べていきます。榎木英介代表理事(の記事はこちら)を含め、他のメンバーには他のメンバーの考え方があるでしょうから、以下はあくまで私見であるということでご了承ください。
2019年5月15日水曜日
なぜ人文・社会系博士を増やさないといけないと考えられたか、について
"人文諸学の再興(と、多少はそこで食っていけるはずの人々)のために"の続き、的な。。
もう一つ、博士号取得者を増やすという直接の動機がバイオを中心とした「実用性の
高い」分野での国際競争力を増す、ということであったのは間違いないが、決して文系諸分野では増やさなくていいということだったわけではない。
現在、社会は高度に複雑化しており、IT化などに応じて発生する様々な社会問題もある。もちろん、気候変動などの環境問題は深刻であり、これらは一義的には「科学」の問題だが、対応するためには法律や倫理、経済の問題を考慮しなくていいわけではない。要するに、様々な知識が専門化してきているわけである。
2019年4月30日火曜日
立憲民主党の参院選公約に関するアンケート #これからの日本どうしたい?
立憲民主党が製作に関するアンケートを実施しています。
【#これからの日本どうしたい ?】— 立憲民主党🏳️🌈 (@CDP2017) April 25, 2019
立憲民主党の参院選公約「立憲ビジョン2019」に向けたアンケートのお願いです🙏これまでタウンミーティングやパートナーズ向けアンケートなどで公約を作り上げてきました。今回はさらに広くみなさんの意見をお聞きしたいです!
👉 https://t.co/Wz60K51ATx pic.twitter.com/QPQzyBPfJ9
とりあえず、自由記述欄は以下のように回答して見ました。もうちょっと欄が続いたら参加型デモクラシーの話("三つのデモクラシー: フェルバー『全てを変える。共有材のための経済学を創る』から" に書いたような…)にも言及したかったところですが…。
「お互いに支え合う」では責任の所在が不明確なので、「健康で文化的な最低限の生活については万人に対して政府が責任を持つ」といってほしい。
経済の再生のためには、ピケティらも述べているようにやせ細った公的セクターを再建して、そこでの需要を増やす必要があるだろう。そのために、少なくとも小泉改革以前にまで公務員数を戻すこと、特に「官製ワーキングプア」と呼ばれる人々を直接雇用するといった形で生活の向上を目指すべき。
また、民間の最低賃金を大幅にあげ、インフレに備えて最低基礎年金を設定するといったことも景気対策に有効であろう。
その際、低賃金に依存した企業は潰し、より高収益な産業に人材を集中させることを促すべきであり、そのためには「企業を潰しやすく」する政策が必要であろう(例えば中小企業の経営者一族が個人資産を担保に入れているようなケースでは、銀行に放棄を求めるなど…)。
これらの政策の財源に関しては埋蔵金やMMTといった論拠に安易に飛びつかず、「あるところから税をとって、ないところに分配するのが政府の役割である」と表明してほしい。
ただ、過渡期的には財政均衡にこだわらず「反緊縮」を基調とすべきである。
2019年4月21日日曜日
人文諸学の再興(と、多少はそこで食っていけるはずの人々)のために
高学歴ワーキングプアーという言葉はすっかり定着したが、そういった状況にある若手人文系研究者の自殺事件が続いたことにより注目されている。先日、朝日新聞に掲載された記事には、友人であり、一般社団法人カセイケンでご一緒している榎木英介氏のコメントが掲載されていた("「博士漂流」問題、職に対して人募集の仕組みを" ※こちらはデジタル版のみの内容も含んでいる)。榎木氏は日本における研究者のキャリアパス問題で長年活動を続けてきており、近年朝日新聞のような「主要メディア」にも意見を求められるようになったことは、私としても大変ありがたいと思っている。ただ、一方では、朝日新聞でのコメントも基本的に「理工系(特に90年代後半から大量生産されるようになったバイオ系)の研究者」の視点かなと思う面はあり、そこで多少違和感を感じる部分も否定できない。ここで、人文・社会系の研究者にとってのキャリア問題について、少し別の切り口から整理してみたい。
ここで「人文・社会系」と言った場合は、いわゆる人文学(哲学、歴史、文学等)と、ソフト社会科学と呼ばれる社会学や文化人類学と言った分野を想定している。経済学や心理学など、人文・社会系の中でも社会での応用性が高い分野に関しては、ここで述べるようなことは全く関係ないとは言わないが、多少別の整理が必要であるように思う。
ここで「人文・社会系」と言った場合は、いわゆる人文学(哲学、歴史、文学等)と、ソフト社会科学と呼ばれる社会学や文化人類学と言った分野を想定している。経済学や心理学など、人文・社会系の中でも社会での応用性が高い分野に関しては、ここで述べるようなことは全く関係ないとは言わないが、多少別の整理が必要であるように思う。
2019年4月12日金曜日
メモ:みんなトロッコ問題を誤解している。
神なき時代の人間の倫理は、大抵の場合、ベンサム的な功利主義とカント的な義務論の二つの原理のどちらかに基づいていて、現実の人間はその二つに、自分に有利かどうかや常識的・文化的な臆見を適当に混ぜ合わせたもので倫理的な判断をしている。
ところが、ある種の状況を想定すると、功利主義も義務論もバグって適切な答え(と思われるもの)を出してくれない。
(あるいは、著しく直感に反した回答が出てくる)
その事例として使われるのがトロッコ問題。
だから、その限界も踏まえた上できちんと二つの哲学原則を運用できるようにならんといけなくて、そのためには哲学史をきちんと勉強する必要があるよね、と言う前振りに使われる。
一種のパラドクスであるわけだから、トロッコ問題に答えは出ないし、答えが出るかも、と思っているうちは哲学の勉強が足らない、と言うことになる。
ところが、ある種の状況を想定すると、功利主義も義務論もバグって適切な答え(と思われるもの)を出してくれない。
(あるいは、著しく直感に反した回答が出てくる)
その事例として使われるのがトロッコ問題。
だから、その限界も踏まえた上できちんと二つの哲学原則を運用できるようにならんといけなくて、そのためには哲学史をきちんと勉強する必要があるよね、と言う前振りに使われる。
一種のパラドクスであるわけだから、トロッコ問題に答えは出ないし、答えが出るかも、と思っているうちは哲学の勉強が足らない、と言うことになる。
2019年4月4日木曜日
野党とは何か。あるいは、民主国家はどのような「政党」を持つべきか。
日本財団が発表している「18歳意識調査」第12回 テーマ:国会改革について、という報告書は、我が国の若者の「政治」に対する理解についての、なかなか深刻な問題を表しているように思う。ちゃんと精査したわけではないが、一読しての感想として 1)とにかく、意見の違いが顕在化するのが落ち着かない。2)「成果の客観的評価」が可能だと思っている。3)討議は少人数で短く行うべき。といった感覚を抱いている回答者が多い印象を受ける。
全体に自己啓発系ビジネス書っぽいという印象を抱く。ただ、そういう意味では昨今メディアやポピュリスト政党が強調する「カイカク」(してるふり)と同根であり、若者が、というより日本社会に蔓延する空気の問題なのだと思う。
実際、大学の授業でも政策決定プロセスについての話になると「野党が情けないから」「批判ばかりだから」社会問題が解決できないというコメントも出てくる。
そんなわけで、我々はどのような「野党」を持つべきなのか、という観点から記事を立てておきたい。
今年は選挙イヤーでもあることであり、公共の議論の一助になれば幸いである(選挙中ということで「選挙って、候補者やスタッフは何してるの?」に続いて二つ目の記事)。
2019年3月29日金曜日
選挙って、候補者やスタッフは何してるの?
私のパートナー(法的に婚姻はしていないが、子どもが二人いる)は高槻市の市議会議員な訳ですが、今回は立憲民主党から府議会議員(高槻市・三島郡選挙区)に立候補しています。そのため、ちょっと選挙事情について他の人より多少は見聞きする機会が増えることもあり、そのあたりについても少しブログでご紹介できればと思います。
2019年3月24日日曜日
三つのデモクラシー: フェルバー『全てを変える。共有材のための経済学を創る』から
オーストリアのダンサーであり、ATTAC オーストリアの設立メンバーの一人でもあるクリスチャン・フェルバーの著作"Change Everything: Creating an Economy for the Common Good "(『全てを変える。共有材のための経済学を創る』)に、彼の考える「理想的なデモクラシー」の図が掲載されていた。
フェルバーの図は、理想的な「民主制」をつくるための諸要素を図示している。民主制という神殿の基礎は「民主的な説明責任」と「個々人のコミットメント」である。政府の透明性と、それを果たさなければ厄介なことになるぞと政府に思わせる有権者の活動は、基本的に一体のものである。これは、「アラブの春」のような運動が必要な独裁国家であろうが、高度な民主国家であろうが、基本的には変わりがない。
フェルバーの図は、理想的な「民主制」をつくるための諸要素を図示している。民主制という神殿の基礎は「民主的な説明責任」と「個々人のコミットメント」である。政府の透明性と、それを果たさなければ厄介なことになるぞと政府に思わせる有権者の活動は、基本的に一体のものである。これは、「アラブの春」のような運動が必要な独裁国家であろうが、高度な民主国家であろうが、基本的には変わりがない。
2019年3月20日水曜日
「小学生のための放射線副読本」について
子どもたちが学校から「小学生のための放射線副読本」を、3月12日に貰ってきた(もしかしたら11日に配られていたのかもしれない)。この資料は色々問題があると思うわけで、これを使って授業をするというわけでもないわけであるが、何か納得いかないものを感じる保護者も多いのではないかと思う(もちろん、大半の人は問題だとは感じないと思うが…)。そこで、一応学校に手紙を書いておいた。
急ぎ書いた手紙なので、書誌データなどが整理されていないので、その辺りを修正してからこのブログでも公開しようと思っていたのだが、そのままズルズルと日が経ってしまっていた。あまり大きくタイミングを逃しても意味がないと思うので、ここに公開しておく。
子どもたちが学校から「小学生のための放射線副読本」を配られたということで、もらってきましたが、一読して非常に問題の多い資料のように感じました。これは、端的に言って「日本国政府が福島原子力発電所事故の影響を過小に見せ、自分たちの責任から逃れようとする」ための資料であるように感じます。
2019年3月16日土曜日
コカイン中毒は本当に社会問題の本質なのか?: 視点の多様性のために、カール・ハート博士の議論から考える
電気グルーヴのピーエル瀧氏がコカインを使用していたという嫌疑で逮捕された。報道によれば、瀧氏は何十年もコカインを利用し続けていたと供述しているという。一方、瀧氏の仕事ぶりや社会生活は総じて評判の良いものであり、一般的にイメージされる「薬物中毒」患者の姿とは大きく異なっているだろう。しかし、実際はマリファナはもちろん、ハードドラッグを利用していても万人が深刻な「中毒状況」に陥るわけではない(一方で、合法である酒でも、社会生活に支障のある中毒症状を呈することはあるわけである)。この問題に関しては、五年以上前の Democracy Now で、コロンビア大学のカール・ハートのインタビューが放送され、興味深い内容だったので、古い番組ではあるが、ここに紹介してみたい。
“Drugs Aren’t the Problem”: Neuroscientist Carl Hart on Brain Science & Myths About Addiction
“Drugs Aren’t the Problem”: Neuroscientist Carl Hart on Brain Science & Myths About Addiction
2019年3月7日木曜日
塩素とゴールデンライスはどの程度「危険」なのか? (パトリック・ムーア氏の動画への応答として)
上の動画とその翻訳”『動画「私がグリーンピースをやめた理由」を訳してみた”が話題になっているようで、私が多少なりと責任を負う領域なのかなぁ、と思うのでブログ書きます。まぁ、いつも書いていることとさほど変わらないのですが…。
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グリーンピースを辞めた後にグリーンピース批判をずっと続けているパトリック・ムーア氏のインタビューが話題になっていた。この人に関しては、非常に明快な語り口で、重要なことも言ってないこともないし、考えさせる面はなくはない。巨大な多国籍環境団体それ自体が、一種官僚機構化し、目的の追及よりも組織の維持のために活動しがちになるというのは全く自然なことだし、それ自体を検証し、批判する外部の目というのは常に重要であることは言うまでもない。
ただ、もしムーアが「環境や平和、核廃絶は有効だ」と今でも思っており、にも関わらずグリーンピースのようなやり方はその目的からみて逆効果だから、と本当に思っているようなら、今回のプラガーUのような保守メディアで、そうでない人々に利用されることが明白な中で発言を続けるのはいただけない、と思う。その点で言えば、例えば原発推進や「遺伝子組み換えは体に悪くない」と言った観点から環境左派を批判し続けつつも、基本的にはガーディアンのような左派メディアを基盤に発言し、自分自身でも一定環境運動にコミットし続けているジョージ・モンビオのような人の方が、細かいところで意見の相違はあっても信用できると思う。