2013年5月29日水曜日

何故日本に緑の党が必要か? あるいは参加型民主制の必要性について

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 緑の党については「国際的に見て緑の党が、政党であるだけでなく、私自身も深く関わっているオルタグローバル運動(通常は政党政治とは距離をとることが多い)の一つでもある」という両義性を持っていることなどから、関心とシンパシーを持って眺めてきた。また過去、スウェーデン緑の党の創立メンバーであるペール・ガットン氏や、現在フランス緑の党の代表であるパスカル・デュラン氏などの話を聞く機会も得られたので、この機会に論点をまとめておきたい。なお、私自身は日本の緑の党の党員ではないが、身内が深く関わっていると言うことで、あまり中立的な立場ではないということを加味してお読みいただきたいが、一方でこの文章で日本の有権者一般に「緑の党に投票しよう」ということを呼びかける、という意図があるわけではない。


  なぜ日本に緑の党が必要なのだろうか? 脱原発のためだろうか? TPPに反対するためだろうか? そういったことは、緑の党が目指すべきことであろうが、緑の党が現代社会で必要とされる最大の理由ではない。環境政党の方向性について、「日本独自の」を強調するグループもあるが、世界各国に緑の党が広がり、また「グローバル・グリーンズ」という形で政策や基本理念の協調を図ってきたことには、この政治運動が世界各地で人類が共通して直面する課題への対応という側面が重要であり、そこから大きく外れた「独自性」を求めるべきではないだろう。そういう意味で、グローバル・グリーンズの諸理念に(多少のローカライズはありとしても)忠実な、世界の緑の党ネットワークと協調して動ける政党が、日本でも機能することを期待したい。
 緑の党は、国際的な「政党離れ」という流れの中で誕生してきた。政党離れには、幾つかの原因が想定される。一つには、労働者階級の生活が先進国で安定してきて、政府に対する直接的な要求を展開しなくてもよくなってきたということがあるだろう。これは、デモやストが少なくなってきたこととも同根であろう。また、これまでは財の再配分をめぐる対立(金持ちの自由か、万人の社会的権利か)に、ほかのすべての政策が追随してきたが、現代社会においては政策的論点は多様化している。この多様化を最も強く体現するポイントが、環境政策である。環境政策が、金持ちを優遇するか、貧乏人を優遇するかという軸では整理できないのは明らかであるし、例えば裕福な企業経営者にも気候問題に熱心な人はいるし、逆もしかりである。また、もう一つ重要な理由に、政治のプロ化が上げられる。これは、『孤独なボウリング』のパトナム等が指摘するように、ローカルなレベルでの政治力学でも「高学歴化」が指摘されているし、中央政界でも、高学歴、もと官僚、あるいは二世議員といった人々が増えており、「普通の人」が目指す職業ではなくなりつつあるということである。日本でも、地盤、看板、カバンといわれるように、選挙への参入障壁は極めて高い。
 さて、そうした状況の中で「参加型民主制」ということがいわれ始めた。この言葉自体は、1960年代のアメリカ合衆国で、マイノリティの政治運動が活発化する一方、その運動の方向性の決定権が一部の「マイノリティ・エリート」に独占される状況を批判して、マイノリティの一般学生の間から提起された言葉である。したがって、参加型民主制といった場合、まず目標となるのは政治参加、あるいは「ふつうの人々が政治的意見を表明する権利」の強化を目指す運動であって、屡々混同されるが、定義上は「直接民主制」とは異なるものである。
 さて、政治のプロ化と、論点の多様性の欠如が問題であり、それを克服しなければいけない第一の要請が環境問題の深刻化に起因しているとすれば、「緑の党」がこうした問題を先取りして制度化したのはきわめて自然なことである。
 各国の緑の党は、例えば議員のローテーション制度(当選は二期まで)や、党員総会の権限の強化などなど、一般の政党に比べて議員が固定化することを避ける制度を重視している。もちろん、日本の政党助成法に定義される「政党」のように、「議員が一定数以上集まったら政党」という定義が本来奇妙なのであり、本質的には「志を同じくする人々が一定数集まり、お金と知恵を少しずつ出し合うことで政党ができ、それが一定の規模に達すると選挙に候補者をたてる」ということが本来の姿だと考えれば、実はこれは自然なことである。日本のように国会議員の数合わせで政党が組織され、また新規参入に極めてたかい参入障壁が課されるということが、この正当の本来の姿を極度に歪め、より多くの人々が支持できる政策を練ることではなく、離合集散を繰り返す政局が政治の中心になる日本の政治のあり方を大きく規定してしまっているであろう。もちろん、例外的に日本共産党は古い政党のあり方を保っている。しかし、一方で環境政党誕生のもう一つの要件である「ソーシャル/リベラル」という軸に回収されない多様性という観点では、共産党は条件を満たす政党ではない(勿論、ソーシャルな要請を厳密に反映する政党の重要性は依然として小さくはないので、このこと事態は共産党の必要性を減じえない)。また、日本を含めた各国で、共産党はどちらかといえばプロ化した官僚的な組織であり、フラットな参加型の組織とは言い難いと考えられている。このことも、ある集団的(共産党的に言えば階級的)利害を前提に高い政策提言能力を維持しようと考えれば、決して間違いではない。しかし、環境問題は、利害集団が想定できるわけでもなく、政策の質の高低を評価できる軸が定まっているわけでもない。例えば、「生物多様性」という言葉をとってみても、その定義は複数共存しており、対策も色々な立場の意見を折衷しながら、ということになる。こうしたことを考えれば、緑の党にとって「参加型民主制」は、単なる倫理的目標ではなく、政策立案プロセスに必須の要請であることがわかる。だからこそ、緑の党は、各国で、議員の固定化、プロ化を廃し、議員団の結論に総会の結論を優先させるプロセスをとっているのである。勿論、国によってこうした仕組みの厳格さには差がある。例えばドイツ緑の党では、法律上の議員任期に関わらず6年までと決められていたが、これは逆に厳格過ぎて様々な不都合を生んだために現在はあまり厳密には守られなくなった、という指摘もある。また、比例代表制の場合はだれを名簿に載せるかの決定権が一義的に党に属するため議員団に対する等の優越が保ちやすいが、小選挙区制をとるフランスなどでは、緑の党のような小党が議員を通すためには候補者のカリスマ性に依存するか、社会党などとの選挙協定に依存するかしなければならないため、党の優越は困難なものとなる。
 ただ、いずれにしても最も重要なのは環境問題全般への哲学であるとしても、それをどの程度実現できるかには、そのための参加型の組織構造が必要である、というのがこれまで緑の党の国際ネットワークが培ってきた文化的前提である。また、こうした前提を共有していれば、例えば拝外主義的な主張は共有され得ないことも自明であろう。しかし、たとえば、原発やTPPなどで表面的には同じ意見を持つようにしてもこの「参加型」のプロセスが合意されず、プロ化した議員団と素人である一般有権者のあいだにフラットな意志決定システムが導入できなければ、それは例え数人
「反原発」の議員を割り増しできたとしても、長期的には環境派の敗北に終わり、グローバルな意志決定システムの発展にも乗り遅れることになるであろう。

2013年5月14日火曜日

文民統制について、あるいは「軍服を着る最高司令官」という問題

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 毎日新聞の「ネット世代向けイベント:各党がアピール 首相は戦車に」といった報道によれば、安倍首相は動画配信サービス「ニコニコ動画」のイベントニコニコ超会議で迷彩服を着て戦車に乗って見せたようである。毎日は

 一方、安倍首相は、陸海空自と在日米陸軍のブースを訪れ、陸上幕僚監部の広報室長から「戦車がありますが、乗られますか」と水を向けられると「乗ろうか」と応じ、展示中の陸自の最新型戦車「10式戦車」に乗った。迷彩服の上着とヘルメットを着けて戦車の砲手席に立ち、カメラや携帯電話を構えるコスプレ姿の客らに笑顔で手を挙げて応えた。

 首相は自衛隊最高指揮官だが、戦車に乗るのは異例。【鈴木泰広、中島和哉】
  と報じている。

 これは、単に「異例」だけではなく、文民統制という観点から大いに問題があることを論じなければいけない問題であるはずだが、大きく問題視する論調は見かけない。
 しかし、これは、政治家などから戦争責任や人権などに関する問題発言が頻出する昨今の傾向の一つであることは明らかだし、その最も象徴的な部分と言えるかもしれない。

 ニコニコ超会議での戦車搭乗は、報道からは「水を向けられると『乗ろうか』と応じ」とあるように、多分に偶発的であったと見られるが、(もちろんそれは「文民統制」の緊張感という観点からはさらに問題が大きい)次に安倍首相は航空自衛隊松島基地でブルーインパルスの隊員用ジャンパーを着て見せたと報じられている。この時は、

 津波で滑走路が泥に埋まる被害が出た航空自衛隊松島基地(東松島市)では、3月末に避難先から帰還した曲技飛行チーム「ブルーインパルス」の飛行を視察。首相は胸に「ABE」と刺繍(ししゅう)された隊員用のジャンパー姿で練習機のコックピットに乗り込み、親指を立てるパフォーマンスも見せた。

 …と、最初からジャンパーを用意していたようであり、ニコニコ超会議の件に批判がなかったことから、行動がエスカレートしたのではないか、という印象をぬぐいがたい。

 しかし、困ったことに「文民統制」の緊張感が崩れている傾向は日本だけの話ではない、というか、アメリカ合衆国において先行していて、それを我が国の何者かが宣伝戦略的に模倣しているのではないか、という疑いがある点である。

  たかだかお遊びではないか、という意見もあることと思うので、元々、アメリカ合衆国においていかに文民統制が重要視されていたか、ある資料を紹介したい。
  archive.org にある米国会図書館資料で読むことが出来る1918年の"Why the U. S. president must not wear uniform"(なぜアメリカ大統領は軍服を着てはいけないのか)と題された資料である。
 これは、1918年に『ブルーノのボヘミア』誌が、Bernhardt Wall 氏の「軍服を着たウィルソン大統領」を描いたエッチングを表紙に使用と計画。ウォール氏が同じエッチングを大統領に送ったところ、大統領が軍服を着ているのは「文民統制に反する」という返事をもらったため、『ブルーノのボヘミア』誌もこのエッチング作品を表紙にすることを差し控え、代わりに大統領からの手紙を表紙にしたという経緯を説明したものである(この作品はウェブで見ることが出来る)。
 最初に雑誌からの経緯説明があり、そのあとに大統領の手紙が掲載されているので、簡単に訳してみたい。


 なぜ9月号の『ブルーノのボヘミア』誌が、私たちが元々当該号の表紙として出版しようとしていた、ウォール氏によるウィルソン大統領のエッチングを、表紙のデザインとして採用しなかったのでしょうか? このエッチングはウィルソン大統領が合衆国の軍服を着ているものでした。ウォール氏は、1912年にアトランティック・シティで行われた米西戦争退役軍人を前にした、当時ニュージャージー州知事であったウィルソン氏の講演から着想を得たものでした。この講演のなかで、大統領は、彼は軍人であったことも、いかなる軍人としての訓練を受けたこともないが、それでも正しさのための運動における戦士なのである、と述べた。この精神と共に、そしてこの世界史の偉大な一期間において、大統領は我々市民と軍の最高司令官になるのであり、ウォール氏は軍事的な衣装の彼を描くことが不適切であるとは考えていませんでした。ウィルソン大統領の手紙は、私たちの雑誌の、再度印刷しなおされた9月号の表紙になっており、私たちがポートレイトを出版するのを差し控えた理由の十分な説明になっています。この手紙に書かれているより卓越した、あるいはさらなる言葉は、私たちの軍隊の現在の最高司令官からは語られ得ないでしょう。

 以上が雑誌からのメッセージであり、以下がウィルソン大統領の手紙である(強調は春日による)。

1918年7月8日

我が親愛なるウォール氏へ

 私は熱心かつ誠実に、親切にも私にそのひとつをご送付いただいたエッチングを作成するに至らせた貴殿の情熱に感謝するものであります。しかし、貴方から6月17日にお送りいただいた手紙が少し前から目の前に置かれていますが、その返事として次のように述べなければいけない義務を感じています。すなわち、私に軍服を着せることには、我々の制度の極めて根源的な原則、すなわち軍事力は市民に従属しなければいけないという原則に対する違反であるという感覚があるということです。私たちの憲法の制定者たちは、もちろん大統領が時には兵士であると言うことを認識しており、、大統領を合衆国の陸海軍の最高司令官にするという彼らの考えの中では、国の軍隊は、それによって政策が決定されるような職権の道具であるべきだ、ということです。これが、我々の組織がどんな意味においても軍事的ではないし、軍事的にはなりえない、と我々が偽りなく言える理由です。
 私は、これが単なる私個人の躊躇に過ぎないとは考えません。私はこれが物事の根源であると信じており、したがって私が、私について大いに敬意を表している貴方のエッチングの動機と意図について十分に感謝していないなどという印象を作り出すこと無しに、この問題について率直に表現するべきであることは確かに思われます。

 敬具
  この手紙のポイントは、ウィルソン大統領がたとえまったくのフィクションで芸術作品であっても(そして自分の政治的主張に好意的な作品であっても)、軍服を着た大統領というイメージに対して批判的であり、かつ大統領側が特に差し止めを求めていないにもかかわらず、雑誌側も大統領の問題提起を大切なものと受け止め、表紙を問題になった画像から「それを問題にした大統領の手紙」に差し替えている点である。

 そして、この「文民統制」という緊張感に関する伝統は、その後も20世紀を通じてアメリカ合衆国の重要な文化として維持されるが、(先に「アメリカでも原則が崩れている」と述べたように)近年ジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領によって破られている。
 ブッシュ大統領は2003年に5月1日に空母アブラハム・リンカーン上でイラク戦争において「主要な作戦計画」は終わったと述べたが、そのさいに艦上対潜哨戒機S-3(ヴァイキング)から(空軍州兵の戦闘機パイロットであったという過去をアピールするために)戦闘機用のスーツを着て降り立った。
 これを、例えばYahoo のコラムでリック・トーマス氏は「ブッシュの最も象徴的な違反行為」と名指している。
 というのも、彼によれば、軍服を着た最後の大統領が初代大統領ジョージ・ワシントンであり、その後ながらく現職の大統領が軍服を着ることはタブーであったからである。

from Wikipedia
(ワシントンは1791年のウィスキー反乱において陣頭指揮を執ったため軍服を着用したが、戦場以外の場所で軍服を着ることは慎重に避けていたようである。)

 しかし、こういった(二世紀以上にわたる)緊張感が崩れると、なかなか回復できないようで、一般にはリベラルと思われているオバマ大統領も、この点でブッシュに倣うことになる。
 オバマ大統領は2010年3月28日にアフガニスタン(バグラム空軍基地)を訪れたさいに、空軍が提供した革のフライトジャケットを着用した。
 
 この件でペンシルバニア工科大学の歴史学の教授で、空軍の元中佐(2005年退役)でもある ウィリアム・アストア氏は Huffington Post に掲載された「大統領用の軍服? とんでもない!」と題するコラムで非難している。

  こうした「たがが緩んだ」とみえる状況は、しかし政治家だけに問題があるのではなく、メディアや広く国民一般がアフガン・イラク両戦争の期間中に、ナショナリズムの熱に浮かされて批判能力を失ったことにあるだろう。
 その一方で、主要な(少なくともネット上の主要な)メディアに、こうした行為への批判を見いだすことはさほど難しくないというのが、アメリカの「言論」がまだ多少は機能している、ということであろう。
 さて、我が国ではどうだろうか?