2013年1月26日土曜日

チュニジアで開催される世界社会フォーラムの重要性: マグレブ・マシュリ ク、そして全世界の世俗主義的な民衆運動との連帯のために

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アルジェリア人質事件は日本人を含む多くの犠牲者を出し、悲劇的な結末を迎えた。こういった悲劇を繰り返さないためにも、国際社会は連帯して平和構築にむかっていかなければならない。しかし、日本でも既に自衛隊の海外派遣等の議論が活発化するなど、むしろ対立が激化する徴候が見られる。こうした「軍事的手段による対応」ではない、こういった問題への対応策を提示する必要があるだろう。
 その観点から、本年三月にチュニジアで行われる世界社会フォーラムの重要性は高まっており、我々はこれに注目(できれば積極的な参加も)する必要があるだろう。

World Social Forum 2006 (Karachi, Pakistan)
カラチでの世界社会フォーラム
世界社会フォーラムは、現在概ね隔年で開かれている、世界最大規模の社会運動の集会である。元々、2001年にブラジルのポルト・アレグレで開始され、その後ベレン(ブラジル)、ムンバイ(インド)、ナイロビ(ケニア)、ダカール(セネガル)等で開催されてきた。2006年にはバマコ(マリ)でも開催されている。ダヴォス(スイス)で行われる世界経済フォーラムが年間数百万の高額の会費を払える富裕層と、招待された一部の政治家・学者等だけが参加できるのに対抗して「誰もが集まれる空間」を目指すとされ、環境、貧困、債務、貿易の自由化といった様々な問題が議論される。そして、今年は「アラブの春」の成果の共有を掲げて、チュニジアの首都チュニスで3月26日から30日の日程で開催されることになっている。(詳細は http://www.fsm2013.org/en 参照)

 アルジェリアの人質事件には、アルカイダのネットワークに属するイスラム原理主義グループが関与していると言われている。また、これに限らずアジア、中東から今回のアフリカまで、第三世界の広い地域でイスラム系過激派のグループは活動を過激化させている。その背景には、当該地域の民衆が(もちろん積極的に参加するのは少数派でも)そういった活動に好意的になっている、という事情は無視できない。そして民衆を追い立てているのは我々先進国である、という事実にも目を向ける必要があるだろう。例えば、アルカイダ掃討作戦としてアフガニスタン、パキスタン、イエメンなどで展開されている、米軍を中心とした作戦活動では、子どもを含む多くの民間人の犠牲者が報告されており、たとえ先進国の人間が含まれていなくてもこうしたことが悲劇であり、人道への大きな脅威である、ということの真摯な反省は必要である。
 また、現在イスラム原理主義が強い地域でも、元々それが一般的であったというわけではない。パーレビ国王を追放した79年のイラン革命は「イスラム革命」とも呼ばれるが、当初は宗教指導者であるホメイニ師と共に、バニサドル大統領ら世俗主義的なグループも存在していた。彼らが孤立し、亡命を余儀なくされる過程を、当時フランス社会党の理論家であったリオネル・ジョスパン(後、首相)は「簒奪された革命」と呼んでいる。PLOも当初は世俗主義的な組織として出発している。これらの活動が国際的な支援を十分に得られず(PLOの勢力が世俗主義者であるアラファトからイスラム主義の影響の強いハマスにうつっていったことに代表されるように)徐々に民衆の期待や支持が世俗主義から宗教勢力にうつっていったのである。

 これは、今まさに繰り返されていることでもあるだろう。「アラブの春」と呼ばれる民主化運動は、エジプトやチュニジアの社会に大きな変革をもたらすと期待されていた。これらの運動を担ったのは、インターネットで連絡を取り合った、世俗的な若者たちであった。アメリカに留学していたしたエジプト人の学生は、エジプトのタリハール広場での集会に参加した後アメリカに戻り、米ウィスコンシン州の共和党知事リコールのための集会にも参加し「一週間で二革命」と宣言したという。しかし、こうした世俗主義グループは組織的基盤も財力も持たなかったため、その後エジプト、チュニジアで相次いで行われた選挙では、議会において大きな勢力を獲得することは出来ず、穏健派も含めたものではあるが、イスラム主義のグループが多くの議席を獲得した。
 マグレブ諸国について見れば、民主化の先鞭をつけたチュニジアと、王政が機能しているモロッコは、社会状況は異なるが、比較的(組合運動を)中心とした世俗主義左派グループも機能している。一方で、軍事独裁が長く続いたアルジェリアとリビアについては、こういった「社会運動」の基盤は極めて弱体化していると見られている。このため、比較的アクセスのしやすいチュニジア・モロッコの社会運動との情報交換から、この地域に対する連帯を表明し、意見を交換し、信頼関係を構築していくことから、アルジェリアとリビアの問題にもコミットメントを広げていく、という方針が好ましいであろう。
 逆に、世界の、人権と連帯を重んじる民衆運動がチュニジアの世俗主義的な社会運動を支援できなければ、それらは宗教原理主義の波の中にかき消えるという、イランやパレスティナの歴史の再現になる可能性が高いと言えるだろう。


World Social Forum 2007 Closing @ Uhuru Park (Nairobi, Kenya)
ナイロビでの世界社会フォーラム
「テロ/恐怖」の最大の目的は、「我々」と「奴ら」を区分し、分断することにある。暴力と悲劇の前では「彼らにも理があるのだから」という論理は弱腰で優柔不断なものに感じられる。しかし、だからこそ我々は「この暴力」と「あの暴力」を、我々にとっての共通の脅威である、と考えることから始めなければ行けない。つまり、先進国の市民に突然襲いかかる銃や爆弾の恐怖と、パキスタンやイエメンの片田舎の村に突然飛来する無人戦闘機の恐怖は、我々を二つの対立する陣営のどちらかにいやおうなく振り分けるための恐怖なのだ、と考える必要があると言うことである。
 そして、次におそらく、この恐怖を利用することに反対する人々が「奴ら」の中にもいることを発見することができる。また、「奴ら」の中のこういった人々と協力することによって、相互に「我々」の中にも「奴ら」の中にも、恐怖を利用することに反対する人々を徐々に増やすための活動が育っていくことだろう。これが、人類が歴史的に確立した「寛容」と「連帯」の論理であるはずだ。そして、今年幸いにしてチュニジアで行われる世界社会フォーラムは、こうした連帯を構築する、重要な一歩になることが期待されている。




2013年1月6日日曜日

エクアドルの思い出 「新自由主義者」パラシオ前大統領こそが偉かった (?)という話

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「南米エクアドルで4日、2月17日に行われる大統領選の公式選挙期間が始まりました」(赤旗)ということで、2008年にエクアドルに行ったときのことをすこし(写真は首都キト)。
Old City(World Heritage), Quito, Ecuador (2008)


 かつて「アメリカ合衆国の裏庭」とも言われた南米諸国は、現在、全体として見ればアメリカからの自律路線を歩んでいる。明確に親米路線を続けているのはコロンビアぐらいであるといえよう。その中でも、「オルタグローバリゼーション」を掲げ中核となる指導者が三人いる。豊富な石油マネーと軍および同国で圧倒的多数を占める貧困層という盤石な支持基盤を持ち、国際社会に議論を巻き起こし続けるウゴ・チャベス大統領、先住民出身の市民運動家であったボリビアのエボ・モラレス大統領、そして今回選挙を迎えたエクアドルのラファエル・コレア大統領である。これに、ルラ、ルセフと二代続く労働者党政権のブラジルを中心に、アルゼンチン、ウルグアイなどが「穏健な反米」政策をしく(特にブラジルは南米内部でも温度差のある諸国の仲介役という面がある)。
 コレアはイリノイ大学で博士号を取得した経済学者で、ルシオ・グティエレス政権時代に、副大統領アルフレド・パラシオの経済顧問を勤める。グティエレスの失脚によりパラシオが大統領になると、蔵相に就任するが(一般的に言われるところによれば米国やIMF/世銀の圧力によって)辞任に追い込まれる。その後、2006年の大統領選でエクアドル大統領に就任している。
 チャベスが一種、資金と権力を使って刺激的な議論をぶちあげる役を担っているのに対し、経済政策に通じたコレアはポスト・チャベスにむけた体制作りを進めてきた。それは例えばジュビリー運動を継承し、「第三世界の不当な債務を帳消しにする」という目的のための債務監査プロジェクトであったり、環境のための国際援助であるヤスニ・イニシアティヴであったり、ドルにかわる国債基軸通貨としてのスクレの創出であったりする。

 私は、2008年にコレアの設置した債務監査委員会が答申を発表するというので開かれた研究会に参加する機会を得た。その時非常に印象的だったのは「外国の人はパラシオまでの大統領は親米的であって、コレアというヒーローが誕生したことによってエクアドルが自律の道を歩み始めた、という理解をするが、それは誤りである」というあるエクアドル人社会学者の発言である。
 彼によれば、パラシオ大統領がコレア蔵相を解任したとき、パラシオは親米、親新自由主義的な政策を選択したとされる。これはもちろん誤りではないが、一方でこれは大統領にとってもエクアドル自身にとってもアメリカに対する面従腹背の時期だ、と位置づけられたのだ、という話であった。実際、パラシオ大統領は親米的な政策を選択する間も、自身に反対するような市民運動に有形無形の支援を与え続けたのであり、その(市民運動の組織形成や彼らによる政策研究という)蓄積があったからこそコレア大統領が就任してすぐに様々な政策を打ち出せた、ということであるという。まぁ、これが本当ならパラシオはコレア以上に優れたリーダーだった、ということかもしれない。

International Study and Strategy Meeting On Illegitimate Debt (Quito2008) とはいっても、私の滞在中にも市民運動出身のサルガド蔵相(写真)がコレア大統領と対立して電撃解任されたり(ディナーで蔵相としてのスピーチを聞いて、慌ただしく退席したのでなにかあったのかと思っていたら翌朝のニュースでは解任されてた…)、その大統領もボリビアでクーデター未遂が発覚したとのことで緊急の南米諸国首脳会議に出席するために出国し、週末に予定されていた債務監査委員会が答申を大統領に伝える式典が延期されたりと、わずか一週間でも多事多難なのであったが(小国とは言え、安定した先進国の元首にとっての一年分ぐらいの問題が一週間ぐらいに凝縮されて起こる感じなんじゃないかとも思った)。


International Study and Strategy Meeting On Illegitimate Debt (Quito2008)
キト市と日本人が「エクアドル富士」とか勝手に呼んでいるコトパクシ山

International Study and Strategy Meeting On Illegitimate Debt (Quito2008)
滞在していたキリスト教系の施設周辺。アンデスの多くの都市同様、キトも盆地の中心部が旧市街で、このあたりはあまり所得の高くない層が住むエリアと言うことになる。

2013年1月1日火曜日

あけましておめでとうございます

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ことしもよろしくおねがいします。