2017年1月21日土曜日

科学とデモクラシー: アメリカ大統領選雑感

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 バラック・オバマが大統領に就任した2009年の夏も過ぎ去ろうという頃の話である。科学技術とデモクラシーについての研究と実践を行っている、つまりどちらかというと左派系のアメリカ人に、ヨーロッパで行われたあるプロジェクトの会議で一緒になった。
 「今、そちらのシンクタンクは何人ぐらいで回しているんですか?」と尋ねると、意外な答えが返ってきた。

2017年1月8日日曜日

ウゴ・チャベス その革命と失敗

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 先の「"脱成長"議論のためのメモ」で「ベネズエラ経済の失敗」という言い方をしたので、そのあたりについて自分の見解を整理しておく必要があるかな、とおもいまして、記事を書いておきます(いつものことであるが、さくっと書くつもりが、長くなった…)。

1. 南米主要国の政治潮流
現在、南米主要国の政治は三つの潮流に分かれている。
 第一のグループは、南部にあるチリ、アルゼンチン、ウルグアイにある、中道左派が主導する政権が存在する地域である。
 かつて「アメリカ合衆国の裏庭」と呼ばれ、親米右派ががっちりと支配していたこの地域でも、21世紀に入って次々と左派政権が誕生した。
 そのうち、第一グループの国々は、比較的所得や識字率が高く、また文化的均質性が高い(これは、この地域の先住民は多くが虐殺されて消滅した、ということでもある)。
 このうちアルゼンチンとチリは選挙による中道右派と左派の政権交代が見られるようになり、ウルグアイだけはバスケス→ムヒカ→バスケス、という左派のタンデムが続いているが、国内情勢は安定しており、いずれはここも政権交代を行うようになるだろう。

一方、北部の国々は相対的にGDPが低い。
 その中で、コロンビア、ペルー、パラグアイといった国々は、現在でも親米的な中道右派政権が支配を続けている。
 また対照的にベネズエラ、エクアドル、ボリビアは極左政権が誕生し、現在も支配を続けている。
 パラグアイも2008年、カトリック司祭で「解放の神学」派のルゴ氏が還俗し、大統領選挙を制したが、この政権は2012年に議会による弾劾を受け崩壊、2013年からは右派のコロラド党が政権に復帰した。
ボリビアは先住民の多い南米最貧国だが、先住民運動から出発し、水道の民営化反対運動などで脚光を浴びたエボ・モラレス大統領が、初の先住民系大統領として2005年の選挙を制した。
 エクアドルは左派の経済学者であるラファエル・コレアが2006年に大統領になっている。
 そしてベネズエラであるが、これの国々に先駆けて1999年にウゴ・チャベスが当選している。

そして、南米最大の国家であり、また唯一のポルトガル語国家でもあるブラジルに関しては、2002年に労働者党のルラ大統領が誕生している。
 ルラ政権は、思想的には上記の極左系に属するが、しばしばチャベスらのグループと南部の穏健左派グループの中間的な位置を占め、アメリカや西側諸国との外交チャンネルも維持するなど、中間的な立ち位置にとどまってきた。
 ルラ政権も憲法規定通り二期で退陣し、後継候補としてジルマ・ルセフ官房長官を指名した。
 ルセフも順調に当選し、同国初の女性大統領となったが、昨年(2016年)弾劾を受けて政権を連立を組むブラジル民主運動党党首で、副大統領であったミシェル・テメルに譲った。

全体としてみれば南米はかつてのようにアメリカが支配圏を誇示できる状態ではないが、一方で2010年ごろを境に、中道左派から極左系の政権が勢力を誇った状態からは徐々に揺り戻している。
 この状態がなぜ起こったか、ということが本論の焦点である。

2017年1月4日水曜日

「脱成長」議論のためのメモ

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 日本ではあまりアカデミックに脱成長を研究している論者がいない一方で、反脱成長論のほうが声が大きい印象がある。
 ただ、この双方は大概の場合、論点がかみ合っていない。
 要するに「成長」支持派はGDPが持続的に増大していくことが大事だと言っていて、それは資本主義というものが「成長産業に資本を投下して、投下した資本が増えて戻ってくる」ことを期待する投資家が投資先を探す、というモデルで作られているから、そこが機能しないと資本主義社会そのものが法界するじゃないか、という危惧を抱いているのであろう。
 (そもそも我が国で「資本家」がリアル・エステートを担保に取らなくても「成長産業を探して投資する」なんていう資本家としての役割を放棄しているからの低成長なんじゃないのか、というツッコミはあり得ると思うが、ここではグローバルな資本主義社会の問題が論じられているということで、置いておく)
 一方、脱成長派は主に「環境の限界」を懸念している。
 人類経済の成長は、環境からの収奪によって成立してきており、先進国ではこれ以上の収奪は生活レベルを上げない上に、地球環境という我々の生活を支える土台そのものを突き崩しているのではないか、ということである。
 なので、脱成長派としては「環境負荷が増大しない形でGDPが上昇したとしても、それは<脱成長>という理念と不整合は起こさない。ただし、そういったことはあまり起こりそうにない(/不可能である)」と考えている、ということになる。
 例えば、指標としのてGDPは不十分だということで、GDPから環境影響(外部経済)を引いた指標を作り、その指標の上昇にインセンティヴが働くようなグローバル経済を構築する、といった「改善案」は考えられる。
 ただ、こういった考え方は「脱成長」原理主義者がいれば、それは改良主義に過ぎないと批判されるだろうし、「成長」原理主義者からもあまりいい反応は得られそうにない気もする。
 それに、そもそもそういった構造を構想することは大変難しい(マルクスやケインズ級の「大経済学者」の登場が待たれるところである)。
 とりあえずは国際的な環境課税の制度をつくってしのぐ、というのは当面の目標になるだろうが、おそらくそれだけでは十分とは言い難いだろう。
 成長主義者は「GDPの成長と環境保護がニュートラルないし相乗効果を得られる経済領域はいっぱいある」と主張するかもしれない。
 特に相乗効果が得られるところが「グリーン・エコノミー」と呼ばれるが、はたしてグリーン・エコノミーが世界経済を支えられるほど大きくなるか、というのも疑問である。
 ニュートラルな経済になりうる領域の例として、情報、サービス、イノベーション産業などが考えられる。
 昨年、『認知資本主義』という本の出版に関わらせていただいたが、これはまさに「認知資本主義」の領域の話である。

 しかし、これらの産業は富の偏在を加速させるのではないかという疑念を払拭できない。
 かつて、アンディ・グローヴなども述べていた通り、典型的なテック企業は収益あたりの雇用者数は伝統的な工業より少なく、また技術が進むごとにその傾向は加速する。
 もちろん、Apple のような企業がFoxconnに代表されるアジアの企業に委託している分を含めれば、グローバルには少なくない仕事が生じているわけだが、この部分は伝統的な「環境影響を無視できない伝統的な工業」である。
 また、かつてフォードやトヨタで働く工場労働者は「熟練工」として扱われたが、技術の発達によってこれらの人間が行う作業は非熟練労働としての側面を強め、賃金はそれにともなって低下している。
 この先、さらに技術がいらなくなるのか、そもそも人そのものがいらなくなるのか、いずれにしてもイノベーション部分を担う「高級人材」と、それ以外の人材の給与格差が(なんらかの介入がなければ)拡大するという予測されよう。
 (また実際は、ちょっとした「名声」の差で、認知的生産を担う人材の間の格差も容易に増大する)
こう考えると、我々は、成長、環境、再分配(/労働分配率)というトリレンマを抱えているように思われる。
 成長を環境負荷の少ない経済領域に特化して行うことは可能に思われるが、その場合は労働者一般の所得は犠牲にされるであろう。
 成長を伝統的な工業の振興で行うことは、少なくとも一国レベルではある程度追求できるかもしれない(このあたりはトランプ政権が挑戦することになるだろう)が、その場合は環境に大きな負荷がかかる(また、グローバル経済にも大きな負荷がかかるかもしれない)。
 だとすれば、最後の環境と再分配を重視するという選択肢は可能だろうか?
 おそらく「脱成長」はここを重視している、ということになる。
 これは、三つの選択肢の中では、おそらく最も困難な道であるが、例えば地域通貨や連帯経済といった手法やキャッチフレーズにはこの目的がビルトインされている。
 ただ、「連帯」経済といったときに明らかなように、この分野はある種の社会的信頼(社会関係資本と言い換えてもいい)が不可欠である。
 一方、現在のグローバル経済はこの「連帯」を徹底的に排除するような、相互不信の極大化によって維持されている。
 この転換が容易ではないことは明らかであり、もしかしたら不可能かもしれない。
 (ブラジル労働者党政権の崩壊やべネズエラ経済の失敗を見れば、南米の左派政権はこの部分に挑んだが、総じてみれば退潮期に入っているように見える。一方、ポデモス、シリザ、コービン労働党や大統領選におけるサンダース旋風は、この流れを先進国が引き取って進めるときである、という可能性を示唆しているようにも見える)
 アイディアとしては、衣食住や日常的な楽しみ(イヴァン・イリイチのいう「コンヴィヴィアル」な領域)は定常経済で維持し(グローバルにはわざと互換しにくくした地域通貨と、エクアドルとベネズエラが提唱していたような貿易を管理する新国際通貨などで担い)、認知資本主義領域はグローバル通貨(Bitcoin的なものになるかもしれない)で行い「贅沢をしたい人は後者を稼げる」みたいなモデルは構築可能かもしれない。
 まぁ、いずれにしてもいろいろな可能性があるので、「脱成長」研究というのは今後注力が必要であり、政策的意義も環境課税などの領域に認められるべきであろう、と思う一方で、「脱成長路線でいけば問題はないので、労働運動や財政出動が必要なくなる」という段階ではないのも明らかである…というあたりから議論を始められないものだろうか?
 

2017年1月2日月曜日

お餅が旨い

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毎年、新潟の弥彦もちというのをもらうんだけど、これが、味も舌触りも滑らかで、きちんと腰があって、お雑煮などに入れても煮崩れせず、まあ、パックの切り餅ではちょっとあり得ないぐらい美味しいのである。
で、毎年、せっかくなら自分でも少しは購入しようとウェブサイトを見るのだが、米の時期しか生産してないのか、正月には大体売り切れ、と言うことで、まだ購入できた試しがない。ってことで、毎年、正月早々、自分の忘れっぽさを思い出すわけだ。

…今年こそは年内にサイトを見よう。

2017年1月1日日曜日

明けましておめでとうございます

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Safari to the Lake Nakuru National Park